息子が生まれた日
寒くなると、当時のことを思い出します。
息子は4月上旬に爆誕したのですが、僕が住んでいる地域が山寄りな事もありまだまだ寒かったのを覚えています。
当日はとにかくパニックだらけでした。
息子は予定日よりかなり早く生まれてきたのですが、正直そんな早く出てくるなんて思ってもいなかったのでコチラの心の準備が出来ていませんでした。
その日も僕はいつものように仕事で遠方にいたのですが
「破水したっぽいな、コレ」
と14時過ぎにお母さんから連絡が来ました。
この瞬間から心臓が爆鳴りですよね。
もう?早くない?
っていうか遠方いるからすぐ戻れないし。
あー、それより病院か。
タクシー捕まるか?
上司に連絡いれて仕事の調整しないと。
明日急に休み取れるか?
などなど、色々な事が頭の中を駆け巡っていたのを今でも覚えています。
とりあえずお母さんに、大変だと思うけど出来る範囲で逐一連絡を入れて欲しい旨を伝え。
職場関係はその場で大慌てで連絡をしました。
「まだ予定全然先ですが、産まれそうです」
職場の同僚や上司、果ては翌日会う予定のお客さんに連絡を入れたところ。
快く協力してくれ、お客さんも予定を動かしてくれたので翌日の休みを獲得することが出来たのです。
みんな一様に優先順位は出産が一番だ、と僕を送り出してくれたのです。
今でも感謝しかありません。
その日は早退をして、急いで病院へと向かいます。
その際にお母さんから「軽食買ってきて」とお使いを受けていたのですが、お父さんはもうパニック状態ですので。
とりあえず帰宅後入院準備を大急ぎで揃え、病院へ向かう道中のコンビニで買い物をして行くのです。
あれ?軽食っていっても具合どんな感じだ?
今は何なら食べれるんだ?
と混乱した頭で、とりあえず色々買って食べれる物だけ食ってもらおう!
こうやって購入したのが3000円越えの軽食達でした。
この件はお母さんに軽怒られしましたね。
何とか病院に到着し、お母さんのもとへ。
は行けませんでした。
「まだまだ時間かかりますからー、その時が近づいてきたら連絡しますのでそれまで自宅で待機していてくださいね」
ナースステーションの窓口で3000円越えの袋だけ預けてお家へ帰されるのです。
この時が大体19時前でした。
そこから自宅へ戻り、ソワソワしながら待機。
事あるごとに携帯をチェックしてご飯も食べずに待っている状況。
しかし待てど暮らせどならない携帯に意を決して晩ご飯を食べることにしました。
その時のメニューは
UFOの大盛りと焼きそばパンです。
今思い返してもこの食い合わせはいかがなものかと思います。パニックでしたので。
この時が23時頃です。
ようやく連絡が来たのが深夜1時過ぎ。
精神的に疲れているこの時間帯にまた車を運転するのか…と少し怖かったのですが期待と興奮で目はギンギンな訳ですから。
急ぐが焦らずに病院へ到着。
そしてようやくお母さんと顔を会わせるのです。
めちゃくちゃ辛そうなお母さんの隣で僕はもう声をかける事しか出来ませんでした。
とにかく力いっぱい僕の手を握り締めるお母さん、僕も痛いくらいでしたが構いません。
もっと来い!と、少しでも気が紛れるなら握り潰して結構!と本気で思っていました。
痛みが来て、波が引いて。
その都度看護師さんが確認に来るのでその間僕は廊下で待機です。
深夜の病院の廊下のまぁ冷え込むこと。
ガクガク震えながら待機していたのは今でも良い思い出です。
そんな事を繰り返し、時刻は早朝5時前です。
ようやく分娩室に呼ばれ移動している時に僕が思っていた事は一つだけでした。
とにかく母子共に無事に終わってくれ。
ずっと苦しんでいるお母さんを見ていると、このままいなくなってしまうのでは無いか。
とんでもない大仕事だ、とその日立ち会って改めて思いました。
そして5時30分に息子爆誕。
しっかり泣き声を上げてくれ、お母さんもグッタリしてはいますが息子をちゃんと見ています。
安心からの放心状態で心の中は
「すげー赤いな」
としか思っていませんでした。
そして初めて息子を抱いた時。
小さい。生きてる。赤い。かわいい。
思考がまとまらず頭はぐちゃぐちゃでした。
ですが、命が産まれるって奇跡だな。
とは思っていました。
そうして僕は病院を後にしました。
その時の体調は最悪、頭は疲れでフラフラ。
ですが安心と興奮で体は熱を帯びていました。
外に出た時の冷たい空気。
寒いな。
でも今は気持ちいいかも。
そんな事を考えながら車に乗り込み、家に帰るのです。
一生覚えていたいし、思い返したい素敵な記憶。
寒くなるとそんな風に息子が産まれた日に思いを馳せる。
って言うお話。
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