「人の役に立ちたい人」は看護師になってはいけない理由

こんにちは、しのっちです。

今では一人で事業をやっているぼくも、
37歳まで看護師でした。

看護師になった理由は
手に職をつけるためです。

生身の実力では食っていけないと悟り、
思い切って29歳から看護学校へ入学。

当時、同級生にもチラホラといました。

「人の役に立ちたくて看護師になった」
という人たちが。


実際に看護師として働き始めてから
メチャクチャ強く感じたことですが、

「人の役に立ちたい」という理由で看護師になることは
マジでオススメしません。

いや、なっちゃいけない。

今回はその理由をお話していきます。


人の役に立ちたい=自分は役に立っていない

役に立ちたい。
世のため、人のため。
自分がこの世に生きる意味を見出したい。

実は人間だれしも、
心の根底にこういう気持ちをもっています。

だから決して悪くはない。

けれど、人というものは、
生きているだけで結構人の役に立っているものです。

それでもあえて「役に立ちたい!」と前面に押し出すのは、

「自分は役に立っていない」という気持ちの裏返しなのです。

もしくは

「役に立たなければいけないんだ…!」という
ある種の強迫観念かもしれない。


これはいってしまえば、
自己肯定感の低さそのものと言えます。


でも、そうやって人の役に立つことで
自分に自信をもてたら、
自己肯定感も高まるかもしれない。

じゃあ一体何がまずいのか。


看護師になっても人の役には立てない

これはぼく自身も実感したことですが、
看護師になっても、
人の役に立っているという実感は得られないのです。


実際には、おおいに役に立っています。
勉強した知識、技術で社会貢献しているんです。


でも、

「人の役に立っている」と思えないんです。
実感が得られないというか。


理由としましては
たとえば

新人のうちは、当然仕事も全然わからず、
一日のルーティンを終わらせるのが精一杯です。

先輩に足手まといのゴミのように扱われ、
患者さんと満足にコミュニケ―ションをとることも
難しい。

しかし、3年、4年と経験を積むにつれ
仕事の量は増え、後輩のしりぬぐい…

いや、指導育成もしなければなりません。


「もっとこうした方がいい」と思うことがあっても
ほとんどは実現できませんし、


医者の指示通りに医療行為の補助を行うだけの日々です。


つまり、忙しい上に、
自分の意見や考えを反映させる権限も
思ったよりないことに気付くんです。


人によっては、
そうやって組織の一部としての役割を果たすだけでも

今日もやり切った~という満足感を得られるのですが、

「人の役に立ちたい!」と意気込む人にとっては
そうではありません。

「役に立たなければ自分は価値がない」という、
とてつもない承認への渇望に押しつぶされ、

不安で不安で仕方ない日々を送ることになります。


それでも諦めきれない

不安を吹き飛ばそうと、
必死に仕事をするようになります。

最初は「がんばってるね」と周囲から褒められたりもして。

すると、もっと必死になります。


しかしどこまでがんばっても
結局は一看護師の域を出ることはできず、

自分も所詮は他の看護師と同じであり、限界がある。
という現実を突きつけられるのです。


ぼくからしたら、
他の人と同じくらいできたら
それは本当に素晴らしいことなんですけどね。


「自分はもっと役に立つはずだ、優れているはずだ」

こう思って頑張ることは決して悪くないと思います。

問題は、
それを証明しようとし始めることです。


自分は役に立つことを証明しようとする

「自分は本当はもっと優れていて、世の中の役に立つはずなんだ。」

「役に立たなければ、生きている価値がないんだ!」

そんな想いに囚われ、次に取る行動が問題です。」


みたことありませんか。

自分より頑張っていない人をみつけて
「なんでもっとがんばらないの?」と詰めたり

新人を捕まえて延々と説教したり。

自分自身をそれ以上どうにもできなくなると、
今度は周囲の人間をこき下ろし、

相対的に自分の評価を上げようとします。

そうでもしないと
不安でいても立ってもいられず、

その不安から逃れるためなら、
自分より弱い人間に対する
人格否定することも、

平然と正当化します。

これがパワハラ看護師が出来上がるまでの代表的な仕組みの一つです。


なぜ「役に立ちたい」と思うのか

役に立ちたい=役に立っていない

であると、初めの方でお伝えしました。

ではなぜ、そんな風に思ってしまうのか。


たとえば

子供の頃にやたらと厳しくされたり、
親に条件付きの愛情しか与えてもらえなかったかもしれません。


お母さんの役に立たなければ、愛してもらえない
お父さんが思うような子供にならなきゃ

こんな風に思いながら、
必死にすごしていたのだとしたら。

こうなってしまうのも、
いたし方ない部分があるかもです。

実際に、この手のパワハラ系の看護師に
身の上話を聞くと、


たとえば

兄弟が優秀で、自分だけがダメで、
ずーっと比べられながら生きてきた
という人もいれば、

親がメチャクチャ厳しくて
という人もいました。


厳しいというよりむしろ
理不尽に近く、

管理といってもいいかもしれません。


他にも、子供にはとうてい
どうにもできないであろう状況で
生きてこられた人が多かったです。

ちなみに、

実はぼく、32歳で入職した病院を
1カ月ちょっとで辞めてるんです。

まあ、今でいうパワハラが原因です。


当時、毎朝吐きながら仕事にいってました。

パワハラな先輩のことはすごくムカついてました。

けれど、相手は相手の人生を、
どうにかこうにか生きている。

変えることはできない。

だから、自分が勇気持って飛び出すことで、
人生を変えようとしました。


次に勤務した病院は、とてもホワイトな職場でしたが、
結局5年で辞めて、今では経営者です。

(とてもよい職場でした☆)

全ては今の自分にたどり着くために
必要なことでした。


けどそれは、今こうして、
どうにかうまく生きていられるからこそ
思えることでして。


パワハラ上司って、正直どこにでもいます。


ポジショントークですが、

パワハラ上司に耐えたり、
うまくやったり。


そうした努力は必ずしも報われるとは限りません。

それならいっそ、その職場を出て転職
もしくは、

ぼくのように組織に属さず生きる。


そうして未来のためにがんばることを、
ぼくなら選びます。


あ、話がそれてしまいました
m(__)m


人の役に立ちたい
という人がダメなら

じゃあ、いったいどんな人が
看護師になったら良いわけ?

という話は、

また別の機会にお話したいと思います。

さいごに

「人の役に立ちたい」
こう思う人は看護師になってはいけない

そういわれて、
「それでもなろう」と思うなら、ぜひなって欲しいです。

そして、
看護師になる、ならない関係なしに

あなたはすでに、立派に人の役に立っている!

ということを思い出してください。


物事を志すとき
最初の原動力はなんだってOKです。

一生懸命やった先で、
また道が開けるものですから。

でもって、

どれだけ人の頭を押さえつけても、
自分が大きく高くなるわけではない、

ということは
くれぐれも忘れないように

(だれだおまえは…笑)

というわけで、
本業の合間に書いているために

ところどころ雑だったり、

エビデンス&ソースがあっても
詳細をかく余裕がありません・・・

スマンデス(;´Д`)


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