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どんな理不尽もコメディに見えてくるまで。

 どもども。
 基本的には故郷利尻島のことを書いていこうと思うのだが、「仕事のことなんかも書いたら?」と心の中から声が聞こえてきたので、気が向いているうちに耳を傾けようと思う。過去の投稿は「ですます調」で今回は「である調」なのも、気が向いたからである。一生、気が向いたら、で過ごしたい。

 去年のちょうど今頃、ある出版社さんから「月イチで社が発行している通信の1コーナーに載せる文章を書いて欲しい」との依頼を受けた。今回仕事のことを投稿しようと思ったのは、それを思い出したからだ。通信とは、優先度上、店の隅に置かれる「ご自由にお持ちください」的なやつだが、無料配布の割に著名人の連載もあったりするため、楽しみにされている方は結構いる。各出版社10部程置いておけば1ヶ月後には無くなっているものも多い。断る理由もないので依頼を引き受けた。
 
 テーマは特に決まっておらず、「おすすめの本、本に対する想い、書店員として心がけていること」など、本に関することであれば内容はなんでも良かった。特定の本を紹介するのはハードルが高いので、自分が普段仕事をしながら考えていることを書いたら、思いの外いい文章になった、と自分では思った。自分では思った。今、2回言った。

 校正が終わり送品され、いざ店頭に出すという段になって、店舗が入っている商業施設が休業になった。期間はひと月半。営業を再開した頃には次の号が出ている。

「あんまりどぅ!」

と思ったがどうしようもないし、出版社さんには超失礼だが、「まぁ無料配布冊子の1ページだし〜」「1000文字程度の文章だし〜」と、そこまで気にはしなかった。ホントすみません。


 思えば、昨年の休業期間は客観的に見ると相当シュールな状況だった。
アルバイトはもちろん皆休みだが、私を含め社員は全員隔日で出勤した。店を閉めているとはいえ、本は毎日のように刊行され、送品されるからだ。定期購読をしているお客様の商品の処理もしなければいけない。
 
 当時私は人文書と医学書の担当だった。書店はどこもほぼ同じだと思うが、新刊や話題書は基本的に目立つ場所に平積み、面陳する。お客様から見えやすいようにである。しかしながらそのお客様はいない。

 別の日にまた新刊が入ってくる。先日平積みしたばかりの書籍を1冊棚に差し、残りを返品する。普通なら本の仕入れにかかる費用は売上で賄うが、その売上がない。だから返品する。この繰り返しだった。

 週刊誌や月刊誌はバックナンバーを置かないので最初から出さない。書籍でも技量のある書店員なら1ヶ月先までの入荷予定を見越して、効率よく自分の受け持つ売り場をやり繰りするだろう。しかし私にはそれがうまく出来ず、自分でもアホみたいだと思いながら、日々ロボットのようにひたすら手だけを動かしていた。

 ひと月半が長かったのか短かったのか、今考えるとよく分からない。ただ少なくともあの期間、近隣に時短営業をしていた書店もあったとはいえ、本に関わる多くの「知りたい」「伝えたい」「届けたい」が失われたことは確実だ。永久にその機会を奪われた場所や人もゼロではない。


 今、首都圏を中心に多くの人が、同じかそれ以上の危機に直面している。私が住む北海道ももちろん対岸の火事ではない。そんな中でこれまた多くの人が、SNS上で「知」を守るために声を上げているのを見た。意思表示に使われる一つひとつの言葉は、紛れもなく「知」の賜物であり、表現するのは大変な勇気と覚悟が必要なことだと思う。

 私はこれらの意思表示に対して、現状賛同も反対も出来かねている自分が心底情けない、と感じる。普段であれば活気に満ちているはずの売り場へと、お客様を迎え入れる側の人間として、一体どういう言葉で表現するのが適切なのか、考えてはいるがなかなか良い答えが見つからない。

 そんな時、昨年書いた文章のことを思い出した。そして、今も考えが変わっていないことが分かった。稚拙で抽象的な内容だが、言いたいことはなんとなく伝わった。自分が書いたのだから伝わらないと困る。上の問いに対しての答えには到底なっていないけれど、一年前も現在も心のどこかにある書店員としての理想像を、今このタイミングでもう一度噛みしめるために、ここに引用したい。

 念のため、引用にあたって出版社さんに許可を頂いた。個人的な目的のために本社にまで確認してくださった営業担当のAさん。ホントすみません。


 あ、タイトル回収忘れてた!こんなおしゃれなタイトル、私には考えられないのでしっかり断っておく必要がある。ドラマ「北の国から」と並んで私の魂であるMr.Childrenに、「もっと」という曲がある。今回はその歌詞から拝借した。投稿を読んでくださる奇特な方は、この曲を聴きながらだとより理解しやすいと思う。多分。


 私が勤務する店に、とある常連のお客様がいる。市外に住み、在宅介護を受けているおじいさんだ。介護に関する本を代引配送してほしいとのことで、医学書担当で介護書も扱っている私がいつも電話でやりとりをする。注文はたいてい「介護の〇〇のことが書いてあって、字が大きくて、イラストがある本」というざっくりした内容だ。私は自分の書店員としての力量を試されていると感じつつ、必死におじいさんのご希望に沿う本を探す。選んだ本の内容を伝えると、「ありがとう、それを送ってください」とあっさり。あとで、「知りたかったものと違う」なんて言われやしないか不安になるが、幸いこれまでそんなことは一度もない。
 次に、出版社の営業の方から聞いたエピソードだ。昔営業で小さな書店を訪れた際、店員との商談中に、とあるお客様が入店してきた。するとその店員が、「〇〇さん、本が入ったからお取り置きしてますよ」と声をかけた。営業の方が、「ご注文の本ですか」と聞くと、「注文は受けてないけど、〇〇さんの好きそうな本はいつも取ってある」とのこと。お客様も特に内容を確認するでもなく、毎回お礼を言い買っていくのだという。
 書店も商売だから、売上を求め一冊でも多く本を売ろうとする。この営みの中で、「個別のお客様」と深く向き合うという意識が、大規模店になるほど希薄になりがちだ。小規模店が次々と姿を消していく今、前述の様なエピソードはほんの一部にしか存在しないのではないか。
 このような時代にあって、本に携わる私たちとは何なのか、と考えることがある。書店、学校、図書館、病院の待合室……。本は、今や私たちが少し手を伸ばせば届く場所にあるごく身近な存在で、手に取る人々の目的も様々だ。受験に合格するため。好きな子への贈り物に。あるいは、自分を介護してくれる人のために自らも勉強したい、なんて人もいる。
 本に文化的価値があって、それが人々のすぐそばであらゆる願いに寄り添うことであるとするならば、その文化の担い手である私たちはある意味、「本の守り神」のような存在なのかも知れない。神は、例えば勝手に本を持ち出す人には罰を与える。一方で、本と人との出会いに立ち会い、微力ながらも一人ひとりのその先に感動が生まれることを想像し、祈る。大げさだけれど、自分もその一人でありたいと、考えたりする。

ミネルヴァ書房発行 ミネルヴァ通信「究」2020年5月号(通巻第一一〇号) 
 本をめぐる声 第185話 「書店員は神様です?」より


 なお、ミネルヴァ通信「究」は毎月1日刊行、「本をめぐる声」のコーナーは全国の書店員や図書館司書など、本に携わる様々な方が執筆しており、その他にも多くの文化人、知識人による味わい深い連載が楽しめる「読書人の道しるべ」である。興味のある方はぜひコチラを。定期購読も承っているそうですヨ。

 https://www.minervashobo.co.jp/news/n5887.html

 営業担当のAさん、勝手にオススメしちまいました。ホントすみません。

 それではまた。

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