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ナンパかと思ったら脚フェチだった話


変態でも傘はちゃんと持ってるんだな。
私は急に話しかけてきたその男が腕にかけている黒い傘を見ながら、場違いな感想を抱いた。


「おねえさん、すいません」
数年前、用事を終えて帰宅しようと、曇天の街を歩いていたときのことだ。
突然、知らない男に話しかけられた。
ああ、またナンパか。どんなにイケメンでも無害そうでも、ナンパしてくる男と付き合う趣味はないんですよね、と思いながら声の主を見やる。


男は白いシャツに黒のジャケット、黒のスラックス、そして黒のシルクハットをかぶっていた。一見、おしゃれな青年だった。
返事の代わりに怪訝な視線を送ると、男は「おねえさん、脚すごくきれいですね」と言った。
「はあ……?」
「あ、ぼく脚フェチなんです。お顔とかより、脚がきれいな方が好きで」
「……」
なかなかパンチの効いた発言に面食らう。脚フェチ、そうですか。趣味嗜好は自由なのでかまいませんが、え、私の脚を気に入って、それ言いたくてわざわざ話しかけたの? 謎なんですけど。


「あの、ぼく新しいタイツ買ってくるのでよかったら今履いていらっしゃるタイツいただけませんか?」


ああナチュラルに変態だわ。ただの変質者だわこのひと。


「いやあ、それはちょっと……」
さすがに引きながら答えると、男は残念そうにそうですか……とつぶやき、「じゃあ、フェチについてカフェなどで語り合いませんか?」と目をきらきらさせながら提案してくる。
「フェチ、とかよくわからないですし知らない方とカフェに行くのは……」
「そうですか……わかりました。突然すいません」


ナンパしてくる人の中には、態度が大きかったりしつこかったりして不愉快としか感じない人がとても多いので、正直知らない男に話しかけられただけでいつもは辟易していた。でも、目の前のこの人はそこまで嫌な感じはしなかった。初対面にもかかわらず発言はなかなかぶっとんでるし、タイツを要求する変態だし、底知れぬ怖さがあるので一緒にカフェに行って話したいとはこれっぽっちも思わないけれども、始終丁寧な態度で接してくるし、こちらを尊重してくれているのが伝わるからだろうか。立っている位置も少し離れていて、近づかれすぎていないので威圧感がないし、話しかけてきた場所も人通りの多い道路だったので、不安も少なかった。


あからさまにしょんぼりする成人男性を前に、少し気が緩んだのだろうか、いつものように速足で立ち去ればいいものを、私は自分から男に話しかけた。


「あの、でも脚フェチの人に脚がきれいって言ってもらえたのは嬉しかったです。自分の脚を良いと思ったことがなかったので」


これは本心だった。
まず、脚の短さがずっと気に食わなかったし、ふくらはぎの筋肉が張っているのも嫌いで、すらっとしたまっすぐなふくらはぎの友達が羨ましかった。太ももも、反り腰なので前ももが張り気味で決して細いとはいいがたい。どこもここも嫌いで、ダイエットをしてみても変わり映えしなくて悩みの種だった。
このときの服装はスーツの膝丈スカートに黒のタイツ、3㎝程度の低いパンプスだったので、無造作にズボンとスニーカーを履いているときよりは美脚効果はあったのかもしれない。それでも、ここは人通りの多いオフィス街、それもちょうど夕方の帰宅ラッシュとなれば、私なんかよりもっと素敵な女性(彼目線でいうならば、とくに『脚が素敵な女性』)はごまんといるだろうに。
脚フェチの人のお眼鏡に適い、わざわざ私の脚を良いと思って声をかけて、褒めてくれたのは嬉しかった。(とはいえタイツの要求などには普通に心底引いたが)


「え! そうなんですか!? もったいない、こんなにきれいなのに。自信もってください!」


さすがフェチと自称するだけのことはある。熱弁されてしまった。
「ありがとうございます。あの、でもこういうことで急に人に話かけるのあんまりしない方がいいですよ、いつか通報されますよ」
「ええ、そうですよねえ。……気を付けます、あなたはお優しいですね」


変態にお礼を言うのも変だな、忠告するのもおかしなことだと思いつつ、そう口にすると、そんなことを言われると男も思わなかったのだろう。目を丸くして、けれど子どものように素直にこくんとうなずいた。「それでは、」と私たちは別れた。

今思えば、妙な邂逅だったな。でも、悪くなかった。


駅に向かう途中で、ぱらぱらと雨が降ってきたので、私は折り畳み傘を差した。
あの男も、持っていた黒い傘を差したことだろう。変態でも、雨に濡れては困るから傘を持って歩くんだな。
当たり前のことなのに、なんだか妙に新しい発見をした気分だ。


ふと、自分の脚を見下ろしてみる。細いとは言えない太もも、横に張っているふくらはぎの筋肉。
私自身が細くてすらっとした脚に憧れているので、これからも少しずつダイエットを頑張るのは変わらないだろう。


とはいえ、あの見ず知らずの男の言葉のおかげで、ずっと抱いていたコンプレックスが少しだけ軽くなったような気がした。
電車が今にも発車しそうだ。駆け足で最後尾の車両に滑り込む。つり革につかまって、通り過ぎていくオフィス街を見送る。見慣れた車窓からの景色が、いつもよりすがすがしく見えた。


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