殺人者の話

 彼が小学校内に入った時、ちょうどチャイムが鳴っていた。
 三時限目が終わり、ちょうど休み時間になった時だ。グラウンドを囲う金網に一箇所、穴が開いていた。彼が数日前に開けたものだが、学校関係者は誰も気づいていなかった。
 彼はそこから中に入ると渡り廊下に向かった。そこを歩いている女子児童の腹めがけてナイフを突き出した。女子児童はくぐもった声をあげて地面に倒れ込んだ。
 彼はそのまま校内に入った。
 校内は休み時間を満喫する生徒たちで溢れかえっていた。
 そこからは彼にとって楽園だった。
 最初に仕留めたのは彼の方に向かってきた一人の男子児童だった。ちょうど包丁を突き出すとそのまま目に刺さって身動きが取れなくなった。
 のけぞるように倒れた男子児童を見て、誰かが悲鳴をあげた。
 校内に侵入した彼の身長は150センチ。そこまで大きくない。
「せんせー呼んで!」
 誰かが叫んだ。
 一人の児童が廊下に倒れ、彼はかがみ込んで喉に出刃包丁の先端を突き刺した。
 そして近くの教室の戸を開ける。騒いでいた児童たちは彼を見て、何名かが沈黙した。だが、全員ではない。
 彼はすぐ手近の男子児童の口に出刃包丁を突き立てる。
 それを見ていた女子児童が叫んだ。彼が児童の方を向いた。そして耳に出刃包丁を突き刺した。

 担任教師が児童の悲鳴を聞いて教室にやってきた時、すでに教室のあちこちは血で染まっていた。
 彼は教師の姿を見つけると走って教室の外に出た。
 そして二階、三階と上にあがった。
 彼は六年生の教室に飛び込む。児童たちが悲鳴をあげた。
 彼はそのまま窓に突進し、開けた。そして空に向かって大の字で身を投げた。
 110番通報を受けてやって来た警察官は大勢いた。死亡は十五名で、重傷は二十名にものぼった。
 事件を受けた警察官が男の家に向かった。チャイムを鳴らしても返事はなかった。奇妙に思って玄関を開ける。
 上がり框のところに母親が倒れていた。居間では父親が背中をメッタ刺しにされて死んでいた。
 この一件は大々的に報道され、しばらくの間「何故、男は凶行に至ったのか」「何が目的だったのか」等々の議論が繰り広げられた。だが男は遺書も遺さず、犯行声明すらない。本人名義のSNSアカウントがすぐに特定された。事件直前に小学校校門の画像を投稿しており、「これからやります」と書いていた。普段は静かなコメント欄がその日だけはネットユーザーたちで溢れかえった。
 それはコメントの数を増やしながら、電子の海を漂っているだけだった。

 ******

 檜山千鶴が深刻な表情で床を見つめている。
 太陽の学校で事件が起きたと聞いた時、嫌な予感があった。
 そしてその予感は当たってしまった。
 太陽は腹を刺され、重傷だという。
 隣にいる夫・晴彦は手術室を見つめている。
 やがて手術中というランプが消え、扉が開いた。
 医師とスタッフ、そしてストレッチャーが中から出てくる。
「先生、息子は」
 晴彦が声をかける。
「大丈夫です。危うい瞬間がありましたが、なんとか持ちこたえました」
 千鶴が「あぁ……!」と声を漏らす。
「ありがとうございますっ、ありがとうございますっ!」
 晴彦が医師に頭を下げる。
 この事件の捜査は遅々として進まなかった。
 犯人の名前は桑山功児。昭和六×年生まれの男だった。
 近所の住民の話では、
「話しかけても返事しない、挨拶もやっと聞き取れる程度の声」
「子供の頃から大人しかった」
「あんな事をするとは」
「世も末」
 職場の人間は、
「勤務態度は悪くないんだけど、人付き合いが悪い。何かあっても黙っていて何を考えているかわからないところがあった」
 小学校の同級生は、
「身体が小さくてよくいじめの標的になってましたね。――(プライバシー配慮のためにカット)とかによくいじめられてて」

 檜山家の電話が鳴るのをやめてからもう二週間になる。代わりにピンポンダッシュや投書が相次いだ。
「なんでうちらがこんな目にあわないといけないの?」
 千鶴が頭を抱える。
 彼女の前には封筒の山が置かれてあった。中にはカッターの刃や誹謗中傷の手紙が同封されていた。
 結婚して三年目で授かった息子。それが刺されて、何とか一命を取り留めた。退院し、学校復帰のめども立っていた。
 だが事件は新たな面を見せていた。
「ねえ、晴彦。なんとか言いなよ」
 犯人である桑山功児は晴彦と小、中学校の同級生だった。功児を小学校から中学校までいじめていた主犯が晴彦だった。
 テレビの報道では実名は出されていなかったものの、SNSや掲示板にその名前が晒された。元々やんちゃでお調子者の面がある晴彦は様々な写真をSNSにアップしていた。多くは仲間たちとバーベキューをしたり、家族でどこかへ出かけたりした時の画像だった。中には昔からの付き合いがある仲間たちと悪ふざけをしている画像もあった。功児と晴彦の関係性が明らかになると瞬く間にアカウントは拡散され、コメント欄は心ない書き込みで炎上状態になった。彼はすぐにアカウントに鍵をかけた。だがそれでは時遅く、一部メディアに彼の顔写真が載せられてしまった。
 犯人・桑山功児が何も言わずにこの世を去ったせいで事件は「いじめ被害者が長年溜め込んだ鬱憤を殺人で昇華させたのではないか」という見方が強くなってきていた。もっともこれは公式の情報ではなく、ネット上で溢れる情報の一つでしかなかった。警察はそれを強く否定していた。だがそれに対抗できる情報がないため、「警察も事実を隠蔽している!」という流言が広まっていた。
「なんとか、って言われても」
 彼はそう言って封筒の山を見つめる。
「暇な奴がいるんだな、程度、かな……」
「ねえ!」
 千鶴がテーブルを叩いた。
「晴彦はいいよ! 会社に行けばいいだけだもん。でもさ、私はずっと家にいるのね。太陽だって今は休んでるけど、来週には学校復帰だしさ。近所の目とか、考えた事ある?」
 晴彦は内心で「ねえよ」と思った。
「変な書き込みとかが増えてから、近所で私避けられてるのね。友達に近づいて話しかけても皆上の空だったり、すぐに解散したり。どうするのよっ!」
 どうするのよっ! って言われてもなあ。
 晴彦は立ち上がり、仕事用の鞄の中を開いた。忘れ物はない。
「千鶴、気にしすぎじゃね」
 彼はそう言って鞄を持つと玄関に向かう。後ろからヒステリックな叫び声が響く。
 ちょうど玄関に行った時、階段の途中に太陽が立っていた。
「太陽、おはよう」
「おはよ……」
 この息子も元々気弱だったが、あの事件以降、それに拍車がかかったように見える。
(俺がガキの頃は学校行ったら挨拶代わりに功児泣かしてたけどな)
 太陽もそれぐらい元気だといいんだが、そうはならなかった。小学校でからかわれ、泣いて帰ってくる事もあった。
「お父さん会社行ってくるからな。お前、ちゃんとお母さん見とけよ」
 うん、と太陽がうなずく。
 外に出て車に乗り込む。ステレオからはお気に入りの甘いラブソング。
(全くどいつもこいつも辛気くさくて付き合いきれねえ)
 その日、仕事が終わって家に帰ったのは二十一時だった。玄関を開けると家は静まり返っていた。明かりはついているから、中に二人がいるのは間違いないのだろうが。
「千鶴? 太陽?」
 声をかけるが返答がない。舌打ちして靴を脱ぎ、中に入った。
 リビングのソファの上で千鶴が寝ていた。
「おい、千鶴。お前、挨拶ぐら――」
 だがすぐに異変に気づく。尿の臭いがした。顔は真っ白で、よく見ると呼吸もしていない。
 テーブルの上には安定剤と睡眠薬のPTP包装シートが置いてある。全て空だ。全部で百錠近い……。
「ち、ちづ、千鶴っ!」
 肩を揺するが返事はない。彼は携帯を取り出し、119番に電話をかける。
 千鶴の死亡推定時刻は十八時だった。
「その時、何してました?」
 取り調べに当たった刑事が訊いてくる。
「会社の人と一緒にいました」
「誰です?」
「事務員の……君島萌香さんです。夕食を食べてから、二人で、その……」
 刑事は冷徹に訊いてくる。
「夕食を食べた場所、その後で過ごした場所はどこですか?」
 彼はレストランと、ラブホテルの名前を喋った。
「あの、この事他の人に喋ったり……」
「捜査情報を漏らす事はありません」

 千鶴の義両親は泣き喚いた。そしてどこから聞いてきたのか、晴彦の不倫を責めた。
「お前が! 会社からまっすぐ帰ってれば! 千鶴は! 千鶴はあぁぁ!」
 義父が胸ぐらを掴んでくる。
 隣で義母は泣き喚いている。

 晴彦の転落は早かった。
 不倫相手の君島萌香はもう会社には来ていなかった。強引に迫られて仕方なく誘いに乗った、もう怖くて会社に行けない、と涙ながらに話したという。晴彦目当てにイタズラ電話も増えた。
「はるちゃんさあ」
 その日の午後、直属の上司に言われた。普段笑顔を絶やさない彼が氷のような無表情で、
「もうお前の面倒は見切れねえわ」

 自主退職を選択し、家も売り払った。だが自殺者の出た事故物件として大した額にはならなかった。
 荷物をまとめて実家に帰る途中、コンビニでボトル缶のコーヒーとジュースを買った。実家までの道のりは遠い。
 コンビニを出て三十分ほど走ったところで道の駅に寄った。そこでトイレと昼食を済ませる。
「僕はお昼いいや」
 トイレ後、太陽がそう言って車に戻った。
 車に戻った晴彦はコーヒーを飲んだ。
 道をしばらく進むと、テレビを見ていた太陽が声を出して笑った。
「げひょ、ぶひょひょひょ」
 変な笑い声で、妙に耳に残った。
 信号で止まった時、晴彦が訊いた。
「お前、なんだその笑い声」
「え、何が?」
 彼はため息をつく。
「お前、その笑い方止めろ」
 言った瞬間、晴彦の中でフラッシュバックがあった。
 功児も似たような笑い方だった気がする。
 彼は小学生の時、笑い方をネタにしてよく功児をいじめた。今考えると何かしらの障害があったのだと思うが、あの時は知るよしもなかった。
「笑うな」「こっち見んな」「近づくな」
 あの頃はよかった。気に入らない奴は殴ったり脅したりすれば全部解決できた。でも今は……
 そこまで考えたところで何かが脳に響いた。なんだ、ぼんやりする。
「薬十錠、粉にして入れたから」
 太陽がそう言って笑う。
「な、に?」
 太陽の顔がぼやける。
「前見ないと危ないよ」
 言われて前に向き直った。
 まっすぐにトラックが突っ込んでくる。気づくと車は対向車線を走っていた。
 晴彦は咄嗟にハンドルを切る。トラックが右側に避けていく。
 なんとかブレーキを踏んだような気もする。
 あとの事は、覚えていない。

 ******

 このニュースが流れるとSNSユーザーたちは素早く反応した。
「無理心中、かな」
「事件後、ネットで叩かれて奥さんも失ったからな」
「子供は?」
「私近所の者だけど、あの子ね、しっかりしてるよ。お父さんは植物状態になったけど、最期まで面倒見るって。できるだけ長生きしてほしい、僕はお父さんの家族だから、って」
「泣けるな。映画化してほしい」
「人が死んでんのに映画化とか本当に不謹慎です。人間性疑いますよ」
「不謹慎厨乙」

 ******

 小学校事件の数日前。
 太陽がブランコに座っていると、「一人?」と声をかけられた。
 見ると背の低い、いつものおじさんがいた。
「あ、おじさん」
「今日も、学校でいじめられたの?」
「うん」
 彼は悲しげに言う。
「家に帰ってお父さんに言っても、「やられたらやり返せ。お前が弱いから相手がつけあがる」って全然話聞いてくれないの」
「そっかあ……」
 おじさんは隣に座る。
「おじさんが、代わりに学校行ってあげようか」
「そんな事、できるの?」
 おじさんはうなずき、耳元で
「バーバー、ビラビラビー、バーバー、ビラビラビー」
 そう唱えた。
「唱えてごらん」
 太陽は同じように唱えた。
「もし、怖い目にあったらこれと同じ言葉を繰り返すんだ。そうすると天使がやって来るから」

 小学校事件の当日。
 太陽は教室に入ってきた男を見た瞬間、おじさん、と声をあげそうになった。
 だが普段と様子が違った。手に持っている刃物を見た瞬間、一瞬で身体が凍りつくのがわかった。
 そして切っ先がこちらを向く――
 消えゆく意識の中で彼は一心不乱にあの呪文を唱えていた。
 バーバー、ビラビラビー、バーバー、ビラビラビー

 おじさんはだが、彼の方を向かずに廊下に飛び出していった。

 ******

 太陽は今、暗い中に閉じ込められていた。
 そこからはわずかながら向こうの世界の様子が見えた。
 父の身体は運転席でぐったりしている。わずかに息をしていたが、身動き一つ取っていなかった。
 ここ数日、家族の様子をずっと見ていた。
 向こう側で太陽の身体を乗っ取った人間が様々な悪行を働く度、彼の身体は震えた。恐ろしさから、ではない。
 画面が変わる。
 父には人工呼吸器が取り付けられている。その前にはおじいちゃんとおばあちゃんがいる。
 その二人の間には太陽が立っていた。彼の顔は虚無を宿していたが目には喜びがあった。
 その時、後ろで羽ばたきが聞こえた。
 最初の時は近づいてくるだけで怖かった。それに、それが発する声も何と言っているのかわからない。人語ではないようだった。振り返って姿を確かめようと思ったが、怖くてできなかった。
 だが今ではそれの姿を見ても怖くも何ともない。
 それは最初の時と同じように頭に直接語りかけてきた。
「約束通り、家族がどうなったかを見せてやったぞ。今が期限だ」
 太陽はうなずく。
「あのあと、お父さんはどうなるの?」
 それは首を傾げた。
「現世に残った者次第だ」
 それが僕の手を掴む。
「お前、親より先に死んだ者がどうなるか、わかるか」
 あの時、おじさんが教えてくれた呪文は私の魂をあなたに捧げます、という意味がある、とそれが教えてくれた。
「答えを見せてやる」
 それは、羽根をゆっくりと羽ばたかせて自分がやってきた方向に太陽を連れて行く。亡者たちのうめき声や悲鳴が、大きくなってくる。

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