見出し画像

これから  [ショートショート]

「もう、生まれて半世紀がすぎたから」
こういうと聞いた者はみな怪訝な顔をするか、意味をとらえ損なってスルーするか、答えが閃いた者すらもその後のリアクションを決めかねて、「え??」と、笑顔を凍らせる。
 非常に面白い。我ながら大人げないのはわかってはいるけれど、しばらくはまだ続けるつもりだ。
若くみえる俺の年齢を聞いて驚くさまが、今は面白くてたまらない。
いいんだ。もう好きにさせてもらう。
だって、もう生まれて半世紀も生きたのだから。

 小学生の頃は、なんとなく優等生らしき域にいた。
田舎の山間の町に引っ越して、わからない言葉に戸惑いながらも、毎日黒いランドセルを背に学校に通った。
高学年になった頃、とうとう人生にギブアップし始めた。
昭和の大半がすぎ、人々はこう言っていた、「人生60年」と。

60年。

無理だ。まだ俺、11年しか生きてないのに、こんなに辛い。
この先これがずっと続くなんて、おれ、本当にどうやって生きていっていいかわかんない。
一人部屋の電気をけし、布団の中にまで押しよせてくる絶望に、俺は泣いた。

 30歳の誕生日を迎えた日、俺は一人で感動にうち震えたのを憶えている。

 誕生日など大して気にしていなかった。
誰かとケーキと美味しい物をたべ、なんとなくプレゼントをもらい、お返しにいいものあげなくちゃといらぬプレッシャーを自分に課した。
誕生日ってそんなもの、だったんだ。

ところが、だ。
俺は、その年に自分が何して暮らしていたのかもよく覚えていないし、今さら細かく思い出そうとも思わない。
ただ、その誕生日の一日の途中で、なんと「人生60年」の折り返し地点に来ていた事に、ふいに気がついたのだ。

ものすごく、感動した。
俺、生きてるよ。生きて生きて、生き抜いて、今ここに立ってる。ほら!!
生まれてたかだか30年とはいえ、それがどれほど辛いものだったかは、それこそ俺しか知りゃしない。知りゃ、しねぇんだよ。
それでも、俺は、俺自身をめちゃくちゃに褒めてやりたかったんだ。
数々の辛かった思い出が、多分に被害者妄想を含んでいたにせよ、脳裏に次々と浮かんだ。

 ひとつひとつ、すったもんだして、てんやわんやして乗り越えてきた。
越えられないという絶望すらも、歯をきしるほど食いしばって乗り越えてきた。
そんな事を思い出し、やっぱり泣いた。
 
 俺は感動し、思う存分過去との邂逅も果たし、ついには心のそこから安堵した。
もうあと30年がんばれば、終わりがくるだろうことに。
あと半分で、俺はお勤めを終え、安らかなる地へ旅立てるであろうことに。
南無三。がんばろう、と。

ところがどっこい、
うかうかと生きている間に、人生は100年にのばされてしまっていた。
「人生100年」
このフレーズが、どれほどの強い力で俺を打ちすえたことか。

まて、待ってくれ。60年て約束だったよな。
一括40年のびるとか、ほんと聞いてない。
あと30年だったのに。あと30年っていってたのに。
30年だったらやれるかもって、一生懸命いきてきたのに。
まだ健康な俺の右腕に、外せない延命用の点滴チューブをぐっさり突き立てられたような気分だった。

 それでもどうにか俺は、半世紀50年の節目を一年前に通過した。
やったぜ……折り返し。
俺は、真っ赤な三角コーンをヘロッヘロでターンしたのだった。


 最近、俺は長年の夢だった小説を書き始めることにした。
俺に文才があったらなぁって、ずーーっとまわりに言い続けてきた。
今思うに、確か30歳の偽ターンの時には、すでにそう思っていたような気がする。
そうそう、シーナさんが好きなことしちゃ楽しそうに書いてるのが、心底羨ましかったんだ。

いつか、俺も。

 その「いつか」が本当にやってきた。
今のところ、人生はまだ100年でおさまっているらしい。
散々苦労した俺の人生も、今になってみればそれほど悪くもないし、みじめでもない。
たとえみじめであったとしても、大切な俺の人生であることにまちがいない、と言い切れる。

 俺は、もう好きなように生きると、50歳を迎えたあの日、誓いをたてた。
ただ、「好きに生きる」。それだけだ。
そして、この一年間、それをひたすら貫いた。

 こうやって小説がかけることを、今は素直に嬉しく、誇らしく思う。
半世紀の集大成がこれならば、俺の人生の意味もあったというもんだ。

もし、人生が150年にのびるニュースが流れても、今の俺なら、もろ手をあげて歓迎するかもしれないな。


俺の人生、素晴らしき哉。




読んでくれて、ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?