見出し画像

読書感想#3 【神谷美恵子】「生きがいについて」【河合隼雄】「中空構造日本の深層」

 『生きがいについて』と題された本書は、その題名からも分かる通り、「生きがい」について書かれた本です。「生きがい」と聞くと、一見我々日本人には当たり障りのない言葉のようにも聞こえますが、実はこれは日本語だけにある言葉であるといいます。即ちこの言葉には、我々にとっては当たり前に思えても、実はある種の深い日本文化の思想が詰まっているのです。

 日本の文化はよく西洋のそれに比べ、曖昧な文化であるといわれます。「中空構造日本の深層」ではそれが「中空」という言葉で見事に表現されています。日本の文化は無分別、曖昧を好みます。例えば西洋を例に挙げた時、いわゆる一神教や中心統治などがいわれますが、これらは父性的、即ち物事を切断し、分離し行く特徴があります。この特徴に於いては、矛盾を含まず、論理的に整合性を持つ体系を樹立します。実は自然科学が西洋に於いて特に発展したのも、斯く中心モデルによる合理性、論理的整合性の寄与が大きいといわれますが、ただその一方で、自己の体系と矛盾するもの全てを排除するという傾向を持っています。故に固有の自我を確立することに拘っては、他者に対する自己主張、自己防衛がすぎることも少なくありません。

 一方で日本の曖昧文化に於いては、相対立するものや矛盾するものを敢えて排除せず、共存し得る可能性を持っています。即ち矛盾がそのままに中心を占めるのです。正に全てのものを全体として包みこむ母性的な機能をもったものが日本文化であるともいえるでしょう。

 思えば、「生きがい」という言葉は、その特徴を見事に兼ね備えた言葉といえるのではないでしょうか。生きがいとはそもそもどういう意味か、生きる意味?生きる楽しみ?他の言語ではこのような意味になるようですが、やはりそれだけでは捉えきれない、曖昧しかし重要な、独特な何かがあるのです。

 生きる理由は何か、もしこれを出発点として考える時、それは何処までも私という存在から始まらざるをえません。私の存在理由がある何かであるというとき、そのある何かのために存在する私は何のために存在しているのか、このような問答を延々と続けなければならず、ましてやその先にあるのは常に私であるからです。結果として、私中心の考え方になったとしても何の不思議もないでしょう。しかしだからといって、もし私という存在が偶発的で特別な意味を持たないものであるというように謙虚に考えたとしても、これは却って、自分と同じく存在している全ての生命から生きる意味を奪い去ることになります。どちらにしても私という絶対的な存在から離れられなくなるのです。

 しかし「生きがい」から私の存在を考えるとき、私は自分という存在を残しながら同時に、大いなる生命に接することが出来ます。私の生きがいは子供のためであるといっても、家族のためであるといっても、国のためであるといっても、世界のためであるといっても、「生きがい」という言葉に於いてのみは成り立つからです。これがもし、生きる理由ではそうは行きません。たとえば私が生きる理由が国のためであるといえば、そこからは何か支配的なものが感じられますし、一方で、生きる理由は私自身にあるといってしまえば、それはそれで自己中心的な考えに陥りそうであるからです。しかし「生きがい」という言葉は、斯くの如き私と世界という対立を軽々とのり超えて、世界に於いて生きる私という状況に、直に接することが出来るのであります。

⬇本記事の著者ブログ

https://sinkyotogakuha.org/



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?