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読書感想#56 【高坂正顕】「実存主義」「続実存主義」

出典元:実存主義 高坂正顕 アテネ文庫 1948/3/25発行 続実存主義 高坂正顕 アテネ文庫  1948/9/15発行

実存主義の挑戦

"実存主義"というのは、色々な角度から論じることができます。今回は、「実存主義はヒューマニズムである」を出発点とします。

ものresに対しては何であるかを問うことで一応充分であろう。しかしひとhomoに対しては誰であるかが問われなければならない。けだし人間は単に作られた道具のようなものではなくして作るものであり、前に横たわるものではなくして手の及び難き内面性であり、要するに客観性ではなくして主体性であり、普遍性ではなくして個別性であり、永遠の必然性でなくして時間的な偶然性であり、しかもその故にそれにとってはいかに在るか―その悩み、苦しみ、救済等々―が何よりの関心事であるからである。

p.9

すなわち、「物としての私」ではなくて、「私は誰であるか」の「私」を本願とするのが、実存主義なのです。

実存主義以前の哲学では、「私とは何か」という問いを立ててしまったがゆえに、「人間とは何か」「宇宙とは何か」という形而的な世界に縛られてきました。そして、答えの出ない問答に閉じ込められては、遂には生きる目的さえおろそかにしがちだったのです。「私」が何か分からない、この危機的状況を前に立ち上がったのが、"実存主義"です。どこだかよく分からない立場から「私」を掴もうとするのではなくて、「私」をして「私」を掴もう、これが"実存主義"の挑戦なのです。

決断の哲学

かかる人間存在にとっては、存在が本質よりもより重大である。このような人間存在の独自の在り方こそ存在existentiaの根源的な在り方であり、本来的な在り方ではないであろうか、特に実存Exis-tenzという言葉が現在使用されているのである。

p.9

"実存主義"においては、「自分とは何か」(=本質)が問題になるのではなく、「自分が何を為すか」(=存在)が問題になります。ゆえにそれは、決断の哲学であるともいえます。決断すること、これが"実存主義"において、最も根元的なものなのです。"実存主義"がヒューマニズムであるゆえんはここにあります。「遠い何か」ではなく、「今目の前にある現実」を問題とする、だからこそ、人間自身が主役となるのです。

それでは、私たちは一体何を決断したらよいのでしょうか。結論をいうと、それは「反復」です。反復とは

…自己が引き受けた使命と責任を、常に新なる決意をもって背負いなおすこと、ややもすれば慢性となり、単なる慣習となり易き日々の生活を、常に新なる決意をもって始め直すこと…

p.31

すなわち、

反復とは彼*もいふやうに、「飽くことのない愛妻なのである」。かかる決意の反復によって自己は自己に凝集され、自己の実存の深みが開かれて行く*キルケゴールのこと

p.31

これはいうなれば、自覚の哲学に似ています。自分の使命を、単に与えられたものとしてではなく、自覚によって自分自身に与えること、自ら使命を為すこと、ここに究極の決断があるのです。

もっとも、この決断は苦しみを伴います。たとえば、毎朝の電車通勤、満員電車のむさ苦しい不快感は、出勤の度に反復されます。この反復を、自らの使命として肯定しなければなりません。
その一方で、初めて味わった高級料亭の茶碗蒸し、初恋の惚揚感などは、いくら望んでも、二度と反復されることはありません。人生に二度はないという事実を突きつけられ、壁にぶつかり、全てを失う、この絶望こそがかえって反復されます。しかし、それでもなお立ち上がろうとすること、否、全てを失ったからこそ、真の自己が顕になります。これが決断です。

見るのではなく見渡すこと

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