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徒然コンテンツ評① "Re:ゼロから始まる異世界生活"は人間賛歌の物語

どうも、シンカー(@Sinker_1987)と言います。
普段は都内の某医大に通いながら、趣味に没頭する日々です。
これから最近摂取したコンテンツを、ジャンル問わずに紹介・評論していこうと思います。よろしくお願いします。(丁寧語ゾーン、これにて終了)

さて、今回紹介するのは"Re:ゼロから始まる異世界生活"(以下、リゼロ)である。最近アニメ1期を感想したばかりであるが、人間賛歌を象徴するような作品であったため、ここで紹介したいと思う。

1.視聴したきっかけ

 自分はこれまで有名な作品を忌避する傾向があった。みんなが聴いているからという理由でヒゲダンは避けたし、"King Gnu"も避けていた。しかし、ある時ふとこう思うことがあった。

みんなが触れている作品には、それ相応の理由があるのでは?

 言われてれば当たり前である。自分が普段聞いている"The Beatles"の楽曲群も多くの人に触れられてきて、今では手垢まみれだ。そして、ちょうどいいことに今は夏休みが1ヵ月強もある。そんな時に思ったのが

名作とされるコンテンツをちゃんと履修しよう

というものだ。そして、その第一回に選んだのがリゼロ…ではなく、実は五等分の花嫁であったが、そちらは漫画もすべて読み終えてから書きたいと思う。今回はリゼロのアニメ1クールを視聴した状態での感想を書いていきたい。

2.視聴前の印象

 視聴前の印象は端的に言うとこうだった

あーなろう系ね。どうせ異世界に飛ばされて、異常なまでに強い能力で多くの人に慕われて、女の子とハーレム生活でしょ。

 リゼロは元々"小説家になろう"という無料で小説を投稿できるサイトで火がついて書籍化された作品である。このサイトで人気となった作品は所謂"なろう系"と形容されることが多いのだが、それらには以下のような特徴がある場合が多い。

  • 現代から異世界に転生する

  • 主人公は多くの作品で異常なまでに強力な力を付与される

  • ヒロインとなる女の子が多数現れて、ハーレム状態

上記のような特徴のあるなろう系について皆さんはどう思っただろうか。率直な僕の感想は

なんの苦労もなく強くてニューゲームなんて面白いか?

である。
 確かに、フィクションの強い人物に多くの人は惹かれる。僕だって昔は"とある魔術の禁書目録"の一方通行のベクトル反射に憧れたし、"BLEACH"の黒崎一護の天鎖斬月に憧れたものである。しかし、彼らは最強なだけではない。一方通行は初期を除けば電極なしでは能力使用はできないし、作中では大きな罪を犯したことに彼なりの罪悪感を抱いている。一護だって、何もせずに天鎖斬月を取得したわけではなく、血のにじむような特訓の末に獲得した技である。
 一方で、所謂なろう系と呼ばれる作品はどうだろうか。何も苦労せず能力が付与されて無双し、女の子は勝手に寄ってくる。心的な葛藤は当然起こらないし、起こったとしてもそれは些細なものである。こんな起伏のない作品をどう楽しめというのだろうか。味のないガムでも食べている気分である。そんな感じで、僕は視聴前は極めてネガティブな感情が強かった。

3.視聴後の感想(視聴前とのギャップ)

 そんな感じでギターの練習の合間に軽く見る程度から始まった。しかし、リゼロは僕がこれまで描いていたなろう系のイメージとは大きく異なるものであった。

あれ?主人公が強くない…?

 そう、この作品、主人公が強くない。主人公に与えられた能力はたった一つ。それは、

死んだら死に戻りすること

 ただそれだけ。リゼロの主人公であるナツキ・スバルはある日急に異世界に飛ばされる。そこで、路地裏のチンピラに絡まれる。その場をある少女が助けてくれるが、その少女はあるものを盗まれていた。その盗まれたものを探しに盗品村へ行くが…、というのが最序盤の物語の流れである。スバルが盗品村に行くと盗んだ張本人がおり、返してもらうよう交渉をする。しかし、そこに突如凶器を持った人に襲われ、スバルは命を落としてしまう。目を開けると、転生直後の街に戻されている。この死に戻りについて知っているのはスバルだけ。他の人の記憶は、すべてなかったことになっている。そんな死に戻りの能力だけを頼りに、何度も色々なルートを試しては死んでいくことを繰り返し、ようやく問題解決を目指すのがリゼロという作品である。

 リゼロは先ほどの章で書いたなろう系の特徴の1は満たしている。3も、まぁ部分的には満たしていると言えるかもしれない。しかし、2は明確に満たしていない。ナツキ・スバルに特別な能力はないのだ。ただの引きこもりをやっていた高校生である。そう、このリゼロという作品、とにかく過酷なのだ。

4.ナツキ・スバルの魅力

 主人公のナツキ・スバルはとても人間的である。それこそが彼の魅力である。ネットでは彼のことを「うざい」「嫌い」などと評する声もあるが、とんでもない。彼こそがこの作品を唯一無二のものにしている。

 スバルは前述の通り、死に戻りすること以外特別な能力がある訳ではない。彼はいたって普通の高校生である。近くにハーフエルフの美少女がいたらすぐ恋をしてしまうし、死ぬのは怖いし、でも好きな女の子の前では見栄を張りたがる。そんな等身大の、等身大すぎる高校生である。フィクションとは思えないほどに。だからこそ、彼の葛藤は胸に強く刺さる。死に戻りについて知っているのはスバル本人だけだし、それを公言すると周りの人が死んだり、自分の命が破壊されそうになるため言うことができない。誰にも自分の悩みを正直に打ち明けられない苦しみは想像を絶するだろう。その中で、毎回無残な死に方を体験する。自分が死ぬだけならいいが、毎回自分以外の人も無残な死を遂げながら、絶望して死んでいくことも珍しくない。そんな絶望的な状況でも、なお好きな人の笑顔を守りたい、その一心で立ち上がるのである。

 リゼロの素晴らしいポイントとして、スバルの死の描き方も挙げられる。彼は作中で、1期25話の短い間に10回以上も死ぬことになる。だが、その死の描き方が毎回生々しく、とても重々しい。回数を重ねていくと、「あーまた死ぬのね」みたいにマンネリ化してもおかしくないのだが、毎回重々しくて辛く苦しい様子が克明に描写されている。死は何度繰り返そうが辛くて苦しくて、そして怖いものであるということを受け手に強く教えてくれる。
 そう、生命はそんなに軽いものではないのだ。悲劇をテーマにしながらも駄作となった作品たちに多いのが、生命の扱いが軽いのである。人が死ぬというのがどれだけの恐怖を植え付けるのかが、わかっていない。魔法少女まどか☆マギカは名作とされているが、マミさんの死だって決して軽くは描かれていなかった。序盤に死んだからネタにされがちだが、あのシーンの重々しさでまどか達は恐怖を強く実感することになる。その点、リゼロの死の描写はとても巧みである。一回一回の死が苦痛を伴うことを、こちらの胸が痛くなるほどきっちりと受け手に提示してくれている。

5.リゼロは人間賛歌の作品

 スバルは何度も死に戻りをしながらも、それでも死に対して「怖い」「苦しい」と感じる描写が多く見受けられる。また、勝てる可能性がほぼゼロの相手にも、「自分の恋した人間にいいところを見せたい」という一心で突撃して、ボロボロになってしまう。どこまで死に戻りしても解決の糸口が見えない時に、問題をすべて投げ捨てて逃げ出そうとしたことさえある。その時は、自分が見栄っ張りで情けない人間であることを吐露し、しまいには自己嫌悪に陥っていた。そんな姿を見て、こう思った

人間賛歌だよ、これは

 人間賛歌、とは"ジョジョの奇妙な冒険"の第一部でツェペリさんが主人公のジョナサン・ジョースターに言ったセリフである。そのセリフは以下である。

人間讃歌は勇気の讃歌!!
人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

 スバルの相対する敵は人智を超えたようなものばかりである。時に心が折れ、時に恐怖で涙を流し、それは傍から見たら醜く映るかもしれない。しかし、それが人間の本質でもある。読者諸君も経験はないだろうか。大きなハードルを前にして挫折した経験、勝負から逃げて涙を飲んだ経験。そうした醜悪に見える部分までひっくるめて、なお人間の素晴らしさを語っている。人間の素晴らしさの本質、それは勇気である。スバルも勇気というただ一つの武器だけを胸に、何度死んでも立ち上がる。これは大いなる人間賛歌の物語と言えるのではないだろうか。

 僕は主人公が挫折してくれる作品が好きだ。臆病で卑屈で弱くて、でも大事な人が酷いことをされるを指をくわえて見ていることなんてできない。そんな人間らしい主人公が好きだ。これからもナツキ・スバルは何度も死ぬことになる。それでも、彼に諦めは似合わない。作中でもレムが同様の発言をしているが、僕もそう強く思う。

6.まとめ

 今回はリゼロについての感想を書いてみた。文庫での発表は勿論のこと、"小説家になろう"の方でも随時更新されているので、アニメ2期を見終えたらそちらも読んでみようと思う。最後に、アニメ1期OPの曲がとても好みだったので載せておく。この曲のギターリフはパワーコードとオクターブというわかりやすい構成なのだが、それがまたかっこいい。"次への僕に託したよ"という歌詞が、リゼロの内容を明示していて素敵である。

以上!また次回!

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