見出し画像

文楽の景清

落語と笑いは切っても切れないものだが、笑えない落語というものに初めて接したのは、桂文楽の『景清』だった。落語家のことを噺家とも言うが、こういうのが噺家の人情話なのかと合点した。

おぼろげな記憶だが、こんな筋だった。

腕のたつ若い木彫り職人がいたが、目が不自由になり、投げやりになっていた。それを心配した世話やきの旦那が若者に清水観音への百度参りを薦める。熱心にお参りを続けて、満願の日にいよいよ開眼と観音様に願いを込めて、手をたたく。ここのところは観音様でも柏手だったが、話の流れが合掌より手をたたく方が自然で、文楽の話術に引き込まれていく。

しかし、若者の目が開くことがない。やるせない気持ちで「『今日の着物は縞だからね。目が見えるようになって縞模様が分かるといいね』とおふくろが効かない目で縫ってくれたんだ」と嘆く下りは聞いていても堪らなくなる。

2度、3度と手をたたき、観音様に願うが、願叶わず、ヤイカンコウと悪態をつく。そこに例の世話好きの旦那が現れて、若者に「短気を起こしてはいけないよ。お前は、江戸で一二を争うという木彫りの腕を持っているんだ。そのお前がこんなことでくじけてはいけない。百でだめなら二百、二百でだめなら三百祈願すれば、必ず観音様に通じるから」と諭す。旦那は、若者のことが気がかりで、陰から見守っていたのである。

再度、奮起して、拝んでいると、そこに豪雨が来て、雷が鳴る。慌てた旦那は逃げてしまう。若者は雨に打たれ、大慌てで逃げるが近くに雷が落ちて気を失ってしまう。

しばらくして、空が晴れて、若者は気がついて起き上がると、目を開けることができた。観音の信心の結果、目が見えるようになったというおめでたいお話。

現代なら観音信仰の代わりにあるのが、医療への信頼なのだろうが、この話で心を打つのは旦那の親切心や母親の愛情である。ついこの間の昭和の頃までは、隣近所にも、職場にもこの旦那のような世話好き、ときにおせっかいな人がいた。母親が縞模様の和服を縫ってくれたという下りも好きだ。目頭が熱くなる思いをしながら聞いた記憶がある。

この『景清』の舞台は、上野公園の清水観音堂だ。堂の近くに広重の『名所江戸百景』に描かれた月の松が再現されている。見渡せば、眼下に不忍池と弁天堂が見えて、遠くに本郷の台地が望める。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?