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オリンピックは参加することに意義がある

今年はパリでオリンピックが開催されるが、バレーボール代表チームが男女共に出場権を獲得かというニュースが流れていた。そのニュースを見て、オリンピックは狭き門、出場できない選手たちがいる、それは、つまり出場できない国があるということだと感じた。

オリンピックには、スポーツごとに出場枠があり、バレーボールでは男女それぞれ12である。
オリンピックの花と言われるマラソンでも、男女それぞれ80とされている。世界の国数に比べてはるかに少ない。

多くのアスリートはオリンピック出場に向けて少ない出場枠の中、奮闘している。日々の練習や試合、世界選手権、海外での試合等を経て勝ち抜いていく。オリンピックに出るということはずいぶんと大変なことだ。身体も時間もお金も使う。

出場枠があるので、オリンピックに出たくても出られない国があり得るということになるが、はたしてオリンピックに出場できなかった国はどのくらいあったのだろうか。気になるところだ。

オリンピックは参加することに意義がある

これは、クーベルタン男爵の言葉である。その真意は、世界中から選手たちが集まり、試合の勝ち負けを越えて奮闘努力し、試合等を通じて交流し理解を深める平和主義であると思うが、最近はほとんど聞かれなくなった。オリンピック憲章には書いてあるかと思ったが、見当たらない。

聞かれなくなった理由は、オリンピックにおける競争主義があり、それとクーベルタンの言葉とは相容れないものがあるからなのだろう。世界中から公平に若者が集まるという保障がない。勝負を二の次にして、参加することで充分ということは、非常に難しい。

「参加することに意義がある」とは、「オリンピックに出場できた強い選手は、勝ち負けよりも参加することに意義がある」という意味なのだろうと解釈しても、出場権を得るまでの競争主義がオリンピックでは忘れたかのように非競争主義に変われるなどとは考えられない。

選手たちは出立の日には大勢に見送られて、帰るときはメダリストだけが華やかに迎えられ、敗者は静かに帰国する。国際親善よりメダルだ。やはりオリンピックの本心は「勝つことに意義がある」ではないかと思いたくなる。

オリンピックの過度の競争主義は、エリート教育を生み、金がある国はますます強く、貧しい国はメダルから遠ざかっていく。オリンピックとは、大国と小国の力(国力や経済力)の違いを見せつける場のようだ。競争、エリート主義、金、格差、平和・・・・このなかでオリンピックが最も大切にすべきものは何だろう。


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