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おばあさん

幼い時に祖母に連れられて毎日のように消防自動車を見に行った。いつも消防署と通りを隔てた向かい側の民家の前に立って消防自動車が出てくるのを待った。待っていても1台も出てこないことがあり、すると「今日は出てこないから帰ろうよ」と祖母に促されて帰った。雨の日にも行った。民家から婦人が出てきて、「雨の日なのにご苦労様ですね。今日は来ないと思ってましたよ」と言い、家の前に植えられているイチジクの実をもいでくれたこともあった。

箪笥の上の「鼠入らず」と呼ばれた食器棚を祖母は小物入れに使っていた。祖母は、そこから毎日板チョコレートを取り出して、銀紙をむいて、一粒だけ、姉とわたしにくれた。決してそれ以上はくれなかった。

祖母は、決して多弁ではなかったが、つぶらな瞳で笑いかけてくれた。社交的な人で、今思い出すと昼間に家にいるより、近所の知り合いの家に長居していた記憶がある。特に浅草出身の森さん宅とは親しかった。

小学低学年の時に、伯母たちと千葉に引っ越した。新宅は、ちょっと広い庭があり、トウモロコシ、茄子等の野菜畑を作っていた。農家出身の祖母には幸せな日々だったと思う。夏休みに遊びに行くと、庭からトウモロコシを取ってきて、蒸したての熱々を食べさせてくれた。そういう夏休みが中学生の時まで続いた。それから空白の数年があった。

祖母は、大学2年になる春に亡くなった。朝トンカツを食べたら、戻してしまい、そのまま亡くなったらしい。葬儀の日は、3月彼岸の頃とはいえ肌寒い陽気だった。自宅での葬儀だった。僧侶の読経が終わり、火葬場に行くための最後の儀式となった。棺おけには数年会っていなかった祖母が安らかな顔で横たわっていた。フタが閉ざされ、会葬者とともに石づちを持って釘を打った。打っているうちに涙があふれ出てきて、人に見られないようにと、こっそりと2階に上り、ひとり部屋に隠って、数時間も椅子に座っていた。だから火葬場には行っていない。

ある日、庭にいたら、近所の森さんのおばあさんが寄ってきて、「おばあちゃんは元気?」と聞いた。わたしは「亡くなったんです」とぽつりと言った。そして何年も祖母のことを心に留めてくれていたのだなと思った。


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