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友の死 君送る告別式の空晴れて

友が八ヶ岳の赤岳でなくなってから数十年が経つ。今でも、彼が生きていたら、自分の周囲がどう変わっているかなと思うことがある。それほどに自分に影響を与えた友だった。

彼は、急に山に行きだして、取りつかれたように登山をした。東京近辺の瑞牆山から始まり、遠く早池峰、新潟の巻機山、南アルプスの北岳、冬の北八ヶ岳と次第に高山や雪山に惹かれたようだった。そして五月の連休に南八ヶ岳の赤岳で遭難した。

亡くなる前に私に会いに来て、「じゃあ行ってくるよ。また来週!」と、つぶらな瞳に満面の笑顔を漂わせて去って行った。それが彼の顔を見た最後だった。場所は、職場の水飲み場のある2階の角で、時は、亡くなる前の週の金曜日の夕方だった。

葬儀が故郷で行われた。恵那山が近くに見える斎場に大勢の友人知人が集まった。その日は、悲しみを打ち消してくれるように、五月の空が青く澄み渡っていた。すると、見上げていた雲ひとつない青空に飛行機雲が走って行き、友の御霊が天翔けるような気がした。後で、こんな短歌が私から口ずさみ出た。

 君送る告別式の空晴れて
 飛行機雲の走り行く見ゆ

お別れの時になり、友の柩が開かれた鉄の扉の向こうに、するすると去り行こうとした時に、彼の母君が柩に走り寄り、ひとこと「ばかァ」と叫んだ。その光景が今でも脳裏に焼きついて忘れられない。

一度、彼の墓に行ったことがある。亡くなった年に彼の兄や友人と墓参りをしたので、2度目の墓参りだったが、記憶をたどりながら、三菱工場のあるバス停から彼の実家の前を過ぎて、畑の道を通り、さらに先の方の広々とした見晴らしの良い場所にある墓に行き、手を合わせた。今行こうとしても多分迷うだろう。それほど遠い昔のことなのだが、彼の笑顔だけは、何故かはっきりと思い出すことができる。



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