今という時しか時はない
みちのくの山寺の天狗岩に白百合が咲いて風に揺れている。その岩の上に腰かけていたら、蝉が飛んできて目の前の岩に止まった。するとこんな言葉が自然と口から出てきた。
「また、ここに戻って来ても、この蝉には会えないよね。蝉は数日しか生きられないから」
すると、隣に座っていた人がびっくりしたように「ファンタスティック!!」と言った。
蝉の命は人より短い。その日その日を天に任せて生きているのだろうと言ったら蝉には失礼だが、人間とは心持ちが違うだろう。人生の長さを意識しないで、蝉のように一日一日を無心に生きていけたらな、と思う。人生の長さを考えるときに、なぜか蝉のことが思い出される。人は、蝉よりも数百倍も長生きするのに、更に生きたいと願う。長生きしても、まだ満足しない。死への不安を抱えたまま、生きることに執着する。長さではなく、どう生きるかが大切だ、とは言い古された言葉だ。だが間違ってはいない。今日を生きよう。
今日を生きようと思ったら、未来や過去というものに実体はない気がした。タイムマシンはできないだろう。過去には行けない。未来にも行けない。存在しない所には行けない。未来も過去もないと思うのは宗教と同じかもしれないが、未来も過去もないから今を生きる決意が強まる。今という時しか時はない。今が過ぎて、また今になる。それが繰り返される。未来も過去もなく、常に今である。さあ今を生きよう。
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