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山下書店と『うさぎの王子様』

小岩駅を降りて、今はフラワー通りと言われている駅前通りの左側をしばらく行くと山下書店という本屋があった。ブックカバーには、日傘を指し歩く婦人や橋を渡る人の版画が描かれていて、童話の一場面を連想させた。

この本屋で、父が就学前から私に本を買ってくれた。はじめて買ってくれて読んだのは、『うさぎの王子様』というスペインの童話集だった。この中にこんな話があった。

「これを王様のお城に届けておくれ、途中で人に聞かれても決して中味を言ってはいけないよ」と母親から大切な物を持っていくように頼まれた1番目の息子がお城に向かいました。途中で魔女が現れて尋ねました。
「お前は何を持っているのかね」
「この箱には王様に届けるソーセージが入っています」と答えると、魔女は「そうかい、では本当にソーセージになるがいいさ」と言いました。
王様の所に着いて箱を開けると中には魔女が言った通りにソーセージが入っていました。

2番目の息子も母親から頼まれて、王様のお城に向かいました。途中で同じように魔女が現れて、中味を聞きました。「この中にはソーセージが入っているだけです」と答えると「では、本当にソーセージになるがいいさ」と魔女は言いました。お城に着いて、箱を開けると同じようにソーセージに変わっていました。

今度は3番目の息子が頼まれて、「途中で人に聞かれても決して何が入っているかを言ってはいけないよ」と言われ、王様のお城に行きました。途中で魔女が現れて、箱の中味を尋ねました。3番目の息子は、正直に「この中には王様に届ける大切な某が入っています」と答えました。すると魔女は、ほほ笑みながら「では、本当に箱には某が入っているだろうよ」と言いました。お城に着いて、王様の前で箱を開けると本当に某が入っていました。3番目の息子は王様からご褒美をもらいました。

こんな正直者を称える寓話的な話だったが、大切なものが何だったか忘れてしまった。3番目の息子は賢くはないが、正直な心根のやさしい人物と書かれていた記憶がある。

悪知恵があり、悪魔をこらしめる男の話もあった。死後、男には天国の門は閉ざされていて、仕方なく地獄の門を叩くと、例の悪魔が現れて、「この男は恐ろしい奴だから、決して中には入れては行けない」と叫び、地獄の門も閉ざされてしまい、途方くれるという話だった。

それから父が時々山下書店で本を買ってくれた。日常の現実とはまったく違う夢の世界がそこにはあった。引っ越すまで、少年時代と学生時代は、ずっと山下書店の世話になった。

昭和の末に江戸川区西葛西に住んだとき、メトロ街に山下書店があった。店主に小岩の山下書店の話をすると、今はなくなって、社長は、新宿の山下書店にいるようだと教えてくれた。この店は今は閉店している。その後、職場に近い半蔵門駅に山下書店があるのを知った。その時もらったブックカバーを今見ると、東銀座店、半蔵門店、新宿西口第一店、新宿西口第ニ店等、11店が記載されていて、あの小岩の書店がずいぶんと大きくなったのだなと感無量だった。ブックカバーに描かれた、橋を渡る人たちの絵は昔と変わっていなかった。懐かしい。しかし日傘を指した人はいない。記憶違いだったようだ。

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