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日本橋の景観

月に何度か日本橋を渡る。頭上には高速道路が走っている。東京に高速道路が造られのは、前の東京オリンピックの時だった。高速道路網は、新幹線と並んで経済成長する日本を象徴していた。オリンピック開催国にふさわしい近代化された国を海外からの旅行者に見せたいという当時のリーダーたちの意気込みを感じる。この前の東京オリンピックより、1964年の方が問題がなく、国民全員が燃えていたという記憶がある。

急いでいたのだろう。高速道路は、河川を利用して、その上に建設された。隅田川から堅川の上に、中川と荒川の間の土手上に造られている。日本橋川も利用されて、そのために日本橋や江戸橋を覆うように高速道路が走っている。まあ、雨の日は濡れないでいい。その代わり青空が見えない。この高速道路を地下に移設して、日本橋川に青空を取り戻そうとする計画が始まっている。2035年に地下ルートの完成、2040年に高架を撤去する予定だそうだ。日本橋川に青空を取り戻したいという動きは、地域住民はじめ関係者の熱意の賜物だろう。

日本橋川に青空が戻る日が待ち遠しい。遊覧船から見る鬱陶しい景色がさぞや晴れ晴れとするだろう。それとともに、高架が取り除かれて、丸裸になった日本橋河岸がどの程度美しいのかが気がかりである。きっと、河岸の景観も整備されて、美しさを増すことだろうと期待している。日本橋川を浄化しようという動きは聞いているが、同時に水質ももっときれいになることだろう。

これとは別に江戸城の天守閣を再建しようとの活動がある。
江戸城の天守閣は明暦の大火で焼け落ちて、その後、再建されていない。平和な時代に天守閣は必要ないと再建に異議を称えたのが保科正之だった。そのお金は、他の復興に使えたことだろう。富士見櫓が天守閣の代わりとなり、天守閣がない期間が350年以上続いたことになる。天守閣がないという歴史には重みがある。

復元の判断は、なかなか微妙である。その時の治世者の理念も影響する。日本橋川の高速道路は、どちらかと言えば急ぎ工事である。天守閣を再建しないというのは、治世者の理念であった。復元したときのメリットの違いもあるかも知れない。日本橋川に青空が取り戻されることは、浮世絵にも描かれた人々に慣れ親しんだ風景がよみがえることだが、仮に再建された天守閣のある風景は、300年以上人々が慣れ親しんだ風景とは異なったものになるだろう。ときどき渡る日本橋を思いながら、景観復元の難しさ、微妙さに思いが及んだ。

(写真 日本橋から江戸橋方面を望む)

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