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サンドイッチの思い出

小学4年の頃、友だちが学校の宿題をやりに家に来た。終わると母が食パンで四角いサンドイッチを作ってくれた。耳がないサンドイッチは小さかったし、数も多くなかったので、すぐに食べてしまった。少ないからなのか、学校給食の固いコッペパンに飽きていたのか、とても美味しかった。たしかハムや胡瓜、ポテトサラダが入っていた。友だちが帰った後で母に「サンドイッチ美味しかった。でも、ちょっとしかなかった。すぐに食べ終わってしまった」と言ったら「今度はもう少し沢山つくろうね」とやさしく言ってくれた。

パン屋で買ってくるサンドイッチはハムが1枚だけ挟んであるというものだったが、ハムは見事に薄く、今の半分位の厚さしかなかった。だから母の作ってくれたサンドイッチが一層美味しかったのだろう。

サンドイッチは、イギリスのサンドイッチというトランプ好きの貴族が、食べる時間も惜しんでトランプをしていて、片手で簡単に食べられるものとして考案されたというのが通説で、パンで挟んだものは全てサンドイッチと呼ぶのが本来だそうだ。

受験の時には消化のよい弁当をもって行けということから、受験の日にサンドイッチを持って行った。受験の思い出とサンドイッチの思い出が重なっている。

戦後に鶴田浩二のヒット曲に『街のサンドイッチマン』という歌謡曲があり、サンドイッチマンが街頭を歩いていた時代だったが、広告看板を身体の前面と背中にぶら下げていることから、サンドイッチマンと言われた。

『街のサンドイッチマン』の歌は懐かしい。一緒に住んでいた年長の従兄弟が幼少の私に教えてくれて初めて覚えた歌謡曲だった。「ロイド眼鏡に燕尾服」という歌詞にある服装もどういうものか知らずに歌っていた。サンドイッチマンのスタイルは、今ではちんどん屋に見られるだけで、すっかり棒のついた手持ちのプラカードに変わった。

サンドイッチマンは、今ではお笑い芸人のサンドイッチマンを連想し、戦後の風物詩のサンドイッチマンを知る人も少ないだろう。『街のサンドイッチマン』の歌は、宣伝の仕事をする人に過ぎないサンドイッチマンに哀愁と笑いのイメージをふくらませていた。

今ではサンドイッチは、ハムサンドの他、たまご、コロッケサンド、カツサンド、さらにフルーツサンドとバラエティになっている。厳密にはハンバーガーもパンで挟んだものなのでサンドイッチに入るらしいが、薄い板に挟まれたサンドイッチマンのように薄い食パンに挟まれたサンドイッチがサンドイッチだとついついイメージしてしまう。これも子どもの頃の思い出が強いからだろう。

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