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痛さ・痒みと幽体離脱

痛さを感じなかったら、人間はずいぶんと無謀なことをするだろう。何かにぶつかっても痛くない。人と人がぶつかり合っても痛くない。気がつかないうちに大ケガをしていたり、さらには死んでしまう。痛みは危険に対する身体の出す警告なのだろう。こういう風に痛さの理由については、自分なりに納得しているのだが、痒みは謎だ。ヒスタミンという物質が出て、神経を刺激して痒みを感じさせるらしい。

最近、乾燥肌が進み、痒くなってきた。乾燥により皮膚のバリアがなくなり、外の刺激に敏感に感じ、痒み症状になるのだが、痒いと掻いてしまい、掻くと更にバリア機能が失われる悪循環になる。痒みが痛さのときとは違い警告になっていない。保湿剤を塗りなさいと教えているとしたらずいぶんと高度な教え方だ。痒いから痒くならないという行動が痛さのように簡単には見つからない。痒みが防衛に役立っていない、そんな仕組みが何故あるのか不思議だ。

外敵からの攻撃や事故から身は守れ、痛さを防ぐことはできる。しかし、痛さにも防衛のしようがない病気の痛さがあり、鎮痛剤のような薬物によらなければならない。

医療は、個人の防衛力を越えて人類の叡智を結集した防衛とも言えるのだが、こうなると痛さや痒みを防ぐには、人間の叡智を高めるしかないと思われてくる。叡智を結集して、個々の痛み痒みから人を救う。こういう仕組みを作った万物の創造者は、偉大だなと思う。

さて、最近見ているテレビドラマで、ヒロインが恋人の生命を救うために死神と契約して五感を失っていくというものがある。味覚、嗅覚、触覚を失ったところだが、やがて視覚と聴覚を失うのだろう。感覚を失うことは、外部からの情報が入ってこないことになる。動物は、入力、処理、出力の繰り返しで生きている。処理能力だけでは、夢見る世界にいるということだろう。五感を失った状態では臨死体験をすると『臨死体験』(立花隆)にはあった。そこには、脳内現像としては解決できない現象である、魂が幽体離脱して、外界の状況を観察した例があった。ドラマは、五感を失ったヒロインの心が、直接、恋人の心と交流することになるのだろうか、それはそれで明るい結末とも思えるのだが、はたしてどうなるのだろうか。



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