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セザンヌの絵の切り抜き

何のパンフレットを切り抜いたのか分からないが、手もとにセザンヌの絵の紙切れがある。絵の下の方にベルリン国立ベルクグリューン美術館が所蔵する『セザンヌ夫人の肖像』とある。46✕38cmの小さなキャンバスに描かれたものだが、小片そのものは名刺大で更に小さい。栞にでもしようと切り抜いたのだろう。下地が残っていて未完成だが、塗り残しの風合いが良くて上手いものだなと思う。

セザンヌ―生前は評価を受けることなく、孤高の道を歩んだ孤独の画家。

この小さな『セザンヌ夫人の肖像』を見ながら、頭の中にある拙い知識を探りながら西洋絵画が歩んだ道を思い浮かべていた。

昔は絵はモノクロで描いて、その上に彩色を施した。次第に画家たちは、明るい外の陽光に見せられて、戸外に出るようになった。簡易なイーゼルが作られて、屋外の製作が可能になった。それまでは、風景をスケッチして持ち帰り、室内で製作していた。フェルメールの絵には窓から差し込む日の光が描かれていて、自然の光への憧れが感じられる。

印象派の画家たちは、太陽の下でのびのびと自然の風景を描いた。そして日の光そのものに魅せられていった。描かれた人物には陽の光が万遍無く注がれた。線で形をとり色を塗るということを止めて、キャンバスに色を並べながら描くようになった。次第に物の形は失われ、ぼんやりとしたものになった。

形を取り戻すことが、セザンヌの自分に課した使命だった。自然は球体、円筒、立方体により作られている。自然をそれらに分解して、色と色で形を作る、こう考えた。明るい色は手前にあり、青色は奥まって見える。このセザンヌ夫人を見ていると、線を並べて面が作られ、面と面で形が作られている。それをひとつひとつ確かめながら時間をかけて描いているように感じられる。微妙な背景の青の色の違い。黒ではない髪や洋服の色、水彩画のような透明感のある色彩が美しい。油彩は重ねられるのだ。見ているだけで、一枚の絵からいろいろなことが感じられる。

紙切れにしかない一枚の絵を見ているだけなのだが、そこには、遠くに旅行して美しい景色を見るような心の旅がある。そして、ずいぶんと旅行に行っていない自分がいる。

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