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自然の中で好きなもの~水編~

水が好きだ。水が好きだ。
形を保っていなくて、生命の命を繋ぎとめる水が大好きだ。
どんな生き物も、水がないと生活できない。肉食動物も、草食動物も、水を飲んでいる。魚でさえも、水の中でしか呼吸が出来ない。
水は、そこにあるだけで自分は何をするわけでもなく、景色を反射させるだけである。生き物が大好きでたまらない太陽の光までも溶け込むつもりもなく、受け流して、ただキラキラと多くの人々を虜にしていく。
時には滝になり、マイナスイオンのプレゼント。必要な人には滝行として瞑想という優しいムチも与えることがある。
辛い時には涙を流して、水が消費される。苦しい気持ちの後には心が落ち着いてまどろみの中眠りにつく。水は癒しをいつも提供してくれる。

だが、水は近すぎると怖い。
陸の生き物が泳ごうとすると、たちまち死と隣り合わせとなる。あんなに癒してくれた水の存在はない。自分で呼吸を意識しないと、いつどんな時に命を取られるか分からない。
時には津波となり多くの命を奪っていくことだってある。

水は、命に欠かせない存在なのと同時に、命を奪う存在ですらあるのだ。

これは、親子関係と近い節を感じる。
幼いうちは親がいないと、私たちはミルクを飲むことですらままならなかった。お金を出してもらい教育を受け、生活に必要なものや愛情をたくさん受けてきた。それがないと、生きていけなかったのだ。
だが、大人になってから子どものころと同じ干渉が続くと、途端に苦しくなる。親は、自分の親であるのと同時に価値観の違う他人だということに、思春期以降少しずつ気づいていくから、近すぎる距離は時に自分の人生さえも狂わせることになる。
ああ、親って私の中の水なのだな。

だから、水のように多くを求めず、コップ一杯ぐらいでいい。必要な時に少しでいい。頼りたいとき、助けを必要としたときに必要な分だけ、両親を頼ろうと思う。
そして、いつか両親の住んでいる此処を抜け出して、関西に住みたい。
自然界の水のような親になり、子を育ててみたい。

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