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シニア女子、若い世代との交流で、気持ちだけは同世代にシフトしてきた‼
去年の3月より週1回、1時間半ほど、近くにある大学のボランティアで野菜作りをしています。
ご近所の方々と学生さんとで活動をしていますが、私が心身ともに若返ることができる時間です。
老後のもてあました時間を、有効に利用しようと趣味と実益をかねて野菜作りを始めることにしました。
最初は、育てやすいと言われているミニトマト作りにチャレンジしましたが、どうもうまくいかず、野菜作りの難しさを実感しました。
そんな時に、朝にウオーキングしていた大学構内でボランティア活動の案内を目にしたのです。
農業のいろはを、作業を通じて体験したいと思い参加させていただくことにしました。
土地を耕して肥料をやり、土壌を作っていく。
種から苗になり、畑に植える作業をみんなでやる。
野菜の成長をじかに感じるのは、もちろんおもしろいのですが、それ以上に草取りをしながら、学生さんたちと雑談するのは、いろいろな驚きがあって楽しい瞬間です。
協力して一つの作業をこなして、畑が完成されていくのを目にするのは、本当に充実した時間です。
帰ってきて感じるのです。
汗をぬぐいながら、本当に自分が生き生きしていたなと。
又、61歳の私、4年ぶりの社会復帰で某クリニックの受付に採用していただきました。
鏡を見れば、あきらかに60代のおばちゃんです。
でも、若い人に業務を教えていただき、それを頭にたたきこみ、(抜け落ちることも多々ありますが)、患者さんに対応していたり、業務を処理したりしていると、自然とそんなこと考えている暇なんてありません。
気持は、40代です。
10歳も20歳も若返って、業務に没頭している自分がいるのです。
シニアが、心身の健康のために仕事をするということは、確かに芯を突いているなと実感しています。
日々、心身の衰えを感じては、気分が落ち込むこともあったのですが、若い世代の人たちとの関係や交流は、自分の心を爆発的にあげてくれます。
とは言いながらも、同世代の人たちと老後のこと、親の介護や健康について、お互いを労い、気持ちを分かり合えるのも心が癒される時間であります。
青春時代の苦労話や思い出に花を咲かせるのも楽しいひと時です。
でもそこにもう一つ、自分より若い世代との交流があると、文字通り人生の彩りとなるのです。
一生懸命になれる活動や仕事に出会えた幸運に感謝、感謝です。
今、これを書いていて思い出しましたが、私は、両親の老後をみて40代頃から考えていたことがあったのです。
両親のシニアクラブでの活動やそこから派生したお付き合いは、それはそれで楽しくやっているようでした。
が、自分はできれば、高齢になっても同世代でかたまりたくないなぁと漠然と思っていたのでした。
現在、違う世代との関係を通じて、あらためて、40代から考えていたことは、少なくとも自分には間違っていなかったなと気付かされました。
とは言え、学生さんと交流できるボランティア活動に出会えたことも偶然ですし、仕事をリタイアする日は必ずやってきます。
しかし、こういった交流や関係が、芯から老いを吹き飛ばしてくれることは、事実です。
この二つを体験して、つくづく感じることがあります。
人生の終盤戦において、いずれは老人ホームと呼ばれる住居や施設にお世話になるのではと思うのですが、そんな時に高齢者ばかりが住むシステムってどうなんだろうと感じています。
母は、10か月ほど、サービス付高齢者住宅と呼ばれている施設にお世話になりました。
カレンダーにそって、何らかのレクリエーションが催されており、高齢者に気をくばったサービスでした。
母は、皆で懐メロを歌うのは楽しかったようですが、全体的にはあまり参加していなかったようです。
そして、様子を見に行く度に、気のせいか元気を失っていくようでした。
心の底から老いを吹き飛ばす瞬間は、単純にいろいろな世代との交流で叶うのではないかと思うのです。
高齢者ばかりを集めた、隔離された空間ではなく、それに特化することなくいろいろな人が住める集合住宅があればと思います。
料理をできなくなった高齢者に食事サービスは必要ですが、両親が共働きの子供たちや単身赴任の男性にも、あれば便利ではないでしょうか。
寝たきりになった高齢者に介護棟などは必要ですが、身体に障碍をもつ家族にもあれば助かると思うのです。
素人の、全く絵に描いた餅ではありますが、高齢者社会のトップランナーである日本が、それに伴う課題を一つ一つ解消して、次に続く国々にお手本となれるような前例を示すことができればなんて素晴らしいことでしょう。
終の棲家として、高齢者を集めて介護するほうが、効率はいいと思うのですが、願わくばもっと自然な住空間で老後を過ごせたらと感じています。
年を経れば経るほど、若い世代との交流は心の刺激になるはずですし、自分も何らかしらそのように行動していきたいと思っています。
そんな老後を作っていくために、今をいろいろ工夫していくことは、無駄にはなりません。
なんだか切実な叫びになってしまいました。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
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