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母娘の絆とは 町田そのこ著「星を掬う」

上手くいかない現状を誰かのせいにして逃げていては、なにもかわらない。それに気づいたとき、初めて新たな一歩を進むことができる。
そんなメッセージを受け取りました。

昨年の本屋大賞受賞作「52ヘルツのクジラたち」の著者。
大賞受賞後の一作目です。

https://www.amazon.co.jp/dp/412005473X/

離婚した元夫から、お金をむしり足られ、ひどいDVを受けている主人公は、こんな不幸に自分があるのも、母に捨てられたという境遇が原因であると母を恨みます。

そんな自分の母を母と慕う女性が、あることをきっかけに、主人公を訪ねたます。それが縁で、自分を捨てた母親といっしょに暮らすことに。

出会った母親は、若年性認知症を患っていました。

母が暮らす家には、母親の世話をしてくれている女性も同居しています。
その彼女のもとに、自分を捨てた娘が助けを求めてやってきます。
娘は、17歳で、彼氏に捨てられ、臨月も近い妊婦です。

母に捨てられた娘と娘を捨てた母、娘に捨てられた母と母を捨てた娘、そしてそういった親子関係をそもそも、もつことなく育った女性が、同じ屋根の下で暮らすことになります。

みんな、心に大きな傷をもって生きています。

17歳の娘は、母に捨てられたと信じ、その償いをさせようと、やりたい放題の言動をします。
主人公は、彼女の姿を見て、聞いて、自分を見ているようでいたたまれなくなります。そして、悟ります。

人生がうまく立ち行かなくなったとき、誰かのせいにするのは簡単です。
そして、そうすることによって少しは気持ちが楽になります。

誰かのせいにして、逃げていては、今の自分のまま。
自分の殻を打ち破り、歩いていくことで、周りの景色は変わるから。
登場人物の言葉は、強烈なメッセージにあふれ、逃げ腰の者たちを
𠮟咤激励してくれます。

そして、このことは私自身にも当てはまる思いがあり、より強いメッセージとして、受け取ることができました。

実母を19年介護してきました。

介護を担うと、得ることもあるけれど、失うものも多々あります。
思い通りに行動することもむずかしくなり、チャレンジする機会を逃すことも少なからずありました。

本当は、自分に勇気がなかったのに、母のせいにして逃げている自分がいました。

本を読み進めていくうちに、私は反対に気が楽になりました。
誰かのせいにして、後ろ向きに生きるのは、しんどいことでした。


自分の足をしっかり地に着けて、与えられた環境の中で自分という軸をもって、しっかりと生きていきたい。
肩を押してもらえた心境でした。

話は変わりますが、若年性認知症を患っている主人公の母親が最後は、施設に入って自分の人生を過ごしたいと主張します。
自分の人生は、自分のもので、その意志を尊重してほしいと言っています。

これも、私自身、身にしみて体験したことでした。

母の介護の最後では、母を引き取り、いっしょに暮らしていました。
血液のガンを患い病院に行くのも、一週間に一度になり、体調の悪いときは、おう吐したり、下の世話をすることも多くなりました。
発熱したときは、同じ部屋で寝たりもしました。

娘に申し訳ないと、幾度となく母は謝ってくれました。
そんなことは、大丈夫だよと言っても、病気の症状がだんだん悪化してきているのを察して、どこか施設に入りたいと、母は懇願しました。

謝る母を見るのも辛く、今後症状が悪化していくのにどこまで自分ができるのか不安にもなりました。

そんな時に往診してくださる医師から、の病院を勧められました。母も是非とも入りたいと先生に訴え、私自身もどこか救われた思いがしました。

自宅で最期を看取ってあげられなかったという、無念はありましたが、病室に入って心から安堵している母を見たときに、この選択は間違いではなかったと思い知りました。

自分を知っているものに、家族に自分の哀れな姿を見せたくないというのは、自分の尊厳を守りたいと思うのは、当然のことですよね。
自分よりのことばかり考えていましたが、本人の気持ちにもっと寄り添うべきだったと思いました。

そして、私もできることなら、自分の哀れな姿を家族にさらしたくない。
願わくば、自分の元気なころの姿を思い出に残して,去って行きたい。
そんなふうに考えました。

表題「星を掬う」のメッセージに期待していました。

前作の「52ヘルツのクジラたち」では、52ヘルツという周波数でなくクジラの声は、他のクジラには聞き取れない。
苦しいと発しているけれど、誰にも聞き取ってもらうことができない。

そんな登場人物たちの境遇と照らしあわされた表題に、作品もさることながら、この表題に強く心が揺さぶられました。

今回の表題「星を掬う」にも、心に刺さる意味が込められていそうで、興味を持って読み進めました。

自分の足で歩いて、行動して、いっぱい優しい思い出をつくっていこうよ。
苦しい思い出や辛かったことは、沈めてしまって,キラキラ輝く思い出だけを掬い取って生きていこうよ。
作者は、そう言っているのだと私は、解釈しました。

母が亡くなる前、面会に行くたびに幼少時代の話を楽しそうに話してくれたことが、今も思い出されます。
その間は、病気に苦しみながらも心穏やかな顔をしていました。
母の笑顔を見ながら、過ごした最後の時間は 、キラキラと輝く思い出の一つです。

一つでも多くのキラキラ輝く思い出を増やして、いっぱい掬うことのできる人生にしていきたいな。

そんなふうなことを、この作品に出会って、考えることができました。

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