ノイズとは何か
さて、写真のノイズと聞いて、あなたは何を思うでしょうか。
今回、この章で述べるノイズとは、「不鮮明さ」であると定義します。
風景写真において「ノイズ」はとんでもない悪者であると、多くの写真雑誌や、大多数のプロ写真家によって定義されているようです。
新しいカメラが、どれだけノイズリダクションが優れているか、どれほど高感度でノイズが出ないか、そういったことばかりが日々比較され検証されています。
風景写真の作品は、完ぺきにノイズを取り除き、超精細画像で、HDRを多用した非の打ち所がない超綺麗な写真ばかりです。
しかし、ノイズは写真にとって極めて重要な要素であることを知っている人がどれだけいるでしょうか。
このノイズの重要性については、ほとんど理解されていません。
みなさんは、ノイズの入った写真を見て、妙にリアリティがあるなぁと思ったことはないでしょうか。
色情報が抜けたセピア色の写真を見て、なんだか懐かしいなぁと思ったことはないでしょうか。
逆に、完ぺきにノイズの無い完全に綺麗な写真が、風景写真では一般的です。
またはアイドルの写真集などで、完ぺきにノイズを取り除き、CGで滑らかな階調を与えコントロールされた超綺麗な写真も、今では一般的です。
このようなノイズの全く無い写真を見た時、妙に違和感を感じないでしょうか。
実はこの違和感は、以前に述べた「人が写真を見た時の感動が沸き起こるシステム」と密接にかかわっているのです。
人間の目は実際のところ、極めていい加減なものです。
ちゃんと誤差なく正しく認識しているのは、せいぜい水平画角にして20~30度くらいです。
極めて正確に認識している視野はさらに狭く、せいぜい水平画角2~3度のピンホールのようなものです。
正確に認識している中心視野以外の部分を人間がどのように見ているかというと、目から得られたあやふやな画像に、想像して適当に作った映像を合成、もしくは補間しているのです。何ともいい加減なのです。
見間違いや勘違いが起こるのは、この脳の合成ミスや補間ミスによるところが大きいのです。
ただし、合成や補間だけではあまりにもいい加減すぎるため、人間は視線を細かく動かして正しい映像を補い、さらに両目の画像を合成し、最終的に時間的な映像の圧縮をして1枚のイメージとして捉えています。
最も人間の目に近いカメラレンズは中心部分のみの解像度が極めて高く、周辺に向かって一気に解像度が落ちていくタイプのレンズです。今時そこまで質の悪いレンズはありませんが、似たようなタイプは探せば色々と見つかるでしょう。
もはや希少種かもしれませんが。
さて問題は、上記の「想像して適当に作った映像を合成、もしくは補間して」の部分です。
いったいどうなっているのでしょう。
この合成・補間される映像は、あなたの過去の経験と記憶を元に作り出される映像です。
思い出したでしょうか?
つまり以前に述べた、「感動が沸き起こるシステム」の過程の一部と同じなのです。
人間はこのように目から得られた画像情報に、自身の過去の経験と記憶から映像を合成・補間します。
以前も説明したようにその時、必ず過去の経験と記憶に紐付けされた感情を、少なからず引っ張り出すのです。
そして、この引っ張り出される経験や記憶は一つではなく、同時に多数の感情が引き出され、この混沌とした感情の塊が「感動」であるということを、話しました。
ノイズの話に戻りましょう。
ノイズのある写真は、ノイズの無い写真に対して不鮮明です。
この「不鮮明」に対して、人の脳は映像の合成・補間を行います。
この時、あなたの過去の経験や記憶を使用して合成・補間する映像を作り出すため、同時に過去の感情が多数引き出されるのです。
そしてあなた自身の経験や記憶にアクセスするため、ノイズのある写真を見るとリアルだと感じるわけです。
このノイズは、極めて微細なものであっても、あなた自身がノイズを認識していなくても、脳はノイズを認識しています。
ただし、逆にあまりにもノイズ量が多すぎてしまうと、合成や補間が難しくなってきます。合成・補間を行えるノイズ量がどの程度のレベルまでいけるかは、ひとりひとり違うでしょう。
この辺りの加減どころが、作品の命運を分けるでしょう。
また、これと同じことが写真の「暗部」においても行われます。
暗部を明るくする「HDR」がブームですが、HDRは間違いなく鑑賞者の感動のレベルを引き下げるでしょう。
写真の中に適度な暗部があることによって、その暗部を不鮮明であると人の脳は認識し、その暗部に対して自らの記憶に基づいた映像を合成・補間し、感動を生み出すからです。
ただしデータが完全にゼロの、いわゆる写真の黒潰れは、量が多すぎるなど使い方を誤ると、脳が合成・補間を行うのが難しくなります。
写真においては黒潰れを積極的に影絵のように使うこともしばしばありますが、注意しないと最初のインパクトはあっても単調で飽きやすい写真になるでしょう。
写真はデジタルへと進化し、いかに緻密でノイズの無い写真を作り出すかということばかりに写真業界は焦点を当ててきました。
しかしその方向性は、写真を芸術として考えた時、本当に正しいのでしょうか。
超緻密で超クリアな映像は、鑑賞者の感動の一部を完全に拒絶し排除します。
厳密に言うとそのような映像は、鑑賞者の好奇心に由来する感動は増え、初期のインパクトは強くなりますが、過去の記憶から導き出される本来の感動が減少し、薄っぺらく飽きられやすい映像になるのです。
インパクトのある、味の無い料理といった感じです。
そして好奇心由来の感動は、鑑賞者が映像を見慣れることによって急速に減少します。
写真は偶然とは言え、白黒からスタートしました。
写真業界は、何とかもっと素晴らしい映像を作り出したいと努力し、カラー写真を生み出しました。色情報が抜けて不鮮明だった白黒写真は、カラーになって随分とマシになりました。
続いて、カラー写真では何とかして邪魔な粒状感を排除しようと、研究が行われました。
そしてついに、限りなくノイズのないデジタル写真の時代がやってきます。
しかし色情報の欠落した白黒写真、粒状感のあるカラー写真は、実は鑑賞者の脳に心地よいノイズとして捉えられ、鑑賞者の感動を引き出す上で重要な役割を果たしているのです。
作品にノイズを残すか、加えるか、それとも取り除くか、それは製作者の自由です。
しかし、ノイズには重大な意味があることを、もう少し多くの人が知っておいても良いでしょう。
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