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小野和俊著「その仕事、全部やめてみよう」は、社会人2年目の必読書である。(書評)

世界中に数多のCTOがいる中、僕が心から尊敬できるCTOは数少ない。その一人が小野和俊さんである。社長を経験してEXIT、そして現役CTOとして君臨し、ワインを愛しているからである。冗談ではなく、この三要素を兼ね備えるのはとてつもなく難しい。そんな話にも触れながら、今回は人生で初めてnote(blog)で書評を書いてみたいと思う。

コミュニケーションはいつだって、楽しさや笑いに満ちていた方がいい(P190)

この本の全てはここにあると推察する。ただし、あくまでも「究極的に達成すべきであるセカンダリーな要件」として。1〜4章には「いかに質が高く、効率的で、効果的な仕事をするのか」というTipsでもあり、場合によってはチート的で、必勝法的、テクニカルで効果的な方法が書かれている。結果的に、全部大切だと思っている仕事のほとんどは必要のないことかもしれないよ、という示唆溢れる内容で構成されているのだが、僕の目線で見ると「職種、業種に関わらず、社会人1年生が必死で仕事を覚え、こなし、さあ、次にどのようにそのパフォーマンスを高めるか」ということが猛烈に詰め込まれているように思う。そしてそれは、5年目、10年目ですら活きる知恵が散りばめられている。僕などは社会人20年目になるが、大凡の内容に肯くことしかない。当然ながら、この20年であらゆる失敗をして(小野さんも同じだと思うが)、そうだよ、こうすれば良かったんだよ。そう感じるTipsだらけである。ならば、その時理解できなくても、一年目を振り返り、二年目に飛躍するために「やってみよう」と思える、1つ、2つのTipsを実践しながら、きっと3つ目のTipsをこの本の中から見つけようとする、そういう社会人の必要十分条件になり得る要素が、小野さんが喋っているのかな?と思うほどの軽妙な語り口で、読みやすく書き連ねているからたまらない。

その中でも、この「コミュニケーションはいつだって、楽しさや笑いに満ちていた方がいい」。この言葉はグッとくる。なぜか?いつだって究極的なクオリティを目指せば目指すほど、言葉は鋭利な斧になりやすい。究極的なクオリティとは、究極的に時間を効率化することでもあり、そのために優しく、時間を掛けたコミュニケーションを取ることと矛盾するからである。ものは言いようでしょ?その通りである。しかし、言葉のスキルをレベルアップすることは、別の専門性を学ぶ時間と対称的でもある。つまり、小野さんは1-4章において、スキルと効率に対する先鋭性を語りつつ、5章で、ある種対称的であるコミュニケーションが大切だと説いているのである。この矛盾は多くのスペシャリスト、ジェネラリストとして大成する人達が必ずぶち当たる大きな壁であるが、その難しさや、矛盾など一切論じずに「やってみようよ」と軽い口調で刺してくるわけである。ドSである。しかし、社会人二年目に、このどちらも大切なのだと理解していながらに、先輩達と仕事をしていくことには大きな意味がある。「あの先輩はスキルがあまりないよね」「あの先輩は言い方がキツいんだよな」そんなことを思ったことがある若手は多いと思う。自分自身のその時の正義や、目指す方向だけではわからなかった「その人の長所」を気付くには、十分な価値観のベクトルに富んだ本なのである。

この本の登場人物は、よくキレる

ひとつ、本書のポイントを示そう。この本の登場人物は、よくキレている。切れるというとただの怖い人だが、仕事の中で正当な怒りが湧き上がるというのは「こちらの方がもっと良い」とか「これは絶対に間違っている」とか、何かしらの事象に対して「より良い未来のイメージが他にある」ことが大半だと思う。

よく「想像力に富む」ことはクリエイティビティの源泉ともいえる能力の一つだが、想像力を育てることは難しいと言われる。個人的に、子供はいつも想像力に富み、クリエイティビティに溢れていると言うが、僕にとってはイマイチピンと来ない。社会人におけるクリエイティビティは、経済的や道徳的に「現実的か?」というベクトルでも検証しながら発布しなければならない。このため、自由な子供の心のクリエイティビティだけでは生きていけないことがある。だからこそ想像力、クリエイティビティを育むのは難しいと言われる。

簡単な方法は、この本でも書かれている第3章「ラストマン戦略」である。一つの方向性で一番詳しくなり、できることなら、情報だけではなく、見て、聞いて、触れて、匂って、味わって、と感性的な経験も積み重ねるべきである。知識と経験が、どちらにおいても最も詳しい人間になれたとしたら、その人以上に「こうなったらこうなるね」という想像ができる人が、特にその「リアリティ」の観点で右に出るものはいなくなるのではないだろうか。

ワインを飲む

この章を目次で見た時、大変興奮したのを覚えている。いや、実際の内容は予想を外れて、これ自体に大きな意味はなかったのだが、小野さんはワインを飲む。大変飲む。毎日飲んでいるように思う。僕もワインは好きである。

別の友人から、社交界で話すことは「文学と芸術しかない」ということを聞いて、大変興味深かったことを思い出す。実体験を言葉にするのも文章だが、頭に描いた映像や、その映像の主体となって、例えば失恋してみた時の心の痛みを、誰だか分からない読み手に伝えるという文章を書くということがどれほど難しいだろうか?同様に芸術もノンバーバルなもの、特に感性的な刺激、自身や世界の歴史との紐付き、それらを含めた物語を感じた上で、人と語り合う時には言葉を使って伝え合うのである。それは、ワインにも通ずる。特に僕も小野さんも好きなブルゴーニュの世界へ足を踏み入れると、一層その深度は深まっていく。

欧米における「アート」とは「人の作りしもの」。対比としての「サイエンス」が「自然の作りしもの」である。コンピューターサイエンスという言葉は大変面白くて、サイエンスであれば「Thing nature made」なはずなのに、その世界はとてつもなくアーティスティックである。この世界観の矛盾は、スーパーエンジニア単体の心の中にも、開発チームにも、作りしプロダクトを取り囲む環境の中にも存在し、突き詰めれば突き詰めるほどに矛盾する。個人のスキルアップとチームワーク、一体どちらが大切なのだ?というようなことも、多くの感性的な要素に満ち溢れている。

個としてのスーパーエンジニアを超え、チームをリードし、トップとしてマーケットに対峙するからこそ、知らねばならなかった論理と感性の間を生き抜いて、一冊の本にまとめ上げるところまで到達した彼のこの本は、彼の人生のエッセンスを、まるでチートシートのように取り入れることができるにも関わらず、その行間には多くの矛盾に囚われた歴史と傷跡の痕跡が残る作品であり、僕にとっては、まるでドキュメンタリー、そして純文学のようにすら感じる。

未来ある若者達が、この良書に出会い、5年、10年と読み返し、そして彼らがその行間に新しい物語を作りながら、世界をより良い方向へ変えていく支えとなることを切に願うばかりである。

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