『学校をUpdate!Web3時代の教育を考える』礒津政明×夏野剛×中島聡 連載対談3.ミライの教育、先生の役割とは?
2022年6月21日(火)に開催された、ソニーグループ教育部門トップで、メタバース・AI・ブロックチェーン・AR/VRを活用した未来の教育を提案する礒津政明氏を招いて、オンライン教育の最先端を行く学校法人角川ドワンゴ学園理事の夏野剛と、高専を活用した世界で通用するソフトウェア養成学校を提案する中島聡が教育について議論を交わした書き起こしです。
『学校をUpdate!Web3時代の教育を考える』
1.Webの世界も変革期、2040年の教育はどうなる?!
2.あらゆるものがオープンになる時代の教育とは
3.ミライの教育、先生の役割とは?
4.学びの多様性!学びたい時に学ぶことができる環境が大切
ミライの教育、先生の役割とは?
司会:ありがとうございます。今の学校はどちらかというと、情報をどう咀嚼するかよりも、情報をどう遮断して、リスクのない状態に子どもたちを置くかという、守りの姿勢がとても強いと感じています。学校側は常に子どもたちを囲って守らないといけないという、この状態を、どうやったら変えていけるのかというところにヒントがあれば、ぜひお三方からアドバイスを頂きたいです。
夏野氏:結局、教師が自分が伝えた情報をそのまま答案用紙に書いたら、成績がいいっていう、こういうやり方に慣れすぎているので、今の感じだと、なかなか難しいかもしれません。
礒津氏:日本の場合は、学校の先生が一方的に教えるというのが伝統的な教育として根付いていて、本来学校教育の場合、世界的には「社会に開かれた学校」ということで、学校の先生だけではなくて地域のボランティアがあったり、専門家がどんどん学校に入ってきて、子どもたちと触れ合いながらいろんな知識を与えて、ディスカッションするという流れにあるので、日本の中でももっとネットを使って、それこそウクライナの人に教えてもらう授業とか、他の国の人に教えてもらう授業があっていいと思うんです。そういう多様性をどんどん学校の中に入れていくことで、考え方にも多様性が生まれて、正解が一つではないディスカッションに発展するのではないかと考えています。
司会:そうすると、先生の価値とは何か、というところが変わってくると思うんです。先生が自分たちの今までの価値を捨てて新しいところに飛び込んでいけるか、学び直せるかというところもけっこう大きなテーマだと思っているのですが、どう思われますか?
礒津氏:これは先に中島さんが言われたように、教えることに集中する先生はもっと少なくていいと思うのです。教える先生というのは、本当に全国で何人かいれば良くて、その人たちが理想的な授業をN高のようにちゃんと動画で配信して、それをしっかり見て学んでもらって。そして教室にいる先生がファシリテーターとなって生徒を元気づけたり、やる気がでるようにサポートする。生徒の伴走者としてモチベーションを上げるところに役割をどんどんシフトさせて先生の負荷を減らしていかないと、なかなか今の学校教育は改善しないのではないかと考えています。
司会:ありがとうございます。今お二人がおっしゃったように、いい授業ができる先生たちを増やしていって、他の先生は教えるのではなく、子どもたちに寄り添って、進捗に合わせて、いいタイミングでヒントを与えていく。そのような先生たちが増えると、中島さんの考えられている教育みたいなのも、実現できると思われますか?
礒津氏:それ、実は中国は何年も前からすでにやっているんです。各省ですごく優秀な先生を集めて、その先生たちが授業をしっかりやって、それを配信して、教室にいる先生は、その映像授業を一緒に見ながら、子どもによりきめ細かく、指導をすることがけっこうできていて。中国って大きい国ですけれども、国単位で、そういったスタートアップ企業のようにPDCAサイクルをどんどん回して教育を改善していくという、そういったカルチャーというか、雰囲気があります。なので、日本も絶対できるはずなのですが、なかなかそういう方向に行かないことがとても残念だと思っています。
司会:ありがとうございます。
映像と現実をどう考えるのか?
司会:あらためて、一番初めに夏野さんのお話しされていた、今の平和教育、メディアリテラシーのあり方のところで皆さんとお話しされたいとおっしゃっていた、テレビから今からこういう映像を流しますというのだったり、モザイクをかけるというところについてお話をしていきたいと思うのですが、そこについてもう一度、夏野さんのお考えをお聞かせいただけますか?
夏野氏:隠した方がいいのか、隠すことに何のメリットがあるのかが議論されることなく、「不快に思うのなら隠しましょう」というのは、本当に教育上その方がいいのかということを我々は考え直すべきだと思います。
例えば、私には中学生と高校生の子どもがいますが、中学生や高校生がテレビでウクライナのブチャのシーンを見たときに、そこに死体がゴロゴロ転がっていて、それがリアルな死体であるということに対して、どういう感情を抱くかということにしても、それでもちろん、すごく衝撃を受ける方もいらっしゃるでしょう。
ただ、うちの場合、たまたまなのですが、昨年の末に僕の父が亡くなって、死体というものをうちの子どもたちはリアルに見ているわけです。見たときに二人がどういうふうに感じたかというと、必ずしもそれは見てはいけないものを見たというふうには思っていなくて、じいじがなくなったんだという現実を受け入れているわけです。
今回、テレビや映像を通じて、本当に死体がそれだけ並んでいるというのを見たときに、モザイクをかけていても容易に想像はつくわけです。想像がつく映像をみた時に、自分以上に辛い、悲しみを得た人が何倍もいるんだということを気付く方がいいのか、あえて隠して、何が落ちているのか、何が倒れているのか分からないような情報にした方がいいのかという時、教育的に見ると、必ずしもモザイクをかける必要はないのではないかと僕は思います。
司会:ありがとうございます。これについて、中島さんはどう思われますか?
中島氏:困ったな。それと教育をどう結びつけるかは、ちょっと悩んでいるのですが。
夏野氏:補足すると、もちろん世の中に出たとき、いろんな知識を得ていくことってすごく大事なことだと思うんですが、それと同時に、人間は未成熟の段階で生まれてくるので、世の中の現実ってこうなんだということに徐々に慣らしていくこともすごく大事で。
徐々に慣らすということでいうと、例えば、ニュース番組を見ている人がどういう属性かというと、小学校低学年の子はニュース番組をあまり見ないわけで。そうすると、もちろん例外の方がいらっしゃるかもしれませんが、小学校高学年から中学、高校、そして大人。おもに大学生や大人が見ているのだとすると、別にリアルなものをリアルに流してもいいんじゃないか。もちろん、過度に残虐なことを見せる必要はありませんが、遠景の中で死体が映っているのを、モザイクにする必要はないんじゃないかと、ちょっと思うわけです。
これからのニュース報道とメディアの役割
中島氏:今、ギャップがあるじゃないですか。個人がインスタとかで勝手にリアルタイムで流すニュースと、編集されたニュースに。
夏野氏:それそれ。そこでは映っているわけです。
中島氏:すごく差がありますよね。片方はきっちり編集されているからこそいい部分もあるけど、汚いものが隠されていたりする。逆に個人が流すものは、本当にリアルなもの、隠していないものもあるけど、逆にウソのものもあるという。そのギャップが面白いですよね。
でも、僕はなぜもっとメディアがリアルタイム性にこだわった配信をしないのかが不思議で、NHKニュースは、7時と9時ですよね。でも、1日中ニュースは生まれているわけで。ニュースというのはリアルタイムで見てこそ価値があるので、僕がニュース番組の担当だったらプッシュ配信で送ります。要は、何か事件があったら、スマホに向かって映像をプッシュする感じで。リアルタイムでニュースを見てもらう。最低限の編集はするかもしれないけど、もう少し生の情報をリアルで届けて、7時とか9時という時間は、それを解説するみたいな感じにした方がいいんじゃないかと思っています。
司会:誰もが発信できる時代になって、大きなメディアはどう役割を果たしていくのか、どう差別化していくのかというところは、教育的な視点で見ると、やっぱりSNSと情報モラルの授業は、とても学校からのニーズがあります。どちらかというと、「危険だから触るな」というふうに言ってくださいと言われる。本当にそれで社会に出てちゃんと情報を咀嚼できるようになるかというと...。適切に情報に触れることは大切だと思いますし、生の情報をきちんといろんな大人がいろんな側面から分析しているニュースを見る方が、多角的な視点で見られるのではないかと、個人的には思っています。
礒津さんは、「メディアと教育」といった点について、どのようににお考えですか?
礒津氏:メディアリテラシーのところは大事だと思っていまして。もちろん、夏野さんが言われたように、基本的には私もできるだけオープンにするべきだと思うのですが、メディアリテラシーやインターネットリテラシーが未熟な、小さい子がいきなりそういった映像とかを見ることにはやはり懸念があります。ですからある程度基礎的な、メディアとはこういうものだ、ネットとはこういうものだという、基本的なことが分かってから徐々に慣らしていくような形が必要ではないかと思っています。
子どもは、ゲームと現実の境目を理解できるのか?!
司会:一方で、息子も殺し合いのネットゲームみたいなのを、友達と楽しくやっていたりして。「撃て」「殺せ」みたいなことが現実に起こったら、どんなことになるのかということも考えていかないといけないのではないかと...「ゲームとメディアと教育」という点も、親や保護者が今すごく悩んでいる部分だと思っています。そこについても、ぜひお考えを聞きたいのですが。まずは夏野さんからお伺いしてもよろしいですか?
夏野氏:ゲームの中で殺害シーンがあるみたいな話ですか?子どもから見ると、リアルじゃないものはリアルじゃないものとして処理していると思うので、そこでやっているから現実に人を殺してしまうということは、古今東西ないと思います。リアルじゃないものはリアルじゃないものと見ているから。
逆に、ウクライナの報道とかでリアルに死体が出てきたときに、FPS( First-person shooter)とかで人をゲーム中にバカバカ殺している子どもであっても、リアルにそれが起こっていることが報じられたときに受けるショックというのは、全然違うと思うので。よく過激なゲームは止めさせた方がいいみたいな議論があると思いますが、フィクションとノンフィクションという世界は、子どもながらに切り分けていると思います。
司会:なるほど。母親としては悪影響ではないかと思ってしまう部分もあるのですが、子どもは、ちゃんと切り替えているということですね。礒津さんは、何かお考えありますか?
礒津氏:小さい子がゲームをやること自体は全然否定しませんが、年齢が下であれば下であるほど、現実とバーチャルの区別がつかないと言われていますね。ですから例えば、幼稚園児が殺し合いのゲームをやってしまったりすると、まだ理解が追いついていなくて不具合があるのかなという気がすごくしています。
私も本の中で書いたのですが、例えば、サンタクロースのことを本当に信じているか信じてないかというのが、一つの境目だと思っていて。サンタクロースをまだ信じているようだと、現実とバーチャルの区別がついていないので、あまりそういうものに触れさせない方がいい。「サンタなんていない」ということが分かるようになってくると、現実的とバーチャルが区別できるという目安になるので、そうなった時にバーチャルの世界にちゃんと触れさせてあげて、その世界で活動する機会を、与えるのがいいのではないかと思っています。
基本的に今のゲーム自体は、最近本当によくできたものが多くて、オープンワールド型のゲームなどは本当に教育効果が高いものがありますから、積極的にやっていいと思いますけれども、ただ、年齢の制限はある程度設けた方がいいと思ってます。
4.学びの多様性!学びたい時に学ぶことができる環境が大切へ続く
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