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希死念慮に駆られた日々に一筋の光が差した

平野啓一郎さんの「私とは何か 「個人」から「分人」へ」という本を読み、非常に素晴らしかったので感想を書こうと思います。

今現在、四六時中の希死念慮に駆られている私にとって、かなり救いになる考えを知れた有意義な読書体験でした。
絶賛、心を病んでいるという人にお勧めしたい一冊です。

この本で提唱されている「分人」という考えは、人間は「個人」という全体で様々な物事を感じているのではなく、人間にはネットワークのように様々な複数の「分人」が混在しており、体験する事柄や相手にする人によりオートマチックに、その都度ふさわしい「分人」を使い分けているという考えです。

親と話している自分と、友達と話している自分は、意識して使い分けているわけではないけれど、無意識に話し方や態度が異なるのが分かりやすい例です。

不幸な分人を抱え込んでいる時には、一種のリセット願望が芽生える。
しかし、この時こそ、慎重に、消してしまいたい、生きるのを止めたいのは、複数ある分人の中の一つの不幸な分人だと意識する。
意識しなければ、誤って個人そのものを消したい、生きるのを止めたいと思ってしまう。」

この文章は、目から鱗でした。
気を病むと希死念慮に駆られますが、あくまで気を病んでいるのは、自分全体ではなく、自分の中にある複数の分人のうちの一つにしかすぎないのです。

確かに、私も悩んでいる事柄について考えているときは希死念慮が顔を出しますが、好きなことに没頭している時には希死念慮は顔を出してきません。

そのため、気を病んだら自分全体を殺そうとするのではなく、病んでいる原因の分人を殺めればいい(その分人で過ごす時間を減らす)ということです。

そして、自分が過ごしていて楽しいと思える分人として過ごす時間の割合を増やすこと(私だったら読書やスポーツ観戦)で、「人生は生きるに値する」と思えるようになった暁に、一度は葬った分人に再びログインしてみると、客観的にその悩みを見ることが出来るため、解決の糸口が見つかるかもしれません。

この本を読み、楽しいと思える分人を過ごす時間を意識的に増やした結果、一日の中で気を病む時間は間違いなく減ったので、よければ皆さんも実践してみてください。

気楽に生きていきましょう。

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