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私たちを支える、ささいなこと

執筆者:でん

2歳の娘の行動がかわいいとき、例えば服を脱がせてほしくて「ばんざい」のポーズをしながら「ざんばい」と言ってしまうときや、ウインクがうまくできなくて変な顔をしているとき。ああ、このかわいさを誰かに見せたいな、共有したいな、と思う。

私は娘と2人暮らし。近くに家族や親戚はいないし、友達に「うちの子かわいいの!」としょっちゅう連絡するわけにもいかない。だから、娘のかわいい行動は、保育園に毎朝提出している「れんらくちょう」の、「家庭での様子」を書く欄にさりげなく盛り込む。

保育園の先生たちは、もちろん仕事としてだろうけれど、きちんと読んで「かわいいですね」と返事を書いてくれたり、お迎えのときに話題にしてくれたりする。共有できたようで嬉しくて、勝手に「れんらくちょう」を交換日記のように感じる。このやり取りに、私は日々、支えられている。園をお休みする週末になると、ちょっとさみしい。

思い返せば、非婚で出産した私は、いろいろなことに支えられ続けてきた。

豪雪地帯で1人暮らしだった妊娠中。それほど親しくないと思っていた人が、雪かきを手伝ってくれた。18リットルの灯油缶を定期的に部屋に運んでくれた友達、何かあったときのためにと連絡網を作ってくれた仲間もいた。

たぶん、必死だった私が気付かなかっただけで、他にもたくさん支えられていた。出産後、ただただ娘をかわいがってくれた近所のおばあちゃんも、バシバシ娘の写真を撮って送ってくれたおばちゃんも、きっとみんな少しずつ、ささいな手助けや気遣いをしてくれていた。 

そういえば、お下がりはいつも絶妙なタイミングで、ちょうど良い量だけ集まってきた。あんなにお世話になった地域から引っ越すことになったときも、みんなワイワイと我が家に来て、換気扇の裏まで掃除してくれた。

結婚せずに子どもを産んだことで、差別的なことを言われたり、制度が不公平だと憤ったりしたことも、もちろんある。けれど、嫌な記憶の濃度は薄い。それをもたらしたのが「社会」とか「知り合いの知り合い」とか、自分から遠い存在ばかりだったからだと思う。

身近な人や組織は、いつも応援してくれている。

今のご近所さんたちも、みんな優しい。アパートの、下の階のおばあちゃんも、隣のシングルマザー仲間も。イヤイヤ期の娘の泣き声や足音が、さすがにうるさいだろうと謝りたくなることはあるけれど、「虐待の通報をされたらどうしよう」という心配なんかは私には無縁だ。

将来的な収入の保証や安定した仕事は、今のところ手に入っていない。2人での生活が不安になって、息苦しくなる夜もある。そんなときは、支えてくれた人たちを思い出しながら娘の寝顔を見て、翌朝に提出する「れんらくちょう」を書き、深呼吸する。

アパートには南向きの大きな窓があって、ちょうど正面が空き地になっているので見晴らしが良い。今日のような満月の夜は、カーテンを開けて過ごすのが恒例だ。

古代から語られてきた、愛する人と月を見上げる幸せを、私は育児を通して初めて知った。2人で窓際に並んで座るこの記憶は、ずっと残る。そして、きっといつか、私たちを支えるのだと思う。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。このエッセイは、NPO法人シングルマザーズシスターフッドのMother's Dayキャンペーンのために、シングルマザーのでんさんが執筆しました。
このキャンペーンでは、ひとりとして同じ人はいない、個性あふれるシングルマザーたちのかけがえのない素顔を祝福し「自分を大切にすること」「セルフケアの大切さ」を呼びかけています。「こういう支援て大事よね」と応援してくださる方にはぜひ、ご寄付をお願いしております。ぜひ、Mother's Dayキャンペーン応援ページもご覧ください。

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