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痛みを伴うセルフケア

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執筆者:サチコ

「次の予約はいつにしましょうか」

カウンセラーのCさんがにっこり笑う。褐色のレースやドライフラワーがあしらわれ、アール・ヌーヴォー様式の小さなランプのついた部屋。カウンセリング室はまるで、森の中にある善き魔女の部屋である。

口元も目元もやわらかく、まさに「老練」といった彼女の笑顔は一見穏やか、だがそれでいてとてもきっぱりと、有無を言わせないように見えた。

私は内心ため息をついた。この部屋に来るのはもう3回目だが、何かが進んでいるようには思えない。今日、こんなのでよかったのかな。これから何をどうするか、それを決めたかったのに。

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「お金がうまく使えないんだよね」

最初にこぼした相手は誰だっただろう。ママ友か、昔の同級生だろうか。最初はみんな、冗談か、よくある夫婦間のトラブルだと思っていたらしい。もちろん私だってそう思っていた。

結婚したら妻は家庭を優先し、仕事をやめるかセーブする。そして妻が家計を預かって管理する。私が育った家庭ではそれが当たり前の価値観だったし、結婚したら夫の意向に添うのが当然だと思っていた。やりがいのある仕事だったけれど、元夫と話し合ってやめることにした。

おかしくなったのはここから。

「とりあえず」と手渡しの生活費が、時折止まるようになった。子どもが生まれたから支出が増える、と話したら、おむつ1枚に至るまで「明細」が必要になった。元夫との育った環境の違いも大きかったかもしれない。私の努力が足りないのだ、と思っていた。私がもっと節約して、元夫の無言に隠された意向を汲み取って、彼に届く言葉で話せばいいのだと思っていた。

「証明していけばいつかは変わる」と信じていた。何を? 私が専業主婦としてきちんと家計を管理していることを、子どもを育てるには、必要最低限の生活費も、教育費も必要なことを。

ある日、教育費の貯蓄についてメディアでの記事を切り抜き、1円単位までつけた家計簿を元夫の机に置いた。しかし、多忙な夫がそれらを見ることはなかった。渡される生活費はいつも少なめで、日々の支払いは困難になった。独身時代の貯金が枯渇するのも時間の問題だった。その頃にはすでに、許可が出ないと買い物さえ満足にできなくなっていた。

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そんな生活が続いたあくる朝。とうとう私は、動けなくなった。元夫と初めて、お金の話が正面からできた矢先だった。もう大丈夫、と思ったと同時に、この世界に生きている意味がわからなくなった。子どもの生き生きとしたエネルギーが、突き刺さるように痛く感じる。

読んでいた本も頭に入ってこない。そんなとき、ふと遠方の友が、連絡をくれた。自然と、「なんだか調子が悪くて」と、話している自分がいた。すぐに会えない距離だからこそ、頼っても迷惑をかけない、そんな気がしたのだ。

結婚前の自分を知っている元仕事仲間だったことも大きかった。ありがたいことに、彼女はすぐに周囲にかけあって、ひっそりとした滞在スペースを用意してくれた。「すぐに家出してきなさい」と恩師も言ってくれた。数年ぶりに会った友には、表情がないと驚かれた。
 
子どもと家を出た2週間の間、私はぽつぽつと話せるようになり、おぼろげながら自分に起きていることを知った。無視や無関心も暴力の一つであることを、友と恩師は繰り返し、噛み砕いて教えてくれていた。

「自分自身を大切に」「自分と子どもを第一に考えて」「いろいろな方法があるのだから」と。それでも、離婚という言葉はまだ、自分とは遠いところにあった。本当の本当に解決できないことか、一度取り組んでみなければ。

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とりあえず、元夫との家に戻った。でも、戻るだけじゃ、何も変わらない。何かが問題で、私はこんなに苦しい……そうか、私は苦しかったのか。そうしてなにかに操られるように、昔お世話になった心療内科にかかり、カウンセラーのCさんと出会った。
 
カウンセリングは、家出の前後から離婚成立までの数年間、集中的に通い、その後もペースを落として続けている。最初はもどかしかった。今の問題を語る。Cさんが、その背景や構造を、少ない質問であぶり出す。最初は、言われていることの意味がわからなかった。

「私、幸せな家庭を築いているよね?」「今、うまくいってないだけだよね?」しかし何度も語るうち、問題の本質が見えてきた。「支配」「精神的暴力」わからない言葉がたくさん出てきて、そのたびに本を読み、調べた。ぎょっとした。自分には無関係だと思っていたこと、遠い世界の話だと思っていたものが、まさに自分の家の中で起きていた現実だったから。

育った家庭と築いた家庭、2つの共通点を見事に言い表していたから。過干渉な家で育った私には、元夫の無関心は福音で、「結婚」という制度が自分を守ってくれると思っていた。

でも違った。

過干渉と無関心は同じコインの裏表だったのだ。

絶望しかけた。

でも、「話す」ことをやめなかった。それまで遠慮しいしい吐き出していた不満や悩みを、Cさんをはじめ、たくさんの友に話し尽くすようになった。

散歩し、休み、泣くこと、怒ることを思い出した。何もしない時間を許した。自分を救ってくれる王子様は、自分なのだと知った。少女の頃から頭を離れなかった「どうすればいいか誰か教えて」という言葉は、数年間の道のりののち、「私が決めるから手を貸して」に変わった。

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セルフケアという言葉には甘美な響きがある。贅沢さ、自己中心的、という声を聴き取る人もいるかもしれない。しかし、私にとってのセルフケアは、カウンセリングと人との対話を通じて、自分を「知ること」そのものだった。

自分の現状を知り、背景にある問題を明らかにする。

変えなければならないことがあると知るのは、辛い。

けれど、変化した認識は、否応なしに背中を押してくれる。仕事を探し、子どもとの安全な住居を探し、と段取りをしていくうち、自分にも力が残っていると知った。

こつこつとカウンセリングに通い、自分と子どものために稼いだお金で、好きなポストカードを壁にかけた。感激で身がうち震えた。私が作ったこの家には、暴力も無視も二度と入ることはない。

「家」が安らぎの場所に変わった。

そして、なかば諦めていた本当の望み―自分らしく生きたい、幸せになりたいという望みを知った。

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 Cさんに出会って、5年が経った。

2023年5月の今も、子どもを学校に送り、仕事を早退してカウンセリング室に通う。

次の夢を叶えるために、どうしてもクリアしたい課題があるからだ。

痛みを伴うセルフケア。

でも、私にはその時間が必要なのだ。

〜ご寄付のお願い〜
エッセイを最後までお読みいただきありがとうございました。このエッセイは、Mother's Dayキャンペーン2023のために、サチコさんが執筆しました。NPO法人シングルマザーズシスターフッドは、ひとり親の心と身体の健康を支援する団体です。毎年5月に、セルフケアの大切さを呼びかけ、応援の寄付を募集するキャンペーンを実施しています。応援していただければ幸いです。寄付ページはこちらでご覧いただけます。


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