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2020年アカデミー賞振り返り・「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」「ジョーカー」「パラサイト半地下の家族」を語ってみる

#アカデミー賞 #SingleisPoison

こんにちはKさんです。

アカデミー賞とか映画に関することならしぶちんが書くべきだよね? と、自分でも激しく思うわけですが、普段トークにほとんど出ていかないうえに構成作家としての仕事も最近はほぼゼロな、すっかりごくつぶしのKさんとしては、せめて文字でだけでもコンテンツに協力するべきではないの? という自問自答が生じた結果、こうして駄文を認めてみることになりました。ラジオと同じく、寝る前とか通勤電車に乗ってるときとかにさらっと読んでいただければと思います。

さてさて、ところでうちのメンバー3名ですが、映画好きな点で一致してはいるものの習性はちょっとずつ違いまして、アオキくんはグロ映画専門でRG15以上しか観られない変態、わたしKはここ十年ほどレンタルばかりで映画館に金を落とさなかった裏切り者。渋谷くんことしぶちんだけが、この3人の中で最も真面目な映画好きなのであります。

なにしろ平成から令和の時代にかけてブレることなく新作を観るために足繁く映画館へ通い、近所のレンタルビデオショップでは「あ」から順に片っ端からレンタルしてそのショップの在庫をすべてコンプリートしたという逸話を持つくらいです。そんなしぶちんの情熱が手伝って、ラジオSingle is Poisonは昨年春の発足当初から映画の話題が多かったわけですが、今回は初めてアカデミー賞授賞式が巡ってきたということで、ラジオでは2回+1回にわたって受賞予想などを語って参りました。

しかし、いかな映画好きといえど、アカデミー賞の候補作を全部事前に観るのはちょっと難しいものがありますよね。今回だと「1917 命をかけた伝令」とかは、今週末の2月14日公開です。で、今回の主要な賞の候補作のうち、わたし(K)が今回事前に観ることができたのは「ジョーカー」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」「パラサイト 半地下の家族」の3つでした。特にパラサイトは、受賞式の3日くらい前に、あまり事前情報無しでぷらっと観に行けたので非常に幸運でした。仕事終わりに何の気無しに上映館を検索し、途中下車してレイトショーに駆け込んだあのときの自分の行動力を褒めてあげたい。そして終電を逃しましたが・・・


さぁ、こっからはダラダラと語りますよ。まず助演男優賞から始めましょうか。これはもうワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのブラッド・ピットで決まりでございました。観終わった瞬間から、この役は助演男優賞をとるべきだと思いました。なぜかって? だってブラピがこんなにハマってる!と感じたことなんてなかったからです。独断と偏見でどんどん参ります。ちなみにディカプリオは主役を張っていましたが、いつものディカプリオでした(急にキレて叫ぶ芝居、そろそろやめてもいいでは・・・)。一方の、脇にいるブラピのちょうど良さ加減よ!主演男優賞とかもきっとそうなのですが、あ、これは他の俳優ではできないな、完全にこれはこの役者のためにある役だな、みたいなことを一瞬でも観客に思わせられるのが、真の当たり役なのだと思います。古い映画で申し訳ないですが、大絶賛だったセブンのブラピもファイトクラブのブラピも、個人的にはそこまではまり役には思いませんでした。この役を演じるためにブラピがいたのだ!とまでは。しかし、今回のブラピの役は、ディカプリオが主役らしい主役をいつものように演じていたからこそ、いい感じに際立ったのかもしれません。だって二人とも主役級なんだもの。ディカプリオを少ーしだけ目立たせるためにブラピを少ーしだけ脇にやる、その加減が絶妙だったんだと思います。

では、主演男優賞は? ディカプリオでないことだけは確信していたのですが、やはり「ジョーカー」でした。ジョーカーは、「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じ上げた”ジョーカー感”とでも言うべきものを、そのまま別の一本の映画にしてしまった作品ですが、ヒース・レジャー亡き後にこの大役を引き受けたのがホアキン・フェニックス、かのリバー・フェニックス(スタンド・バイ・ミーに出ていた4人のうち、金髪のしっかりした子)の弟です。並の俳優ならばヒース・レジャーが完成させてしまった強烈なジョーカーというキャラクターの、真似をするだけでも精一杯だったろうと皆思うわけです。だから、映画「ジョーカー」はなんとなく「そうだね、ヒース・レジャーのジョーカー、良かったよね」とみんながふんわり過去を懐かしむためだけのスピンオフ映画の一つになるかと思われていたところをホアキン・フェニックスが、ヒースのジョーカーをモノにしたうえでさらに自分色に塗り替えてバージョンアップする、というアクロバティックをやってのけました。ある意味、過去のヒース・レジャーのジョーカーがあってこその、主演男優賞でしょう。

これらの2つは作品賞にもノミネートされていました。パラサイトを観る前は、どっちが取ってもおかしくないけど、どちらか決めろと言われると、どっちも決め手に欠けて悩ましい状況でした。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、現実に起きた殺人事件を軸にした物語です。

あ、ちなみに普通にネタバレしますのでご注意ください。

現実に起きた事件というのが、ロマン・ポランスキー監督の嫁さんの女優が頭のおかしいヒッピーによって通り魔的に(正確に言うと人違いで)惨殺された事件なのですが、映画ではこの事件のラストを改変し、偶然ポランスキー邸の隣に越してきたディカプリオの家にたまたま遊びに来ていたブラピが暴漢を撃退して嫁さんは殺されずにハッピーエンドを迎えるという筋書きになっています。このラスト、私はとっても好きなんです。現実に起きてしまったことは絶対に変えられない、死者は蘇らない、だけど、せめてウソの世界の中では悲惨な姿ではなく元気な美しい姿でいて欲しいと願うこと、それはやっぱり純粋なもので、嫁さんの可愛らしくてあどけないキャラクターが中盤たっぷりに描かれるシークエンスからも、タランティーノ監督の「ハリウッド」そして「映画に携わる人びと」への愛情と敬意が感じられました。だから、これは私の中で「いい嘘」でした。でもそんな嘘を堂々と描いてしまうのはやっぱり非常に勇気のいることだと思うわけです。ただし・・・

そう、ただし、と書かなきゃいけないのが辛いのですが、2つどうしても見過ごせなかった点がありまして、1つは、ラストのディカプリオ邸でのブラピと悪党の乱闘シーンです。タランティーノ、我慢できなかったのか〜〜〜、あのカンフー、バイオレンス、火炎放射器、黒焦げの丸焼き・・・それはキル・ビルで我慢しとけ!とスクリーンに向かって言いたくなった。そのシーンまでの空気感とかのバランスが一気にガタついた感じでした。まぁあそこらへんから本気で史実がネジ曲がっていくので、あえてウソっぽく撮ったんだよ、という線も無きにしもあらずですが、だとしても良くなかったと思います。もう1つは、映画を見終わったあとに読んだポランスキーの現奥さん、エマニュエル・セニエの発言です。なんとポランスキー監督に許可を取らないまま撮っちゃったらしい。いや、それはいかんやろと。なんてったって遺族なんですから。しかもポランスキー監督は未成年へのレイプ疑惑などでハリウッドをすでに追放されています。追放しておいて、さらに私生活上の悲劇を勝手に映画化し「ワンス・アポン・ア・タイム〜」の冠をつけてしまう感覚は、普通に人としてどうなん?と・・・まぁ2つめのやつは私の個人的な倫理観に基づいているので無視したとしても、1こめがやっぱり気にかかりました。

ではジョーカーは作品賞にふさわしくなかったのかどうなのか、と言いますと、優秀な競合相手がいなければ取っていた可能性はあったと思います。だがしかし、いかんせん、少しだけ物語の層が薄い。それだけ一つのメッセージが強いということでもありますが、じゃあそのメッセージってこの映画でなきゃ発信できなかったものなのか? というと、多分そこまでのものではないなと思いました。いや、ホアキン・フェニックスのジョーカーの演技は凄まじいけども、演技をとっぱらってエピソードやセリフの一つ一つにのみ注目していくと、そこまでそれ自体に個性があるわけではなく、テーマに沿って王道なルートを、着実に選んで展開していくのがジョーカーです。社会性がありすぎた、とでも言うんでしょうか。映画そのものジョーカーという男を作り上げるための壮大な舞台装置なので、逆に言えばジョーカー以外の登場人物は、人としてはあまり機能していないのです。書き割りみたいなものです。構造的にどうしようもないとはいえ、映画そのものの厚み(多様性と言い換えてもいいのかな)は、失われてしまったように思います。でも私はこの映画のラストも好きでした。彼はジョーカーになったことで、やっと生きづらさから開放されたように感じたからです。


やっとパラサイトですよ。もう3700字も書いています。普段から文字を書く訓練をしていれば、こんなところでヘタらないのに・・・たぶん・・・正直ちょっと息切れがしてきましたが、がんばります。読んでる人いる?

パラサイトは作品賞・脚本賞・監督賞の主要3賞を独占しました。作品賞は取れるんじゃないか、となんとなく予想していましたが、まさか総ナメとは恐れ入りました。なんで作品賞は取ると思ったかというと、上記の2作品と比べても完成度が一つ抜けているように感じましたし、観た直後に、なんだったんだ今のは、なんだかとても新しいものを観たぞ、という思ったからです。ハリウッドに追いつけ追い越せで培われた韓国映画のスキルを存分に使いつつ、ストーリーのテンポ感とか空気感はハリウッドと少し異なっていてあくまで韓国映画の枠の中で作っていたので、終始不思議に面白い、まったく新しい感覚の映画でした。(Kさんが韓国映画をあまり観ていないのはありますが・・・)

1999年に制作されたサム・メンデス監督の「アメリカン・ビューティ」、こちらもアカデミー作品賞を受賞していますが、パラサイトはこの映画にとてもよく似ているなと思いました。一個の家庭に起こる些細で個人的な事情を、徹底的に細かくユーモラスに描くことによって、社会そのものを描ききってしまうところがです。アメリカン・ビューティは、好きな映画ベスト10を上げろと言われたらおそらく入る映画なんですが、「万引き家族」なんかよりもよほどこっちに近い映画だと私は声を大にして主張したい。(「万引き家族」がアカデミー賞に全然引っかからなかった理由もそこにあると思っているのですが、それはまた別の記事にネチネチ書きます・・・)パラサイトは、監督が受賞のスピーチでも語っていたとおり、小さな小さな個人の物語を描き切っていました。長男が彼なりにいつも父親を気遣って敬うところだったり、どこか達観している長女の存在だったり、肝っ玉母さんが家族にハンマー投げを披露する数秒のワンカットだったり、父親が社長夫人を「あの人は純粋で優しい人だ」と本気で言い切るところだったりするところに、人間を悪人だとか善人だとか簡単に決めつけないで、すべてをブラックなユーモアで包み込む優しさに満ちていました。だから、格差社会を書いている社会派作品だと言われながらも、普通にそういう系統の作品を観たあとのような、げんなりした気持ちになりにくいのではないかと思います。洒落のきいていないセリフが一つもないのではないかと思うくらいセリフも練られていて、時計回りは笑いました。ラストの夢のシーンのあとの「・・・という計画でいきます」と現実に戻るカットは不要なのでは、と観てる最中は思いましたが、あれは父親の「無計画が一番良い」のセリフを回収しているのだと、誰かの考察で読みました。なるほど・・・まぁ好みとしては、長男があの家を買い戻したシーンでそのままフェードアウトして、99.999%は夢に違いないけど0.001%現実かもしれないと観客に思わせて幕にしても良かったと思います。些細な違いかな。でもまぁ、それくらいでした。

黒人への配慮だのアジア系への配慮だのと人種差別への意識が取りざたされすぎて、何か賞をとってもそれが実力なのか忖度なのかよくわからない時代に、「パラサイト 半地下の家族」が、きちんと実力でアカデミー賞をもぎ取ったぞという空気ができているところが、素晴らしいと思います。まだ観ていない人は、もうしばらく劇場でやってると思うのでぜひ観に行ってください。ちなみに同じ監督の「グエムル−漢江の怪物−」も良いB級怪獣映画なのでぜひ。

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