【映画感想】ひとよ

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白石和彌監督の作品は「世界で一番悪い奴ら」で好きになった。

その後、京都シネマで「彼女がその名を知らない鳥たち」を面白く観て、TSUTAYAでレンタルした「凶悪」はちょっとノレなくて、今回の「ひとよ」、だったのだが、ひとよは何と表現すればよいのかちょっとむずかしい。前半は普通に面白かったが、中盤から後半になるにつれて、段々と違和感を覚えるようになり、ラストは完全に置いてきぼりだった。

この作品は同名の舞台作品が元になっている。舞台の方は観たことがないし台本も未読だが、おそらく主要人物はほとんど舞台版にも登場すると思われる。この映画の問題の多くは、舞台ならば(考えてみればそれも変な話なのだが)不自然と感じないであろう人物の配置やエピソードが、映画化したときにどう見えるかという視点が欠けている点にある。

例えば、タクシー会社の従業員の面々。誰一人として、田中裕子演じる「夫を殺した妻」を悪く言わない。彼女の罪と罰を理解し一緒に乗り越えてくれる、いい人たちばかりだ。なんて優しい世界だろう。しかし、そんなことが実際にありえるだろうか? という疑念がふつふつと湧き上がってくる。別に映画の中の世界観が、優しい人しかいない世界に設定されているわけではない。田中裕子が帰郷したと知るやいなや、わざわざタクシー会社の敷地内に入ってきて誹謗中傷のビラを撒きにくる輩がいるし(結局正体は最後までわからない。あんな田舎ならわかりそうなものだがそもそも彼らに特定する気がない)、松岡茉優は、彼女が殺人者の娘だという噂のために夢だった美容師を目指すのを諦めてしまっている。

決して優しくないこの世界で、タクシー会社はどうやら営業が継続できているし、社員はみんな誹謗中傷にめげない達観した人物ばかり。それはひとえに、この閉じたサークルの中で、東京から帰ってくる佐藤健一人を異分子として強く際立たせるために作られた構造だからと思われる。舞台ならば、私はこの人物配置にそこまで違和感を覚えなかったと思う。舞台はそもそもが抽象的で、作家によって抽象化された世界が展開される場所だから、多少システマティックに過ぎる構造が目についたとしても、それが成立するためのハードルは高くない。つまり、別にリアルとフィクションのバランスがむちゃくちゃであっても、作品の中で整合性が取れてさえいえばいいところがある(それが甘えでもあるのだが)。しかし、映画はそうはいかない。リアルな日常風景の中で、フィクションの物語を展開するにあたって、演出上どういった配慮がなされのだろうか。私にはわからなかった。

佐藤健は嫌なヤツだったが、最後に田中裕子をさらった佐々木蔵之介に”思わず”殴りかかるシーンなど、「良い息子やらされてるなぁ」と冷めた目で観てしまった。悪役、実はいいヤツ。単純すぎないか。そもそも田中裕子はなぜ佐々木蔵之介のタクシーに乗ったのか。最初は脅されたのかと思ったが、そんな雰囲気でもなかった。そのような作者にとって都合の良い省略、舞台ならば勢いで許されたかもしれない省略が、映画でほころびとして目立ってくる。佐々木蔵之介の息子はどうなったのか。エロ本を盗む田中裕子の強情さは、舞台ならば小さな笑いどころなのだろうが、映画の中で主要エピソードとして描かれた場合、「夫のDV被害を殺人によってしか止められなかった妻」の造形としてどうにも違和感がある。

挙げていけばキリがないが、このように、舞台を映画化したことによる表現と物語の不和が気になり、一本の映画としてあまり評価することができなかった。

また舞台版がどうなっているかわからないが、田中裕子のDV夫の描き方についてもあまり好きになれなかった。身から出た錆とはいえ、あまりにも死人に口なしではないだろうか。家族写真のカットがあったので仲良い時期もあったのだろう。一体その後彼の人生に何があり、あそこまで荒れてしまったのか、その理由に家族の誰も、というか製作者の誰も気にとめず、その死によって家族の絆を深めた男として物語の中でただ死なせられる役回りだなんて、キャラクターが不憫としか言いようがない。これに比べればまだ、ギャング映画で、登場した1分後に蜂の巣にされるギャングの手下その5の役回りの方が、下手に人格を描かれないぶん、人としての尊厳を保ったまま殺されている。

叫ぶ、怒鳴る、ものを投げる、といった過剰な演技は白石和彌作品に多いが、この映画では逆効果であったと感じる。「そもそも白石作品は浅い」と私の知り合いなどは厳しいことを言っているが、この過剰演技は「世界で一番悪い奴ら」ではエキセントリックな物語に、「彼女がその名を知らない鳥たち」では感情ドロドロな物語に、それぞれでマッチして、エンタメ的に昇華されていたと私は思う。

本作は白石和彌監督最高傑作、という触れ込みで公開されている。

細かいところを見れば編集や撮影録音の技術、画作りなどは向上しているのかもしれないが、私は、逆に停滞、あるいは後退したような印象を受けた。

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