届けたいから、書き続ける
仕事からの帰り道。赤信号の向こうに見えた雲が戦う怪獣みたいに見えたので思わずスマホでパシャリ。
なんとなく、右手がゴジラ、左手がガメラに見えたのは気のせいか。
雲の形を怪獣に見立てて喜ぶ50代女性というのもいかがなものかと思いつつ、久しぶりに伊福部昭さんの音楽を聴きながら帰宅した。
ちなみにゴジラのテーマ音楽で有名な伊福部昭さんは、北海道のご出身である。郷土の誇り。
定時退社の帰り道は渋滞していることが多い。帰宅時間が遅くなるのは嬉しくは無いのだが、そのおかげでたくさん音楽が聴けるので、あまり苦にはならない。
今の季節は、信号待ちでこんなふうに夕暮れの空を楽しむことも出来るのも、悪くないなと思う。
あまり意識していなかったのだけれど、8月16日から毎日連続投稿が続いている。今月は、たまたま書きたいことやnoteに載せておきたい魚の写真などが多かったからなのだけれど。
でも、10日連続投稿の通知を貰ってから、せっかくなら出来るところまで毎日投稿を続けてみようかとも思い始めている。
振り返れば、私は大学を卒業してから約30年の間、転職に伴う一時的なブランクを除けば、ずっと会社員として働き続けてきた。
それと同時に、2000年からコロナ禍を迎えるまでの約20年間は、各地のライブハウスで自作の歌を弾き語るという形の音楽活動を続けてきた。
どちらも、自分がそうしたいからやってきたことだ。
働かずに生きるのが嫌だったから仕事を持ち続けているし、歌いたいから音楽活動を続けている。
けれど、社会に必要とされたいから働いているという思いがあるのも、自分の歌を誰かに聴いて欲しいから歌っている、という思いがあるのも、また事実だったりする。
「書く」ということも、同じ気がする。
今年1月から始めたnote。
エッセイストでもライターでもない今の自分にとっては、ここで書いているすべての文章は、誰かに求められて書いたものではない。
自分が書きたいから書いている。ただそれだけ。
でも、どの文章も、読んで欲しいと思って書いている。
ここに書き続けている文章は、テーマを与えられ書いていた大学時代のレポートや論文とも違うし、音楽活動の宣伝を兼ねて書き綴っていたブログとも違う。
課題発表でもなく、まして宣伝では無い。
ただ、書いた言葉や添えた情報が誰かに届いて欲しい、紹介した事柄が一人でも多くの人に届きますように、と思いながら書いたものばかりである。
美味しいものについて書いた文章も、水道や下水道関連のデマを否定し事実を解説するために書いた文章も、今回放出されているALPS処理水の安全と日本国内の海産物について書いた文章も。
これまで書いてきた中には、伝わる事を願うというよりむしろ祈るような思いで書いた文章もある。
不安を吐露する人に、大丈夫だと知って安心してもらいたくて、正しい情報を提示し説明し続けてきた。
けれど、「不安であり続けたい人」には、迷惑がられるだけだった。
不安を吐露する人全員が、本当に不安を抱いているわけじゃ無い。
政府や気に入らない公共事業を批判するために、ありもしない危険をでっち上げ、本気で心配などしていないのに不安を叫び続けている人も、中にはいる。
そんな人達の姿はまるで、空の雲を見てあれは本当の怪獣だから危険だと騒ぎ立てているようなものでしかない。
そのくらい、愚かで滑稽な事だ。
そんな人に「大丈夫ですよ。本当はこうなので、安心してください。」と説明しても、聞き入れられる事は無かった。
残念ながら、逆上されるか、無視されるかのどちらか。
はじめから正しい情報など求めておらず、ただ騒ぎたいだけの人達の前では、科学的な数値も法律も無力だ。実際に従事している立場からのリアルな声すらも。
SNS上でのやりとりで虚しさを覚えたことは、数えきれない。
でも、そんな「不安であり続けたい人」「不安を利用したい人」には届かなくても、本当に不安を抱いている誰かには、届くかもしれない。
いや、届く。
自分自身のこれまでの仕事の経験から、それは、確かなことだと思える。
読んで欲しい。
知って欲しい。
届いて欲しい。
そんな気持ちで、私はこれからも、書き続けてゆくのだと思う。
どこまで連続投稿出来るか分かりませんが、お時間のある時にお付き合いいただければ幸いです。
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