"I wonder"が原動力
「”知りたい”と思うような、不思議。」
ふと思うことがある。
これはなんだろう?
これはどういうことだろう?
これってもしかして、、、?
とかとか。
そのたびに、私は新しいことを知る。
この世界のこと、人の気持ち。
そして自分のことについても。
不思議に思うとき、それはこの世界に対して”自分の心をひらいている”というときなのかもしれない。
「自分のことを知ること」と、
「自分の中に閉じこもること」は、
似ているようで、真逆なことなんだと思った。
私は詩をときどき書く。
詩を読むことも書くことも好きだ。
詩は、”不思議に感じたこと”と”その不思議からわかったこと”が、重なったもののように感じる。少なくとも、私はそういった詩が好きだ。いっけん、先のどちらか一方だけを書いたような詩でも、その奥に両方の重なりが感じられるときがある。そういう時、読んでいて心地よさを感じる。
その詩を書いた人が”自分の心をひらいている”から、
世界に対してひらいている、を見せてくれているから、
読んだ私の「心」に響いてくるのだと思う。
自分の心を閉ざしたまま、自分のことを知ることはできない。”不思議に感じること”が新しい場所へ連れて行ってくれるから。自分に対してその”I wonder”を向けるとき、私は私にひらいていることになる。だから、新しく自分を知ることができるのだ。
「”知りたい”と思うような、不思議。」
それは、この世界に、自分に、”自分の心をひらく”ことで感じられる。そして、その「不思議」が新しい自分と出会わせてくれる。それはとっても面白くって楽しくて、だからこの先も飽きることはないだろう。
Written by miyu (画家・詩人)/ 2021.10.23
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