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いつも同じことの有り難さ、当たり前が崩れた時への対処を練習しないと

福野礼一郎さんという
自動車の評論家がいらして、
フェラーリやランボルギーニ、ロールスロイス 対トヨタのカローラ(だったと思うんですが)オーダーメイド、一点ものはハンドメイドの巧みの技でそれはそれで素晴らしいモノだけれども。(これは、当時のフェラーリ達のすばらしさを言っています)
しかし、オーダーメイドのように、手間暇かけて手直しをして、一台を仕上げてゆくのは現物に合わせて修正してゆくので、高価にはなるものの作りやすいともいえる。

だけど、各々のパーツを大量に機械化された作業で作り、修正なしで組み立てるだけで、計画された性能の製品をつくる大量生産技術全て設計されて出来上がった部品を組み合わせて(これは当時のトヨタ車等の日本車を言っています)
均一の品質を実現する事の困難さを説いていました。
例えば塗装。同じ塗料であっても、違う日に塗ったら違う色になるのが当たり前で、ましてや違う工場で違う部品を塗装して
組み立ての時に、おなじ色に揃うなんて事は奇跡なんだ。という主旨の事を書いていました。

そういう不可能を、たゆまぬ創意工夫で乗り越え究極の工業製品にした。
普通の車は、人並みの工業力ではつくれない。身の周りにある当たり前は、誰かのたゆまぬ努力の結果と知る事が礼儀である、という主旨だったとおもいます。

昨日から、身の周りの水道と、電気のトラブルに見舞われて、そんな事を思いだしています。

当たり前に慣れすぎて、どう対処してよいかわからない自分が情けない>⁠.⁠<





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