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月曜の自分をテトリスの消えてゆくピースになぞらえる

朝から気分が良くない日は、月曜が多いです。
普通に会社員やっていれば当たり前の憂鬱な月曜なのですが、
僕ぐらいの年になると、会社の歯車になることに反発する頃は、もう遠い昔で
どちらかというと歯車を動かすモータ―側になってしまっているのに
何を憂鬱なんだろうと思うんですが、
モーターもやはり部品であります。

そして、モーターも使用していればやがて疲弊して型遅れになる。やがて壊れて、交換の時期を迎えるか、予防的に交換するか
僕は特殊部品だから、交換しがたい部品だと強がって見たところ

次々と現れる
新しい世代の部品たちは、
見事に僕の欠けたところに
はまり込み、
あろう事か、僕の苦労した事など
何も無かったかのように過去に落とし込むのでした。

本来、その人でなければダメ
なんて事は超特殊な事であって
自分の代わりは幾らでもいる、
しかし
やりたくない事の代わりはおらず
続けたい事の独占はゆるされない

だんだん暇になってゆくのは
自分がテトリスの消えてゆくピースに
なったからと気づきます。
円満にゲームは進み
やがて難易度は、高くなっていく

標準化したところは
もうゲームの対象ではなく
次の課題を求め始めるから
ゲームの始まりのような月曜が
僕には居心地が悪く
感じられるのでしょう。

つまらないゲームでは
ありません
だけどクリアした
レベルにはもう
興味はなくなります。
、、よね

僕は、
クリアされた
レベルの画面に
居るようにかんじます

寂しくなんかないぞー
(笑)








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