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[小説] 『鱗』〜ウロコ25話〜26話。錆び付いた考えの末の悲劇だった。


        25話


 久しぶりに父親が、今週ゴルフに行こうと言って来た。勝手知ったるコースに、久々の親子二人のラウンドだ。

 太陽も燦々さんさんと最高のゴルフ日和の中、顔見知りのキャディーさんにも恵まれ、ほのぼのとした1日を送っていた。


 それでもそこは、啓介はマジになる。前半を1アンンダーで回って来たのだ。

「お前さー、やっぱり上手いよなー」

「まーねー、それ程でも無いよー」

「お父さんには感謝してるよ!」

「栃木の一ヶ所売って良いよ」


「え!、良いの?」

「でもね、それでも間に合わない金額なんだ」

「そうなの、幾らなの?」


「8000万少し上」

「なんだよー、話が違うじゃん」

「そうなんでよ、梶浦さんが入ってから、値段が跳ね上がったんだよね」

「他でも聞いてみようと、思っているけどね」

「まー、何とも言えないけど、意味があるのなら応援するからな!」

「うん、ありがとう」


 久しぶりの親子水入らずのゴルフ、父親も息子はかけがえのない時間を、噛み締めていたに違いない。

 ワーワーと騒ぎ始めて約ひと月程が経った頃、アグネス・ウォンから連絡があり、日本に行くので直接会って話をしたいと言って、梶浦の音頭で、泊まっているホテルのラウンジで会う事になった。

 目黒駅から清正公に向かった右手、啓介は13時の約束の30分も前に着くと、入口脇のソファーに腰掛け、其々それぞれほぼ時間通りに二人も現れた。

「何だラウンジに、中に入っていればよかったのに」

「いえいえ、そんなー」

「コンニチワ、ハジメマステ、アグネスデス」

「初めまして、加賀見啓介と申します」


 啓介はアグネス・ウォンの名刺を見た時に感じていた。その豪華なデザイン、純金だろうか金を随所にあしらい、名前部分が凹んでいたりと、センスの良さを覗かせている。

 それは同時に隔(へだたり)であったり、訝(いぶか)しくもあった。外国人の特有の名刺だからか、当然と言えば当然なのかも知れない。


 図らずとも、猜疑心(さいぎしん)的な成分が海底からジワっと、浮き上がる感覚を、首の裏側辺りに薄っすらと感じていたのも確かだ。

 啓介からすると、論点は金額と鑑定書なのだ。話が脱線する度に『俺の絵はどうなるんだー』と、まさに『絵空事』のように、白金辺りの宙を舞っていた。

 当初の金額、まさに絵空事的金額は5000万辺りだった筈が、今現在の価格は9000万に届こうとしているのだ。

 冷静とは大分かけ離れ、アグネス・ウォンは、形相を徐々に紅潮させると、胸中訴えかけている様でもあり、サンドウィッチの具のように挟まれている中、前門の虎後門の狼(ぜんもんのとらこうもんのおおかみ)、そんな相貌(そうぼう)を呈ていし、少なからず啓介は斜めからの侵入に、察しが付いていたのだ。

 当初、梶浦はヘンリー・ウオンの親戚を紹介するだけの存在、何故、この絵に拘わり始めたのだろうか?何故に、直接尋ねれば良いのだ、啓介は勇(ゆう)を鼓(こ)して問いただすと、明瞭な答えは無かった。


「コレクションは、何点位あるんですか?」

「まだほんの20点位かな」

「そうなんですか、さっき言っていた絵と比べると、お子ちゃまの絵じゃないですか?」

「いや、この作家は知らなかったんだけどね、いいねー、タッチが実に良い」

「そうなんですよ、何とも言えない構図と、色、色です、色の使いですかね」


「その、他にも欲しがっている人と言うのは、梶浦さんなんですか?」

「そうなんだけど、本当にもう一人欲しがっているのよ、香港の人」

「結局、この話はどうなるんですか?」

「アグネスが主導権を持って進んでいるからね」


 1週間、2週間、一ヶ月、二ヶ月、待てど暮らせど音沙汰が無く焦慮しょうりょしていた。

 国際電話も何度も掛けるも繋がらず、半ば諦め掛けていた頃に一通の手紙が届く、差出人はアグネス・ウオン。

 英語で書かれた中身の核心を簡単に要約していた。

『ホンコンニイルヒト、1オクエンナラウッテモイイヨ』

『何だよー、また上がってるじゃん』


 そして手紙の続きに、競売で競り落とした記録と、折り紙付きの鑑定書の原本、世界的に最も権威があるオークション団体、その一つが発行している鑑定書の写真が同封されている。

『とどのつまり雲の上の存在なのか……』


『BAR』で話をした辺りでは、5000万、今の値段は1億円、考えれば考える程、釈然としないし、到底納得が行く話では無い。

 分不相応な事など重々承知していたし、人間の習性上とでも言うのだろうか、追えば逃げ、逃げれば追うのかも知れない。徹頭徹尾(てっとうてつび)、啓介は覚悟を決めていた。

 つたない英語でアグネスに手紙を書き、会員権の売却に向けて動き始めると、この二ヶ月で更に値を上げ、三ヶ所の合計が5500万になっていたのだ。

 関東で最大手の会員権業者が現金を、結婚式の披露宴で引き出物を風呂敷に包んで持参する様な、その初めて目にする大きい5束、夥(おびただ)しい印刷物の塊とインクの独特な匂いが、部屋中に瀰漫(びまん)していた。


 啓介はかつて吉野と行った香港仕入れの旅で、マカオで勝利し現金をワインに変えてストックしておいたのだ。

 1983年のロマネコンティを1ケース。


 ダメ元で銀座の有名百貨店に問い合わせると、ケース未開封なら買い取り可能と言われ、200万の木箱が400万に姿を変え、残債をキレイにした所で合計金額が4765万、父親が息子へ送る、心の一枚を足し合わせる事5915万円也と、地は固まった。

 信用金庫の支店長は大学の大先輩なので、色々と相談にも乗ってくれていた。一旦、合計金額の5900万円を、通知に入れておいた方がいいと助言を受け、僅かでも利息を頂くも、合計金額に実感がないので、啓介は口を閉ざしていた。

 そうこうしていると、アグネスからの電話で、また状況が変わったと言う。ロンドンの老舗美術館も興味を示しているのだと、そんな事を言ってきた。

 そんな訳で、現状3者でオークション状態になっていたのである、そうなると啓介の経済的背景では、到底太刀打ち出来ない。追い打ちをかけるように、見る見るうちに値を上げていたのだ。


 『1億7000万』とっくに限界を超えていた……。


 梶浦でさえも、既にその輪の中から外れたのだと言っていたらしく、約1ヶ月に於ける、私的オークションにケリを付けるべく、金額を提示した所で、幻の絵は静かに幕を下ろした。


 季節的には秋本番を迎え、都心と言えども、その木々の姿が、黄色や赤色に染まり濃厚さを増して来る頃、昼の12時、国営、民放問わず、トップニュースは梶浦の姿を映していた。

 東京地検特捜部による強制捜査の一部始終、梶浦の身柄拘束のライブ映像、キャスターのけたたましい声が、テレビを通じて事の重大さを物語っていた。

 現職の大臣の名前も挙がり、ゼネコンの経営陣も含めた贈収賄事件と脱税容疑が最大の焦点との報道に、更なる逮捕者の波及は免れないと、民放では詐欺容疑の立件を視野に入れての捜査と、政財界を揺るがす大事件として大きく取り上げていた。


『えー、何んだって———』

 暫しテレビの前で硬直した体、生中継の映像には揉みくちゃにされた梶浦健の姿、現実としては受け入れ難いテレビ画面。

 その顔はブラウン管から飛び出す勢いで、少なからず知人である事は間違いない訳で、父親からすれば知人以上なのだ。齋藤さんなどは大丈夫なのだろうか……、色々な人の顔が浮かんでは消えて行く。


「凄い事になったな……」父親も、地検に呼ばれる趣旨の話をしていた。

「いつなの?」

「いや判らない、齋藤さんは先週、聴取を受けたらしいよ」

「どうなるの?」

「徹底的に調べるらしいからね、何もかも失うだろうな」

「そうなんだ……」


 12月に入り地検の捜査も大詰めを迎えていた。梶浦健は拘留期限のギリギリの所で、約3億あまりの保釈金を納付し、一旦保釈された。

 齋藤さんの話に依ると、5つのゴルフ場を経営する会社の買収話が進んでいたと言う中、名門コースも含んでいたので、躊躇う事なく多少の無理を承知で折衝を行っていた言う。

 買収金額も30億程度と、魅力的な話に、元銀行マンの梶浦でさえ完全に欺(あざむ)かれていたと言うのだ。

 会社本体の借り入れ金額の合計が高々10億円の規模、その程度であれば梶浦興産の鍋に入れて、一緒に煮てしまおうと考えていたのだ。

 しかし現実は契約完了の後に、決算報告書の改ざん、二重帳簿の存在が発覚すると、粉飾決算が明るみになり、その内容は悲惨を極めた。

 実際の借り入れ金額の総額が120億にも達していた。

 そう事実上破綻していたのだ。

 そんな事は事前に判りそうな事だったが、大物議員の口利きが介在していた為、その言葉を鵜呑みにして、完全に信用していたらしい。

 もう後悔しても始まらない。5つあるコースの売却を焦ると、噂は瞬たく間に広がり、買い手はつくとも、叩かれ実勢価格の5分の一程度、やる事なす事裏目った、この数年間で築き上げた資産、およそ50億近くの現金をスイスの銀行に隠していたのだ。

 香港経由、ヘンリー・ウォンの知恵で移した50億。

 国税局の捜査が入れば、追徴課税だけなら未だしも、恐らくは法人税法違反、外為法違反と100%逮捕は免れないだろう、正直、何もかも失う覚悟にはなれなかった。沸騰した頭を冷やすためにも、この道のきっかけを作ってくれた恩人に電話を入れた。


 「社長、……」

「おー梶浦くんか」

「はい、未だ死んではいません」

「いやいや、噂はすごいね」


「自殺説まで聞いたよ」

「今日、明日、何処かで会えませんかね?」

「んー……よし、これから会おう」


 社長が指定した場所は、市ヶ谷の釣り堀。釣り堀には、比較的浮世離れしたご同輩が糸を垂らしている中、場違いな二人。


 「完全にやられました」

「一体どうしたの?」

「御殿場の造成の後に、地元の県議から電話があったんですよ」

「それで、それからは?」

「選挙応援の対策費として適正に、献金を中央にもお願いしますと」

「運輸省と建設省ですね」


「あの大臣か?」

「そうですね」

「社長、引いてますよ!」

「あらら、釣れっちゃったよ!、驚いたね!」

「どうするの、これ」

「いや、リリースですよ」

「しっかり、裏で繋がっていたんですよ」

「良い餌を撒いたんだな」


「馬鹿でした……」

「もう一つ、まずい事がありまして」

「何があるの?、嫌だねー聞きたくないよ」

「5つのコースの共通会員権として、売り出していたんですよ」

「あれだろ!あれ!」

「そうです、あれですよ、要するに、存在していないんですよ、共通会員権など」

「最初から、計画倒産の餌なんですよ、それもあれも」

「共通会員権でかなりの現金を集めています」

「多分、相当の金額が流れていますね」


「ワルだねー、あの野郎は」

「そうですよ、相当のワルですよ」

「しかも、関西とも繋がっているから、全然平気な顔ですよ」

「んー、どうしたもんかねー」

「うちの顧問弁護士は、脱税だけで押し切ろうと言ってます」

「ただ、負債を安く見積もっても、マイナス70億は残ります」

「まずいね、それはまずいだろうーーーー」

「そうなんです……」


 何もかも失った上での、マイナス70億は、必ずや死を意味するに等しいだろう。錆び付いた考え方が招いた現実、自分自身を呪った。何もかも計算されていたのだ。

 将棋で言えば100手位先まで読み尽くし、幾重にも張り巡らされた罠、用意周到に出来上がったシナリオ、陥穽(かんせい)に堕おちたのだ。

 一夜にして120億の負債を背負う羽目になってしまった。

 相手の方が一枚も二枚も上、弁護士からの提案で梶浦興産は一昨日、裁判所に破産の申請を済ませていた。


「そうだな、それが良いよ、一刻も早く消した方が良い」

「それこそ相談があります……」

「良いよ、子会社として生きる道だろ、それこそハワイでやり直すんだな」

「本当にすいません、頼れる人が社長だけなんです……」


 梶浦興産の顧問弁護士も、その烈々(れつれつ)たる手口に、怒りを露わにし、少なからず、梶浦の助けになればと、蓄えた知識の総てを持って戦ってくれていた。

 その甲斐あって、共通会員権での詐欺罪は回避し、被害者の会の発足で決着し、一方で社長の会社で、合計5つのコースの新規募集と被害者救済措置として、一口200万の追加金のみで会員権の保持を実現したのだ。

 ほぼ3ヶ月に及ぶ捜査は混迷を深め、逮捕者が一人も出ないと言う、奇々怪界な展開を見せた形で収まるものの。現職大臣の公設秘書が、隠匿(いんとく)していたと言う理由からの自殺、事件は歪つな形で儚(きえ)ようとしていた。

 梶浦自身、国税局からの追徴金のみと言う温情措置に命が繋がったとも言えよう、その後、地検の聴取に対しては悉皆(しっかい)の体(てい)で対応していた。

 罪深き胸懐(きょうかい)の先にある真実、人間の身体と国と言う体からだは、とても良く似ている気がしていた。何処か身体に不調をきたせば、確かなる良薬の粋を持って治療を施こし、旺然と日々への復興を目指し、阻害する物あらば牢固(ろうこ)たる報復を以って処すかの様に。

 その後、梶浦は、蕭条(しょうじょう)たる深潭(しんたん)の影で無残にも、表舞台から完全に姿を消したのだ。

 直接聞いた訳では無いのだが、怨嗟の果て自ら終わらせたのかも知れず、翌年、日本中を震撼させる事件が砲発すると、大手商社に於ける巨額の不明金、贈収賄等、経済犯罪史上類を見ない、米国をも巻き込んだ一大スキャンダルに、連日連夜テレビではそのニュース一色に染まった。

 政財界からスポーツ・芸能界まで飲み込んだ、桁外れの規模に梶浦の事件は完全に掻き消され、恰かも新しい時代の幕開けを予感させていた。


       26話につづく


 やがて、桜蕾(おうらい)がその命を密かに呈し、勇気と希望を与えるかのような、そんな季節に、香港のアグネス・ウォンと電話で話した。

 久しぶりの声に何でも来月上旬から1週間程、日本に滞在する予定だと言のだ。

「コンニチワ、オシサシブリデス」

「どうも、こちらこそ」

「アノ、エ、デスネ、アノ、エ!」

 啓介は、ずっと気になっていたことをぶち撒まけた。


「あの時、何であそこまで値段が上がったんですか?」

「ソウデスネ、ニンキガアッタデス、アノ、エ、ハ」

「ホントウハネ、カジウラサンガ、ネダンヲアゲタヨ」

「そうなんですか、それで結局あの絵は、どうしたんですか?」

「ダレモ、カッテナイヨ」

「カンテイショ、モッテキマシタ、カンテイショデスネ」


 アグネスは鑑定書の原本を、大事そうに、小ぶりのジュラルミンケースから取り出していた。


「コレデスネ、カンテイショ」

啓介は、ゆっくり丁寧な口調で話していた。


『鑑定書の鑑定は誰かいますか?』


 アグネス曰く、世界的なオークション団体の鑑定書は絶対的なのだと、これ以上の証明は他には無いと言う事だ。

 確かに、世にある二つのオークション団体が仮に不正をしたとなれば、それはもう秩序もクソも無いだろう。

この世に存在する美術品総てが、意義も無ければ、象徴や概念すらもが虚偽であり捏造となって瓦解がかいの果て終わりを迎えるのだ。


 それは米国や旧ソビエト連邦が、競い合うようにして降り立った月面、その地表に刺した旗の事ですらも全くの作り話になってしまう、最早そんな次元なのだ。

 アグネスは、証明材料の一つとして、鑑定書と一緒に、数枚の写真とネガも持参していた。落札した際、鑑定書の受け渡し等々、日付も克明に写っている。

 納得せざるを得ない状況は揃っている。出来る限りの追求を試みようと、写真の拝借を願うと、こころよく渡して貰えた。


「ところで、今現状では、幾ら位になっているんですか?」

「イマハ、イチオクゴセンマンエンデス」

「あー、やっぱり、そうなんだ」

「実物は今、何処にあるんですか?」


「ホンコンノユウメイナヒトガ、モッテルカラネ」

「香港に行けば、観る事は出来ますか?」

「モウマンタイ、ダイジョウブデス」

「アグネスさんは来週帰るんですよね?」

「ソウデスネ、イッショニホンコンイキマスカ?」

「是非、お願いします」


 そうなのだ!頑張れば日帰りでも、問題無く行って帰って来れると、そう感じていた。


 1週間後、懐かしき湿気に覆われた啓徳国際空港、啓介を乗せたシンガポール航空は一足先、朝の9時には着陸していた。

 アグネスの日本航空は2時間遅れで到着すると、急カーブの続く狭い道、香港島の山の上にある、瀟洒(しょうしゃ)な建物に案内される。

 玄関にはメイド2人の笑顔があり、家主はヨーロッパの偉丈夫(いじょうぶ)か、香港人の特権階級か、まあまあその辺だろうと察するも、予想とは明らかに違う顔に、驚きを隠せないでいると、流暢な日本語で話してくれた。


「ワタシノナマエハ、ラメッシュデス、ドウゾヨロシク」

 その絵の持ち主は、スパイスの効いた何とも彫りの深い、インドのお金持ちだと言う。


『どうも初めまして、加賀見啓介と申します、よろしくお願いします』


 極々普通に案内されると、無尽蔵に置かれた骨董や美術品が、出迎えて呆気に取られていると、邸内に香り漂う無防備な富饒(ふじょう)さえも、窈窕(ようちょう)なる旧套(きゅうとう)に包まれて伝統的な作法の元、ダージリンが運ばれていた。

 鼻を擽(くすぐ)る可憐な香りが溢れんばかりに部屋中を満たし、見るからに華奢(きゃしゃ)な椅子と言えども、我が臀部(でんぶ)が初めて出会う、歳月を感じる深く柔らかい座面に腰掛けた。

『ついにその時がやって来たのだ。』

 ラメッシュはとても手馴れた動きで、その絵を観易い角度に立て掛けると、漂流しながらも、魔界の入り口に、迷い込んだのかもしれないと感じていた。色彩の裏側に存在する往日(おうじつ)、現実を金栗捨て、遂には清らかな無となり、無窮へと導くかのような、濃黄色(こきいろ)の懺悔にも見えたのだった。

 何がそうさせているのか、激しくも儚き命を煌々(こうこう)と炙り出し、苦しみ喘(あえ)ぐ過去の営み。飄々(ひょうひょう)とした中にも確固たる永久、言葉をどれだけ重ねようとも、無常の霹靂(へきれき)となると言うのか、事実レプリカの展覧会すら歓喜の嵐と言う、傍観)ぼうかん)の秩序だったのに。


『凄いな———』、やはり途轍とてつも無い絵だと確信した。


 この1年、圧倒的な数の真筆を前にして来たので、少なからず自信を博していたのだ。

 すると啓介はポケットに忍ばせた、布製のメジャーで測り始める、114・3×147。

 アグネス、ラメッシュにしても、別段、買わなくても全然大丈夫ですと言いたげな表情だ。

『策略なのか———』

 そう思い始めると全開に湧き上がる、地球規模のエネルギーの源もとが発する、間欠泉の様に懐疑心が止む事は無かった。

 ラメッシュの収集には、世界的権威の競売団体のサインが記され、必ずと言って、鑑定書がセットになって、その信憑性をより強固な物にしていた。

 自身は、バングラディシュから、貿易商として成功を掴んだと言う。丁稚奉公から数えて、かれこれ40年余、紆余曲折本当に色々あったとも話してくれた。

 啓介は、この状況での贋作はまず無いだろうと、邸宅から感じる匂いよりも、身を粉にし苦難の末に手にした結晶の数々、疑う余地は無いと確信していた。

 啓介は、落ち着き払った様に静かに納得していた。僅かな時間と言えども、確認出来た事に、満足してもその足は、濃黄色の前から離れる事が出来なかったと。

 とは言え、そろそろ飛行機の時間も気になり始め、日帰りとは本当に慌ただしい限りだ。渋滞も考慮し早めに空港に向かおうと、的士タクシーを呼んでいてくれたアグネス。

 下りの急カーブはスピードを落とす事なく、乱暴な運転では無いとしても、少々荒っぽさを感じつつ、飛行場の標識が見え始めていた。

 アグネスは話のヴォリュームを上げた、ややもすれば運転手も驚いて、崖から落ちるかも知れないそんな声が、エアコンの効かない車内に、風を斬る音に、『負けるもんか!』と、がめついた声が聴こえている。


「ドウデスカ———ドウシマスカ———」

「もう少し考えてから、返事をしますね……」

「1、2週間位で連絡しますよ、それでもいいですか?」

「ワカリマシタ」


 的士タクシーを降りると、僅かな時間でも重苦しい湿気と38度の外気はきつい、急いで空港内に滑りこむと、極端なエアコンの寒暖差にやっぱり驚いていた。

 イミグレーションで手ぶらの啓介を見るや否や、不思議そうな顔の税関職員。荷物が無い理由をとことん責められ出国が遅れそうになるも、それでも何とか19時オープンのカウンターに、何事もなかった様にワインを注いでいたのだ。

 誰も知らないとんぼ返りの香港、啓介は自らの答えに未来を携たずさえていた。

 その日は特別に忙しい夜に、用意していた氷も売り切れ、冷やしたシャンパンも底を着いて、慌てて大きめなクーラーに製氷機の軟やわい氷を放り込むと、そこに大量の塩をブッ込んでいた。吉野は嬉しそうな悲鳴を上げて、レジ辺りから動こうとせずに、レジを打つ音が鳴り止まずにいた。

 渾名は『銀座の怪しい人』画廊を経営して20年、いつもの様にワインとシャンパン、毎度の事で今日も連れを口説いている。

 啓介はその手が腰のクビレに這うのを確認すると、いみじくも割り込んで行った。

「いらっしゃいませ、いつも素敵なスーツですよね!その生地は別珍べっちんですか?」

「そうだねー、別珍べっちんだね、まー普通だよ普通、普段着だからさ!」

「何をおっしゃいます……」


「そうそう最近、絵の事を勉強しているらしいじゃないの」

「そう・なん・ですよ!!!」

「あっ、この間横井さんから、シャンパン預かっていますよ!」

「そうなの?あー、あれかー」

「そうだと思います、多分あれですよ!、あれ!」


「例えばなんですが香港辺りにも、お客さんとか業者さんって、いるもんなんですか?」

「うちらも買いに行ったり、向こうから来たりもするよ、なんで?」

「独り言なんですけど、香港のラメッシュさんって有名ですか?」

「知ってるよ、収集家では有名よ、どうしたの?」


「画廊で、辺李有限公司のアグネスさんも知っていますか?」

「もちろん知ってるよ!」

「前に言っていた絵、あれが今香港にあるんですよ」

「それなりにするでしょ?」

「そうですね、結構高いですね、マジで」

「そうだろうなー、因みに幾ら位の事を言っているの?」


 啓介は、洗い物の手を休め、濡れた指でカウンターに『1・5』と書いて見せた。


「んーん、微妙だなー……高くも無いし、安くも無いね……」

「まー、中々出回ることもないしなー、ホント微妙な所だよね実際問題」

「そうですよねー」

「で、買うの?、勇気いるよね、どうするの?」

「いやー、悩んでいます。あの、すいません、くれぐれも、内緒にして下さいね!」


 1990年代を目前に控え、日本経済は、更なる激しさと混迷を極めていた、啓介にしても、そもそも3ヶ所の会員権が5500万にならなければ、日帰り香港も行っていない訳で、常に体の何処かで、預貯金的発想が迷走していたに違い。

 仮にこの絵を買わずにいても、差し当たり今の生活に、何の変化も無い事は明白で、結局の所それが駄目なんだと、それでは先に進めないのだと、胸の奥で幾度も自らに辛辣(しんらつ)な言葉を投げ掛けていた。

 信用金庫の融資担当の倉沢は、比較的穏やかな顔で、名刺の肩書きは課長とあり、不足分の約1億の融資はすんなり通るも、

 借りた金は返すのがこの世の常。現状、その返済の明確なる財源が、全く持って欠落しているのだ。

 啓介はこの1週間、アレヤコレヤと打開策を考えては壁に当たっていた。


『担保は一枚の絵』

 毎月の返済額は元利共で、約62万円。


 其れ程驚嘆(きょうたん)する額では無いのだが、今の啓介にとっては、超難問である事は確実である。

 地元の中目黒に、僅か3坪と言う物件が借り手が無いまま放置され、見た目には廃墟同然の姿で、蔦(つた)が絡まり、曲がりなりにも賃貸物件がある。啓介は良くその前を通っていたので、駅からかなり離れている物件、おぼろげにアイデアだけは浮かぶも、中々次なる行動に移れずにいたのだ。

 約2週間後に信用金庫に提出された事業計画署の中身は、盛られる事は無く裸の金額が書かれていた。

 3坪でも月商215万の売り上げ目標に、原価率23%と記され、店名は『立ち呑みバル』

 スペインの酒場がテーマのワインバーで、立ち飲み形態でワインやお酒の知識を、最大限に活かしたお店の事業計画書だ。

 ほぼ手作り感満載の店に、啓介は熱く説明をしていると、大学の大々先輩である支店長の岡田がゆっくりと話し始める。


「家賃が安いから、やっていけるんじゃ無いの?」

「そうなんですよ、月4万5千円なんですよ———」

「しかし、良くも3坪の物件があったもんだね!」と岡田は続けた。

「支店の稟議だから、上手く運ぶと思うよ」

「それと、お父さんの貸金庫が、年契の更新期限を迎えているからね」

「あー、そうなんですか、知ってますかね?親父は?、多分そう言うの『やってない』と思いますよ、性格的に」

「それとも、別にする?貸金庫」

「大きいサイズの金庫に変えた方が良いね、うん、どう?」

「それじゃ、自分の貸金庫ですかね、印鑑があれば良いですか?」

「大丈夫よ確か『あれさー、倉沢君貸金庫はあれ、認めで良かったっけ?』」

「支店長、大丈夫ですよ認めで」

 2回り違いの先輩、父親と言っても過言では無いだろう、借り入れの契約は前もって交わすも、返済開始の時期は店の内装が仕上がり、営業が始まった月からで良いとの事で、而もその月末からのスタートと、これまた粋な計らいにも随分と助けられていた。

 啓介は気懸りな事があった、本当にお世話になった吉野の顔が浮かんでは消え、何処と無く心痛な思いと焦燥感(しょうそうかん)が綯交(ないまぜ)になっていた。


『———よし!、早く話そう!、それが良いな!』

「吉野さん、おはようございます」

「おー、今日も宜しくね!」

「えーと、すいません今日、店が終わったら話があるんですが……」

「何?話って」

「いや、ちょっと」

「何だよ、気になるじゃん、今話せよ!」


 決して疎(おろそ)かにしたつもりは無かったのだ、吉野を目の前にした時に心が少し揺れた。


「すいません、店が終わってからでいいですか?」

 カウンターに灯された炎ひが留め処無い夜を照らし始める、陶然(とうぜん)とする時間が過ぎて行く中、先人の知恵とその飽く無き技術的革新から生まれる『酒』幾十幾千の時世ときを乗り越えながらも、そもそもこの世に酒と言う、命運をも左右し更にはその時代時代、宿世(しゅくせ)の事実や嚮後(きょうご)の軸までも、その力を持って大きく変える事が出来る恵の液体。

 古代エジプトでもワインとビールを醸造していたと言う。気の遠くなる話だ6、7000年前の出来事だ。

 そう『あの日の1杯があったから結婚して子供がいるんだ!』とか、『もう1軒行ったから会社が存続出来たんだよ!』など、人は嬉しい時、悲しい時、更に道半ばと、何かに付け卮酒(ししゅ)を酌み交わす。

 人間なんて何も無い所から始まっているのだ、誰が最初に酒を作ったのか、もしも素性が判ればお会いして見たい。

 その夜も最後の客を見送ると、それなりの慌ただしい夜に、心地良い疲れを感じていると、レジを閉めていた吉野が、啓介に目配りしながら話し掛ける。


「啓介!ちょっと、外に行こうか、なっ!」

「後少しです、ちょっと待って下さい」

「何処ですか?後から追っかけますよ!」、

「じゃー、あそこ、いつもの定食屋にするか!」

 店から歩いて2、3分。


 階段を5、6段降り半地下にある定食屋。深夜族には有難い店の一つで、酒のあても豊富にあり界隈では名の知れた有名店になっていた。

 午前3時と言えども、7つあるテーブル席は埋まっている。吉野は『ちょこっと注文していたからさ!』と、冷蔵庫で忘れられたのか、冷え過ぎた大瓶が置かれると、名前が擦れて消えかかった濡れたグラスに注いだ。


「あ、有り難う御座います、お疲れ様でーす!」

「いやー、冷え過ぎだろう、これは!」

「染みますね、マジで……、泡、無いっす!」

「やっぱり泡が無いと、ビールは、ダメだよな、常温と混ぜます?泡出来ますよ!」

「んー、いいよこれで、次は言えば良いじゃん!」

 「それで、何?話って」

「はい、実は今月一杯で、店を辞めたいんです」

啓介は、実に端的に話した、フラフラせずしようと決めていたのだ。

「えー、何だよ、はー、マジかよ———」

「———はい。」


 吉野は、やや怒った表情に代わりながら、半分になったグラスを一口で空けた。

「何で、何、何があったの?、俺?誰?」

「いや、店はとっても居心地は良いですし、吉野さんも好きですよ」

「じゃー、何でよ」

「このままでは、ダメなんです、このままでは……」

「西麻布は任せても良いよ、給料も上がるじゃん!」

「いやー、俺はさー啓介を、本当の弟だと思っているんだぜ!」

「どうすんだよ、これから」

「実は中目なかめに3坪の物件があって、立ち呑みの店を、やろうと思っているんですよ」

「じゃー、俺がそこと契約するから、歩合でやれば良いじゃん」

「そうも思ったんです、お願いしようと……」

ナス味噌と、メンチカツが2個、追加した目玉焼きが運ばれ、2本目のビールを頼む。


「いつからの話なの?」

「ホント、つい最近なんですよ……」

「実は、これから毎月、大体100位必要なんです」


「え、———100かー、んー、それは無理だ」


「そうなんです、自分で稼ぎ切らないとダメなんです」


 吉野は、啓介の顔をマジマジと見入った。


「良く判ったよ、頑張れよ!もしダメになったら、いつでも帰って来いよ」

「有難うございます、吉野さんにはホント感謝してます」


 西麻布を離れてから、約1ヶ月のブランクがあろうとも、1990年3月15日、僅かか3坪のワインバー『K`s』は、営業を開始した。

 店のオープンには沢山の花が賑 にぎやかに並び、中には吉野の一声で、芸能人やスポーツ選手からの花も飾られ、それは同時に62万の返済と言う、現実を背負うのだ。

 常識では考えられない買い物をした身、加賀見啓介27歳、厳(げん)たる暮らしの幕開けでもあった。


        27話につづく

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