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映画『いずれあなたが知る話』

絶賛公開中

下北沢トリウッドにて6月2日まで公開中
古澤健監督作品
小原徳子脚本・出演
大山大プロデュース・出演

ノワールサスペンス

写真を志す青年とその隣に住む母娘が主人公のノワールサスペンス。
ビジュアルや予告編から予想していた通りのダークな手触りのサスペンス作品でした。
娘を誘拐された母親がとる意外な行動、そしてそれを隣の部屋から覗き見る男。
人間の普段押し隠しているダークな部分やダメな部分がストーリーの根底に置かれていて、それがストーリーを推し進める推進剤となっているのですが、そうしたダメな人間たちの堕ちていく様を突き放すでもなく、べったりと寄りそうでもなく、絶妙な距離感で描いています。
なので、暗澹とした映画になりそうでいて、実はある種のカタルシスを感じたりもしますし、キャラクターたちの姿に滑稽さを感じ愛おしさすら感じたりもします。
たぶん、自分のなかにもこの映画の主人公たちに共感できる部分があるからなのかもしれません。
我々の日常と地続きでありながらも、ほんのすこしずれたところで起きるとんでもない事件。
観客はそれを劇場のスクリーンから覗き見るように鑑賞することになります。


凝視する映画

その作品の上映時間中、無心になってスクリーンを見つめ続けてしまうような作品は実はとても少ない。
大抵の場合、「このあと何食べようかなぁ」とか「帰りの電車混んでそうだなぁ」とか
どうでもいいことを考えてしまうものである。
劇場でこの作品を観たとき、ぼくは無心になって主人公たちの物語の行く末を見つめ続けた。
身じろぎもせずにスクリーンに釘付になっていた。
『いずれあなたが知る話』はそういう映画だ。
この作品は不穏な空気を纏ったサスペンスというだけに留まらず、「愛」とはなにか、「幸せ」とはなにか、という問いをストレートに突きつけてくる。
この映画の主人公たち、どこにでもいる、ちゃんとしてない不器用な大人たちが必死にそれを求める姿は滑稽でもあり愛おしくもある。
愛を求めるが故にねじれて、愛するが故に絡まってゆく日常のなかで、どこまでも堕ちていく彼らにとって、この映画の衝撃的な結末はある種の救済なのではないかと、ふと思ってしまった。
予定調和もセオリーもない、リアルな人間たちの物語。きっと誰もが仮面の奥に、同じような顔を持っている。
だからこの映画は「生きている」

暗闇の向こうで、どうしようもない人間たちの血管が脈打っている。
スクリーンの前で釘付けとなって、誰かの人生を覗き見るアトラクション。
きっとそれこそが映画なのだと思う。

俳優が立ち上げから公開・宣伝まですべてを手掛けた作品

この作品は俳優の小原徳子が書き上げた脚本を、同じく俳優の大山大がプロデュースを務め、俳優主導で企画がスタートしました。
この2人を中心に集まった俳優陣が企画から製作・公開・宣伝に至るまですべてを演者みずから手掛けるという新たな試みのもとで作られた作品です。
こうした自主製作作品のあたらしい試みは、映画の可能性を内容的にも、また興行的にも拡張し、映画の未来へと続く扉をまたひとつ開いてくれるような気がします。

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