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雨のち晴れ

【雲外蒼天】

雨雲の上には青空が広がっている。今ある苦難もやがて去って良いことがあるだろうというたとえ。

https://dictionary.goo.ne.jp/


大学の卒業を間近に迎えた今、改めてこの言葉を噛み締めている私です。
4年間を振り返り内省したいのでこの場を借りて書いてみたいと思います。


大学1年生

 私が大学に入学したのは2020年の春でした。新型コロナウイルスが蔓延し始め、世間が感染症に包まれたのと同時に大学生活が幕開けしました。
 当然のようにオンライン授業が始まり、急いで買ったパソコンと睨めっこする日々。友達はSNS上でしか繋がることのできない。大学生活に来た意味を考える一年でした。恥ずかしながら夏頃にようやく初めてのアルバイトへ。人と関わるのが好きで塾講師を選び勤務が始まります。
 私はもともと人に何かを話すのがものすごく苦手でした。頭の中で言葉が即座に整理できなくて、コミュニケーションのすれ違いが多くて固唾を飲む。そんな日々を辞めたくて挑戦しました。生徒はみんな純粋な子ばかりで、目を見て話すと頷いてくれる。伝わるってこんなに嬉しいんだ。そんなふうに思えて今まで続けてきました。
 秋にようやくLGBTの方とSNSで交流するように。思ったよりたくさんいること。音楽をやっている人もたくさんいること。背が高い、低い、声が高い、低い、女装をしている人、筋肉を鍛えている人。当たり前だけど、セクシャルが同じだけで十人十色の人がいることに嬉しさを覚えました。会うのは怖いのでこの頃はまだ会話をするだけでしたが、会話をするだけで嬉しいのを思い出します。


大学2年生

 私にとって一番大きく人生が転換したのがこの年でした。曇り空の中にいるような、絶望の底に叩き起こされたような。そんな気分でした。 
 それは病気にかかってしまったということです。夏頃からずっと発熱と下痢が止まらずに、何度もコロナや胃腸炎と誤診されながら3ヶ月が経ちました。体重は38キロ(元より15キロ)落ちて、骨が浮き出てしまい、これはまずいと思い、一度精密検査を行うということで行った大腸の内視鏡検査を行うとまさかの診断は「クローン病」でした 。 自分がまさか。なんて思いましたがそのまさかが来てしまった以上どうしようもなくて。診断が降りた日は20歳の誕生日でした。どうしようもないと思いながらも、命に関わる病気ではないため、治療生活が始まりました。学校はというとオンライン授業のおかげで単位を落とすことなく取りきることができました。
 この文を書いている時点ではもう2年半の療養を終えましたが、なんとか寛解にあります。ただし、それでも食事制限など完全に元通りの生活はいきませ。いつか再燃してしまうのではないとも不安になる日もあります。どうやら指定難病とは厄介なもので、ある意味私に試練を与えてくれたそんな存在であるとも言えます。辛い、辛い、痛い、苦しい。だけども生きなければならないそんな思いでひたすら耐えた年でした。オリンピックイヤー?クソ喰らえ。


大学3年生

 この年は初めてがたくさんありました。まずは恋愛。
 初めて男性の方と正式にお付き合いしたのが春のこと。私はまだ何も知らなかったことを痛感しました。性行為が、連絡の頻度が、愛を測る物差しでもなければ人それぞれ。わかっていたはずなのに私は不安になりすぎて、結局お互い傷をつけあう結果になってしまいました。そもそも、私は大学に来てから、親との愛着形成ができていないこと、弟との差別をされていることを強く感じるようになりました。人を好きになる前に自分を好きにならないとな。すぐにはできる気がしないけど。そんな悩みは今でも持ち合わせています。
 そんな私ですが、別れたすぐ後に知人から誘いを受けて楽器を借りながら楽団に所属することになりました。部活動と違い毎日吹けるわけではなく、個人で練習しないといけない困難さや会場への移動など、なれるまで時間はかかったものの改めて音楽って楽しいものと再認識しました。
 もう一つの初めては就職活動です。
 なんとなく児童に関わる仕事を望んでいました。けれど、塾講師をしてみても保育士の資格勉強をしてみてもピンと来ず、介護へ道を決めました。祖父が倒れた時にそういえば介護士の方が親身にしてくださったのと、誰か他の家庭が少しでも苦しんでいるのであれば綺麗事ですがお手伝いができたらいいなと思い道を決めました。


大学4年生

 最後の1年はとにかく目まぐるしい一年でした。
 春は楽団のコンサートに資格の試験、夏は就職活動、秋冬は卒業論文。ただただ時間に追われていた毎日でした。何回もできない無理と弱音を吐き出しながら駆け抜けていたら終わっていた。そんな最後の1年。後悔はないかと言われるとかなりあります。時間管理のミスで試験を受け逃すこと、疲れすぎて好きな人になぜか傷つける言葉を吐いてしまったこと。もう大人のはずなのにまだ大人になりきれていない。悔しくて泣くことばかりでした。でも止まらずに腐らずに卒業を無事迎えることができました。


 私の4年間は、別に誰かに何かを残したり与えた4年間ではなかったですが得られたこともたくさんあります。思っているより他人は優しいし、優しくされるから他人に優しくできるんだと。辛い雲を越えれば青い空が、雨ばかりは降らないことは本当なんだとおもいます。
 これからは学ぶ生徒ではなく、誰かに施し、感謝を伝えて隣人に優しくあれるように頑張っていきたいと思います。4年間に関われた全ての人に感謝です。今後ともどうぞよろしくお願いします。

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