見出し画像

"夢は専業主婦"の私がバリキャリになったきっかけ

ベンチャーで広報を統括しているSACOです。俗に言う「バリキャリ」。20代の頃は仕事で終電を超えることも多く、睡眠時間は5時間未満。海外と日本を2週間ずつ行き来する生活を1年ほど続け、海外駐在もしていました。

30代になり、前ほどの無茶な生活は脱し家庭とのバランスも少し考えるようになりましたが、やはり働くことがなんだかんだ大好きで、日々色々なことにチャレンジしながら試行錯誤やっています。

実のところ、自分がこんなに仕事に打ち込むようになるとは、小さい頃の自分は全く想像していませんでした。あるきっかけで、こんなにも考えが変わるのかと自分でもびっくりしたので、今回はその体験を書いてみます。

ずっと変わらなかった夢

「おおきくなったら なにに なりたい?」

最初にそう聞かれたのはおそらく幼稚園。将来の夢を絵に描いてみましょう、という日があったのを今でも覚えています。「お花屋さん」「ケーキ屋さん」が人気だった中、私の夢は「おかあさん」でした。

専業主婦だった母は友達も多く、大体お昼は色々な友達とお洒落なところへランチに行き、夜は美味しいご飯を作って家族みんなで食べる。とてもアクティブで、人に囲まれ、いつも楽しそうにしていました。

そんな母の姿を間近に見て、「わたしも おかあさんとおなじようになりたい」と子供ながらに思っていたから。きっと母にも大変なことはあったと思いますが、私から見た母はいつも明るく人生を楽しんでいるようでした。毎日を、こんなふうに幸せに生きていけたらいいな。幼稚園の頃に生まれたその想いは変わらず、私はそのまま大学生へと成長しました。

アメリカで過ごした1年

海外で暮らしてみたいと憧れがあった私は、大学2年生のときに、アメリカのカリフォルニアへ1年間交換留学に行きました。この1年は自分にとってとても大きな経験で、性格も考え方も変わった転換期となりました。

英語は小学生の頃から好きで勉強していたので、コミュニケーションは幸い苦ではなく。この留学の目的は、語学というより、異文化で育った人たちと知り合い関係を築くことでした。日本で生まれ、旅行でしか海外に行ったことなかった私にとって、はじめてのアメリカ暮らしはとても新鮮でした。

ショッピング中の険悪な空気

最初に仲良くなったアメリカ人の友達とショッピングセンターへ遊びに行ったとき、「先にお店回る?ご飯食べる?」と聞かれ、ふと「うん?どっちでもいいよ〜」と答えました。それまで日本で過ごしてきた19年間、フォロワータイプで周りに合わせてついて行くことに慣れていました。本当にどっちでもよい、という考えしか頭に浮かんでいませんでした。「えっ?どういうこと?」空気が一瞬で凍りついた瞬間を今でも鮮明に覚えています。

あ、自分の意見を持って言えないと、ネガティブに捉えられてしまうんだ。この日から、自分の意見を持つこと・それを伝えること、を意識して行うようになりました。そして、今まで意見を言っていなかったのではなく、そもそも意見を持ってなかったんだ、と気づくことができました。これは一つ、私の考え方が変わったきっかけです。

勇気を出して踏み出した一歩

どうしたら現地の友達をたくさん作れるのか。日本人の私に興味を持ってもらいやすい環境へ行こうと、日本に興味を持っている学生と日本人留学生が集まり交流する、というサークルに参加してみました。

週一の活動では、英語と日本語で会話をしたり、日本についてのプレゼンを行ったり。日本に興味がある人が集まっているので、すぐに仲良くなることができ、気軽に遊びにいける仲間を得ることができました!

さて参加し始めてから3ヶ月後、なんと幹部長から「留学生初の幹部になってほしい、日本人の参加者を増やすのを手伝ってくれないか」という話がありました。参加者側から運営する側に?!

今まで前に立つようなことはやったことなく正直自信がなく...。でも現地のメンバーと深くなるチャンス!そして声かけてもらえて単純にとても嬉しかったのもあり、勇気を出して引き受けてみました。

週次で幹部たちで集まってミーティング。今後の企画や課題を話し合ったり、イベントの準備をしたり。私以外アメリカ人だったので、私1人意見が異なることも多々。でもどうしたらサークルがよくなるか、もっと人に来てもらえるか、真剣に考え伝えようとすると、苦手意識のあった議論も自然と行えるようになりました。そして幹部みんなで試行錯誤しながら、色々な施策を行いました。結果、一時期は10名以下になってしまった参加者もどんどん増えていき、帰国を控えた半年後には、100人以上のグループになりました!

そして最後の幹部ミーティング。1人から言われた言葉が私の人生を変えました。

“You did a great job. Without you, half of the members would not come. You were really important.”(よくやったね。SACOがいなかったら人は半分くらいしか集まってなかったと思うよ。すごく重要な役割をはたしてくれたね。)

「私の価値」を面と向かって認めてもらえた経験でした。一生懸命頑張って、私だからこそ出せる価値を出すこと。それってこんなにも幸せなことなんだ。と、なんだかじーんとして泣いてしまいました。

その日家に帰っても、その言葉が頭をぐるぐる。あれ、これって働くことと近いのかな?働いてみたいかも。その日から働くことに興味を持ち始めました。

私だからこそできる仕事

アメリカでの経験がきっかけで、「私だからこそできる価値」を広く提供できる大人になりたい!と、私の夢はがらっとかわりました。

でも、自分の得意な領域はなんだろう。私が出せる価値って...?まずはそれを少しでも掴まないと。
そう思い、新卒での就職活動では「バリバリ新人のうちから仕事に挑戦させてもらえるところ」「速いスピードで成長できるところ」といった観点で、ITメガベンチャーを選びました。

新しい夢に出会ってもうすぐ10年。もっともっと私なりの価値を提供できる人になりたい。その想いは変わっていません。そのために日々自分が本気で正しいと思うことに全力で取り組むこと=仕事は、私にとってとてもわくわくするものです。これからも楽しみながら「バリキャリ」していきたいと思います!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?