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【ショートショート】 Who am I ?

どしゃぶりの雨から逃げるように僕はその店に入った。お店のスタッフに案内され、座敷の襖を横へ開くと、懐かしい顔が揃っていた。

小さな歓声が上がって、中へといざなわれる。壁際の空いた席に着くと、脇あいからビールを差し出され、グラスにそれを受けた。

「もう一度乾杯〜!」 

誰かがそう言って、座敷にいる全員がグラスを持ち、乾杯乾杯とあちこちで声が上がった。僕はその場の雰囲気に気圧されながら、グラスを傾けた。

10年ぶりの高校の同窓会である。
遅れて来たのは、恋人との喧嘩が長引いてしまったからだ。原因は些細なことで、僕が先に謝れば済んだ話なのに引くに引けなくなっていたのだ。

座敷内を見渡してみると、クラスのほぼ全員が出席しているようだった。僕らの高校は全寮制の学校だったので、ここにいる全員、同じ寮で高校3年間を過ごした。寮は二人一部屋で、頻繁に相部屋のローテーションがあったので、ここにいる男子とはほとんど同じ部屋で生活したことがある。みんなよく知る間柄だ。

「ひさしぶりだなあ。今、どうしてる?」

隣に座っていた丸眼鏡の男が声をかけてきた。すすめられたビールを受けながら「結構忙しくてね」と当たり障りのない答えを返した。顔は覚えているのだが、名前が出てこなかったのだ。男はグラスいっぱいにビールを注ぎ、昔の思い出話を始めた。

僕とその男は高校時代、同じ部屋になったことがあるらしかった。ある日、些細なことで喧嘩となり、互いに口をきかない日が続いたらしい。そして、あるとき僕が謝ったことをきっかけに仲直りしたという。

「いやぁ〜、あの時、お前が先に謝ってくれなかったら、いつまで喧嘩続いただろうなあ。俺、絶対に自分から謝るなんてことは出来ないからさぁ〜」

だが、僕にそのような記憶はなかった。むしろ、僕自身が人に謝ることが苦手なのだ。今日の恋人との喧嘩だってそうだ。しかし、この男が気を悪くしてはいけないと思い、適当に相槌を打って取り繕った

人間とは変わっていくものだし、生きていれば否応なく自分が上書き保存されていくもの。だから記憶も、消去されるものもあれば、新たに書き込まれるものもあるだろう。

「あら、こんなところでも二人で話し込んでるのね。あんたたちいっつも一緒だったわよねえ」

丸メガネの男の奥に座っていた女が会話に入ってきた。この女にしても、顔に見覚えはあるのだが、名前が出てこない。しかし、いまさら名前を聞くことなんて出来ないもので、何とかやり過ごすことにした。 

次第に丸メガネとその女は、僕を置いて高校時代の思い出話に花を咲かせ始めた。僕は、その話に耳を傾けた。ところが、二人の話を聞いているうちに、僕は段々妙な気分になってきたのだ。僕はそこにいたはずなのに、知らない話ばかり。

間違って別の会に紛れ込んでしまったのではないかと不安を感じ、あらためて見渡すと、座敷内にはどれも見覚えのある顔ばかりだ。ただ、不思議なことに、誰一人として、名前を思い出せない。知っているはずなのに、知らない他人。

懐かしいはずの顔を見ているうちに、僕は段々気分が悪くなってきた。酔ったのかもしれない。こめかみの辺りを抑えてじっと不快さに耐えていると、隣の女がふとした拍子に、

「ねえ、そうよねえ長谷川くん」

と僕の肩を叩いた。
それは、僕の名前ではない。僕はぞとっして思わず席を立った。

「おいおい、大丈夫か長谷川?」
「大丈夫か長谷川?」
「長谷川、しっかりしろよ〜」

座敷のあちこちからから声が上がる。うそだ、冗談じゃない。みんなで僕をからかっているのだ。今にも吐きそうになりながら、僕はトイレに駆け込んだ。

トイレのドアを開けると、目の前に洗面台と大きな鏡があった。

その瞬間、鏡に映っている自分を見て、驚きのあまりその場から動けなくなってしまった。

鏡には、見知らぬ男が驚いた表情で映っていた。

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