【コーヒー淹れるのたのしいよ】淹れ交わして暮らせ
カラカラン……
客か。珈琲を飲みに来たと言いたげな顔だな。たしかにここは珈琲屋だが、おれがそう書いているだけなのでおまえはここでは何も飲めない。珈琲は自分で淹れろ。家にいっしょに棲んでるやつがいるならそいつにでも淹れてもらえ。
おれはこれからおまえに結局とくに意味のない話を一方的にする。おまえがこのまま帰っても閉ざされたドアに向かっておれは話し続けることが可能なため帰りたければ気にせず帰れ。
続けるぞ。
もしおまえの家に、サイフォンでもペーパードリップでも何でもいいのでコーヒーを淹れるための道具があるなら、そして誰かパートナーと一緒に棲んでいるなら、お互いにコーヒーを淹れろ。
美味くても不味くてもいい。珈琲豆もなんでもいい。道具や淹れ方もなんだっていい。
相手のことを想って淹れろとか、美味い珈琲を飲みたいと願いながら湯を注げとか、そんなことを言う気もない。
なんでもいいからお互いにコーヒーを淹れろ。今日おまえが淹れたのなら、明日はパートナーに淹れてもらえ。別にどちらかがごくたまに淹れるとかでもいい。
お互いがお互いの淹れたコーヒーを飲むということをときどきでいいから行え。
それにどういう意味があるかだと?
決まっている。日々の生活の中でお互いの淹れたコーヒーを飲むという機会がもたらされるのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
だからなんだ、とおまえは思うかも知れないが、手で淹れたコーヒーには嘘はつけない。
そのカップにたたえられた黒い水面はおまえが今してる顔であり気持ちであり体調とか悩み事とか愛情とかだ。だからそういったものが込められたコーヒーをお互いに飲むことで相手の何かを感じ取るきっかけにしろ──
とか言うつもりは全くない。
なぜならそのカップに何が込められているかなんていうことは、飲んだやつが勝手に憶測や妄想で考えることであって、実際のところなんてわからないからだ。
というか相手の考えていることを知りたいなら喋ったほうが早い。何かそういう状況なのであれば、コーヒーが冷めてしまったり氷がとけてしまっても構わないので「ちょっといいかな」と言え。
ただ、相手には伝わらないが、手で淹れたコーヒーには何かがノる、とはおれは思っている。それはおれが勝手に言っているだけの妄言だが、その妄言を吐くおれ自身はそのことを全く疑っていない。
だが繰り返し言うが、それを理由にお互いにコーヒーを淹れろ、と言うつもりはない。
それで何かが起こるわけでもない。なにかパートナーとの日々が豊かになったり、通じ合うモノを感じたりすることは在るかも知れないが、それは様々な要因が絡みあった結果であって、別にコーヒーは直接関係しない。意味は勝手に感じろ。
おれが言いたいことはこうだ。
おまえはコーヒーを淹れろ。パートナーにも飲んでもらえ。別にいっしょに飲まなくてもいい。そしてパートナーにもときどき淹れてもらえ。それをおまえは飲め。何かを感じようとしなくてもいい。ただそういうことを行え。スマホをいじりながらでもテレビを見ながらでもかまわない。ただ、最初のひとくちや、気がついたら底が見えていたカップの最後の一滴だけでもいいから、コーヒーを飲むことだけをやれ。
そうするとどうなるのかとおまえ訊きたいのかも知れないが、特にどうもならない。なにも感じなくていいし、感じてもいい。意味は好きに持たせたらいい。勝手にしろ。
パートナーとの日々の中に、どちらかが淹れたふたり分のコーヒーがある。
地球に地軸があるように、そこにあるコーヒーが何かの真ん中になる。そんな気がする。
もしそうだとするとどうなのか、という話では無い。
おれはただ、そういう画が好きだ。
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