見出し画像

可能性事象ひろげおっちゃんの笑顔

 朝、2歳の娘を保育園に送り届けるために商店街をベビーカーを押して歩いていて、途中信号で止まった。
 交差点にはディスプレイが設置してあり、商店街の店舗を紹介する動画が流れている。そのときは串カツ屋さんだった。
 娘はそれを観ながら「くしかつ! みたやつや!」と楽しそう。最近関西弁をときどき喋るようになっててすごくカワイイ。

 ――と、
 目の前で信号待ちしてるおっちゃんが振り向いた。スーツに白髪のたぶん70代前後の紳士。おっちゃんはにっこりわらって、
「かわいいなぁ、わかってるんやなぁ」
 と言った。

 ぼくはおっちゃんに「へへっ」と笑いかけた。そうなんですかわいいんですよ、そして娘は好奇心いっぱいでどんどんいろんなことを覚えていくのがサイコーにかわいいんですよぉぉぉぉ、という「へへっ」だ。

 それはそれとして、娘の可愛さは家族や親戚だからとか関係なく、無条件で伝播する。また他者のオキシトシンを分泌せしめてしまった。おっちゃんの相好の崩し方ったらなかったもんなぁ。

 ――ん? 待てよ。
 おっちゃんの言葉は本当に娘に向けられたものだったのか?

 おっちゃんの年齢を仮に70歳とすると、おっちゃんがぼくの年齢くらいのころ、ぼくは2歳とかそのあたりの子どもだ。もしかしておっちゃんは娘を愛でているぼくに対して「かわいいなぁ」と言ったのではないか。

 いやいや、そら2歳の娘のことカワイイって思ったに決まってんじゃん、と思う。娘がたのしそうに喋っている姿は人類史で最もカワイイからである。
 でも真意はおっちゃんしか知らない。そしてぼくは重度のひとみしりであるためそれを確かめることはない。
 つまり、おっちゃんがカワイイと思ったのはぼくのことか娘のことか、どちらの可能性もあるのである。

 そう考えると身体にパワーが漲るようである。娘の可愛さは電力に換算すると1年間地球を回せるだけのパワーがあることがわかっているが、おっちゃんにとってのぼくは、その娘と同等のパワーを持つ存在であるかもしれないからだ。
 ……ぼくがそんな、無尽蔵とも思われるパワーを持っている? クックック……

 娘を保育園に送り届けたあと、家路についた。道中ぼくは誇らしい気持ちでいっぱいであった。カワイイのはぼくか、娘か、両方か。どの可能性もあり否定できる根拠がないのなら、もっとも自分が気持ちいい可能性を選ぶ。

 まあ、ぼくはおとななので、その無尽蔵のパワーを全開にし続けることはすべきではない。とくに仕事のときは、周囲に影響しすぎるとまずいなぁ。やあ、基本顔の見えないテレワークで良かったなぁ。

 そんなことを割と本気で考えながらごきげんな朝を過ごしたのであった。よき可能性をありがとうございます。おっちゃん。
 また交差点で出会ったら娘を見てあげてください。

読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。