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知ってる公園のディメンションが別

 近所の公園は、近所の公園でしか無い。
 けれど、最近は一歩足を踏み入れると、景色はそのままにまるでアナザーディメンションに訪れたような空気の変化を感じるようになった。

 現在、1才4ヶ月の娘が産まれてから起こった大きな変革のひとつに、町の風景が一変した、というものがある、
 別に町の風景は変わってないのだけれど、意味が変わった。

 例えばベビーカーで出かけるとき、地下鉄の階段は「駅構内への入り口のひとつ」ではなく「行き止まり」になった。最寄りのイオンモールは「服や雑貨をみにいくでかい店」ではなく「ベビー対応設備充実で一日中安心して遊べるテーマパーク」となった。
 そんな感じで、公園も意味を変えた。

 こないだの日曜日、午前中に娘と公園に遊びにいった。日曜日なので他の親子もいて賑やか。
 鉄棒の近くが空いていたのでそこで遊んでいると、小学校低学年くらいの女の子がやってきた。その子は駆け寄ってきた勢いのまま鉄棒につかまると、軽やかに逆上がりを披露してみせた。
 びっくりしたのか娘はぽかんと見上げていた。
「おねえちゃん、すごいねえ」とぼくが言うと、その子は「もっと出来るで」と、逆上がりからの足かけ回りを見せてくれた。
「すごいなぁー」思わず拍手。
「へへ、すごいってみんな言うねん」
 訊けば小学2年生で、まわりはまだ逆上がりできる子は稀らしい。

 それからいろいろ話をしてくれた。
 ぼくの娘にも「まだ1歳ちょっとでこんなに歩けるのすごいなあ」と言ってくれて、ぼくは誇らしい気分になった。「うちの弟もおなじくらいやけど、家の中でしか歩けへんねん」
 そうなんやぁー、と言ったり思ったりしたけど、書きたいのはそういうことではない。

 つまり、
 ぼく今しらない子どもとめっちゃ喋ってるやんスゲェ!
 ――ということだ。

 娘と公園に来たことで、本来接点の無かったひととこうして世間話とかしているこの瞬間すごいと思った。
 世代が違うひとと喋るのたのしい。それにいまの小学校の時間割とか習うこととかの話がすごく新鮮!

 女の子が去ったその後、砂場が空いたので、今度は持参したお砂場グッズで娘と遊んだのだけど、娘はすぐ飽きて砂場のそとに歩きだして枝ひろいに移行した。
 そうしていると砂場に別の親子がやってきて遊び始めた。ぼくらがそろそろ帰ろうかなというとき、その親子の子どもがすごい楽しそうにぼくらのお砂場グッズで遊んでいた。

 回収するの言い出しずらかったけど、
「こんにちは。すみません、おもちゃ持って帰るので……」
 と言った。
 するとその親御さんは、
「勝手につかってすみません。楽しませてもらいました」
 と笑顔。おもちゃも快く返してくれた。
 おもちゃが揃っているか確かめていると、「これもじゃないですか」と不足してるものも探してくれた。

 わ、関わり! と思った。

 たぶんこの、持ってきたおもちゃ相互使用後の回収の一幕はよくあるシチュエーションなのだろう。相手の慣れた対応でなんとなくわかる。
 こういう一幕が親同士のコミュニケーションのスイッチになったりするんだろうな。

 人と人とがお互いを認識しあう出会いのスイッチが、知らなかっただけで連綿とここで発生していたのか。
 なんだか、隠れていた秘密のスイッチを見つけたみたいな気分になりワクワクした。

 子どもが産まれたことによって、同じ場所でも別の次元に訪れたような認識の変化が起こった。
 なんか、大作RPGで物語の後半になって序盤の村とかの隠された広大なダンジョンを発見したときみたいな趣きがありめちゃめちゃおもしろいな。えっ、この村こんな凶悪なものを内包していたのかスゲェ、みたいな。

読んでいただきありがとうございます!!サポートいただければ、爆発するモチベーションで打鍵する指がソニックブームを生み出しますし、娘のおもちゃと笑顔が増えてしあわせに過ごすことができます。