膾炙と私

あらゆる物事の言語化や名付け、更にそれの浸透は会話や文章を書く時などとても便利でイメージもしやすくなるので有り難いです。
でも便利な反面、使いやすかったり流行りすぎてしまって本来はそうではないのにそれに似た事象までも同じ呼び方をされてしまう危うさもあります。

先日インフルエンサーマーケティングについて調べていたら、その手法をとっている某商品が「ステマ(ステルスマーケティング)」を行なっていると半ば批判のような紹介をされていました。
確かに両者の違いは分かりにくい部分もありますが、一時期「ステマ」という言葉が流行りすぎて「有名な人に紹介してもらう=ステマ」となってしまっていることも多いんだろうなと思います。
更に厄介なのは「ステマ=良くないこと」というイメージもあるのでそこに広告である旨が表記されていようがなかろうが「沢山の有名な人が紹介している=良くないこと」とイメージダウンに繋げてしまう人も少なからずいるのでしょう。

本来他との境界線があるからこそ名前が付けられているはずなのにそのせいでそれに近しいものまで一緒にされてしまう。大きい方に取り込まれてしまう。
なんとも皮肉で不思議な話です。

他にも例えば「エモい」であったり「中二病」であったり。
言葉そのものの印象やパブリックイメージが強すぎて、そうだけどそうじゃない、その言葉だけでは片付けられないんだよ…ということも多々あります。
特定の病状・症状を示す言葉の濫用についても同じようなことを思いますが俺が軽々しく語れるようなことではないのでやめておきます。

名前を付けるというのはある種のカテゴライズであって、そう考えると所謂「ヴィジュアル系」というカテゴリに身を置く立場としてはこれからもこの先もその曖昧な境界の上をフワフワと漂っていく運命なのかなと思います。
とかそんな言い方をしてしまうと嫌々受け入れている感が出てしまいますが全くそんなことはなく、むしろ曖昧だからこそ楽しめる余白が多々ある訳でもあるので面白いカテゴリだなと常々思っています。純粋に好きという気持ちもありますしね。

「ヴィジュアル系=○○」というイメージは人それぞれあるとは思いますが一度じっくり体験してくれる人が増えることを願います。
そして我々for severe addicts onlyの音楽にも耳を傾けてもらえたなら幸いです。

いつもありがとうございます。 弦を買ったりおいしいおやつを買ったりします。