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ソース原理とティール組織は相反するのか?

ティール組織とソース原理の関係について議論する機会があり、自分なりの考えを整理してみたのでnoteにしたためてみた。

僕がこれから記載する内容が正しいのか間違っているかではなく、「人が活き活きと過ごすことのできる豊かな組織のあり方」を考えるきっかけになれば良いなと思う。


ティール組織とは

ティール組織について、僕が改めて説明する必要性も無いくらい世の中に浸透してきている。ウェブサイトから説明文を引用するので、もっと詳しく知りたい人は記事を見てみてほしい。

ティール組織は「生命体」とも比喩される組織モデルであり、文字どおり組織全体が生き物のように有機的な活動を行える理想的な体制です。ティール組織にはマネージャーやリーダーといった役割は設けられず、上司・部下といった縦の関係性も存在しません。

雇用主や株主も含めて、すべての関係者がフラットかつ対等な間柄にあり、組織はメンバー全員のものととらえるのがティール組織における重要な前提です。そして、組織の存在目的や社会的な使命と、個人が達成したい目標を一致させることにじっくりと時間を使います。

そのため、当然ながらリーダーや管理職からの指示命令系統は設けられません。各メンバーがきちんと組織の目的を理解し、広い視点でルールや仕組みを把握したうえで、現場にあっては自律的に行動を起こすのが大きな特徴です。

ソース原理とは

ソース原理とは、人のあらゆる活動において「特別な役割を担う1人( = ソース)」がいるという考え方。

ソースとなる1人がアイデアを実現するための一歩を踏み出すことでクリエイティブ・フィールドが作られ、そこに人やリソースが集まり、アイデアを実現するための活動が行われる。

2022年秋に書籍が発売され話題になったため、組織や人材関連が好きな方は知っている人も多いはず。もっと詳しく知りたいという方はぜひ本を読んでみてほしい。

ソース原理とティール組織は相反するのか?

ここからが本題。
ソース原理とティール組織の関係性について。

ソース原理の著書『すべては1人から始まる』でもティール組織との関係性に触れられていて、ティール組織とソース原理は相反するものではないという論調になっている。

『ティール組織』の出版以降、私や他の人たちがこうした問題に焦点を当てたことで、フレデリック・ラルーも、ピーター・カーニックの「ソース」という視点が、次世代の参加型組織を築くためにきわめて有効だと認めている。のちに、ラルーはソースについて動画シリーズで言及しており、彼に共感する人たちも今ではソース原理を取り入れようとしている

『すべては1人から始まる』 第3章 人が集まるクリエイティブ・フィールド (P.93)

書籍『ティール組織』の著書フレデリック・ラルーが、「もし事前に知っていたら、必ず書籍で紹介していたであろう大切な概念の1つだ』と語っていたのがソース原理なのです。

『すべては1人から始まる』コラム1 (P.106)

だが、ここで1つ疑問が沸いてくる。
意志決定のあり方だ。

ティール組織における意志決定の方法として「助言プロセス」というものがある。

「助言プロセス」とは、意思決定の前にすべての関係者とその問題の専門家に助言を求めて意志決定する方法のこと。

ティール組織では階層が存在しないため、誰かの意思決定にその下階層の人たちが従う、ということにならず、誰もが意思決定者になりえる。そのため、意志決定の方向がずれないように「組織の存在目的」をメンバー同士でしっかりと確かめ合うことで担保している。

一方で、ソース原理における意志決定では、クリエイティブ・フィールドからはみ出さないことが重要視される。ここまではティール組織の「存在目的」が軸になることと変わらないが、ソース原理ではその枠組みをソースが規定する。

■境界を守る
(中略)イニシアチブにそぐわないものは境界内に入ってこないようにしよう。もしソースが、イニシアチブにそぐわないと知りながら侵入を許してしまったら、緩やかに、しかし確実に、クリエイティブ・フィールドの一貫性が失われていく。
(中略)ソースが明確さを持ち、究極的には愛をもって行動すれば、自然な振る舞いとして受け止められるだろう。

『すべては1人から始まる』 第5章 ソースとしての振る舞い(P.136)

■ 決断する
 最後に、<明確さ>を手に入れたら、ソースは<決断する>準備をしなければならない。
 この行為は、ソースが持つ創造的権威的の究極的な表現形態だ。つまり、イニシアチブ全体の方向性や範囲についての重要な決断を真の意味で下せるのはソースだけという事実が表現されるものだ。明確にトップダウンの振る舞いである。
 しかしソースが真に明確であるなら、メンバーに強制する必要はほとんどない。自然と周りとの合意がとれるはずだし、そこに至った経緯はみんなで決めていったと解釈されるだろう。

『すべては1人から始まる』 第5章 ソースとしての振る舞い(P.139)

■ 全体ソースとつながる
 誰かがサブイニシアチブを提案する場合、クリエイティブ・フィールド全体のソースやビジョンとのつながりが保たれることが重要になる。
 サブソースは、提案が全体ソースのクリエイティブ・フィールド内に完全に収まるように気をつけよう。そして全体ソースは、自分のフィールドを乱すような提案は決して受け入れないようにしよう ─── 同意してしまうと、後から問題が起きるだけだ。

『すべては1人から始まる』 第12章 意志決定と対立(P.235) 

このように、誰もが意思決定者になりえると明言するティール組織と差分があり、これをどう捉えるべきかが論点だ。

この論点に対して、自分がいきついた結論としては、ティール組織に限らずどんな組織やチームもすべては1人のソースからはじまるという点においては共通していて、組織が進化していく過程で、ソースの存在がどうなるかで分岐していくものだと思っている。

ティール組織のフレデリック・ラルーが「もし事前に知っていたら、必ず書籍で紹介していたであろう大切な概念の1つ」と語っているその背景には、ティール組織はふんわりできあがるものではなく、必ずはじまりは1人のソースからであり、組織の成熟過程において、明確なクリエイティブ・ヒエラルキーの存在が必要という点で「大切な概念」と表現されていたのではないかと想像する。

ティール組織とソース型組織はどう分岐していくのか?

では、ティール組織とソース型組織はどう分岐していくのか?

あくまでも僕の仮説だが、ソースを中心としたそこに集まる人々がどういう組織で在りたいで決まるのだと思う。そして、その意志決定においてはソースの想いが大きなウェイトを占める。

ソース原理では、ソースを離れる際は必ず継承が必要とされている。この点においてはティール組織でも同じ。

ソース原理では、つぎのソース(人)へ継承することになっているが、ティール組織ではその継承先が「人」ではなく「組織の存在意義」になる。

もちろん、ティール組織に移行した後も、ソースは大きな存在感を示すものの、クリエイティブフィールドはソースのものではなく、ソースも含めたそこにいるみんなのものになる(=みんなが意志決定者となる)

仮にクリエイティブフィールドからはみ出るようなコンフリクトが起きたら対話しながら範囲を確認するし、その過程で元ソースとして大きな影響を及ぼし続けるのだと思っている。

また、どんな組織も複数のチームで構成されるが、その中にあるチームのソースの位置づけも異なっていて、フラクタル構造になっているのだと思う。

例えば、以下の図のように全体におけるクリエイティブ・フィールドではソースが明確に存在しているが、それを構成するチームではソースが不在(ティール化されている状態)でうまく回り続けていることも起こり得る。その逆も然り。

まとめ

繰り返しにはなるが、僕はこの考え方を押し付けたいわけではない。

一つの考え方でしか無いと思うので、この問いをきっかけに「人が活き活きと過ごすことのできる豊かな組織のあり方」を考えるきっかけになれば良いなと心から思っている。

この記事を見て、「自分はこう思うよ」などのご意見などあればコメントなどで教えていただけると泣いて喜びます笑

長文お読みいただきありがとうございました。

Twitter:https://twitter.com/kei_taka

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