見出し画像

引っ越しは最大の自己投資

今月下旬に引っ越しが決まった。
シンプルライフを志したきっかけは、総計85キロの不要な家具たちを捨て、環境に負担をかけている自覚が出て、捨てればいいってもんでもないなと痛感したことがきっかけだったが、お恥ずかしい話、今回もいくつか家具を手放すことにした。
使い古してちょっと安っぽいカフェテーブル、座り心地の悪い椅子、犬にかじられて脚がボロボロなスツール、それから、新居の窓枠とサイズが違うブラインド。結局、この家では100キロ程の家具たちを手放したことになる。

わたしは社会人になってから、2年以上同じ家に住んだことがない。更新のたびに別の街へ移り住んできた。
特にこれといった理由はないが、強いて言うなら毎度新しい家に移り住むたびに、新しい自分に生まれ変われるような気がして、その高揚感が好きだった。
その場しのぎで家具を捨てたり買い足したりしていたし、引っ越し代はバカにならなかった。お金は全然たまらなかったが、ネグレクト家庭に育ったとは思えないほど、生活力も社会常識も、この転々とした一人暮らしのおかげで、一般的な水準には追い付くことができた(気がする)。
そして、今住んでいる家が20代最後の引っ越し先で、これまで自分のことで精いっぱいだったわたしが、自分の意志で飼い犬を迎え入れ、入籍し、何も期待していなかった「自分の家族」を改めて作り始めた場所でもある。
思い入れはあるが、わたしはこの街を出る。
今回は仕事の都合という部分もあるけど、ふと思ったのは、導かれるように今の自分に見合った環境へ、自然と動いていっているような気もしている。

次の家は、今まで住んできた中で一番都心に近くて、その分家賃も高い。でも、そこに惜しまずお金を出したのは、時間の価値に気づいたからだ。
通勤時間にしろ、遊びに行く移動時間にしろ、1時間も2時間も移動していられないし、気力体力も昔ほど続かなくなり、時間の無駄遣いも深刻にとらえるようになった。不思議な話だが、10代20代は無限にあった時間が、30代となった今では有限に変わったのだ。(正確には最初から有限なんだけど、感覚の話で。)
わたしが変化を好むのは、こんな風に自分の価値観の変化に気付くことができるから、というのもある。わたしにはまともな親がいない。でも、その分わたし自身がわたしの親である。これまでずっと、自分で自分を育ててきた。だからこそ自分の変化を・・・それが成長であればあるほど、きちんと気づいて、受け止めてあげたいのだ。

新しい家では、小さなダイニングテーブルと、座り心地のよい椅子を2脚買い足すつもりだ。だけどそれ以外は何も買わない。今あるものを大切に使い、備え付けの収納に収まる分だけの物を持つ。そんなふうに身軽に暮らす。生活をさらに整えていくのが、今から楽しみで仕方がない。

この記事が参加している募集

読んでくださりありがとうございます。これからも更新がんばります。もし記事が気に入ったら、サポートをお願いいたします◎