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個人通信"Simple Dreams"1298号

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個人通信"Simple Dreams"               1298号
2023.1.9
石川 晋

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noteは今月いっぱいは無料なのだという。休みが終わる今日までの内容を書いたものを一旦公開してみようかなと思った。2月以降は、100円をお支払いいただいた方だけ、こんなものが毎月送り付けられてくる感じになるが、皆さん大丈夫でしょうか?

1月1日(日)曇り時々雪
 今年は日記風に日々の感情を書いていこうと思う。かつて大学4年生から最初の教職10年を支えた個人通信Simple Dreamsは通算で1296号。断続的に書き続けて、1、2と辿り、7年前に途絶えた。それをまた書きほぐしていく感じか。Simple Dreams3。
 前夜から父と旭川市内のホテルで年越し。父はよせばいいのにしこたま(と言って胃のない彼なので少量なのだが)、酒を飲んでしまう。老人ホームへの帰り道、少し遠回りをして冬の入口に間に合わせてなんとか更地にした家の跡を父に見せる。父は何を思ったろうか。北海道の除雪問題は深刻だ。家屋を放置したままだと、近隣との除雪問題は深刻の極みだ。我が家もかつて屋根の雪が落ちて隣の車庫の壁を突き破ってしまったことがあるのだもの。
 レンタカーを返すまでには少し時間があり、一人で神楽見本林へ。やわらかくてふわふわした雪。昔何かの写真集で見た蔵王の景色のような樹木の相貌。あたたかいのだね。ここはもう、昔の旭川ではないのだと思う。

1月2日(月)曇り時々雪
 名寄神社へおみくじを引きに行く。クリスチャン生活の長かった自分にとって、おみくじは大人になってから覚えたある種のゲーム、射幸心を満足させるようなものであるが、酔狂でFBに載せると、いろんな人が反応してくる。親切にいろんなことを教えてくれる人もいる。そういう人たちの思いとどう向き合ったらいいのか、わからない。正月三が日から、おみくじなどをタイムラインにあげてしまった自分を深く恥じる。そういう感情を隠そうと思うと、原稿が進む。明治図書の教育科学国語教育誌に一年間連載になる「中学校 教材別・今月の発問づくり講座」の1回目の原稿を仕上げ、その後、we誌の2−3月号の原稿も上げる。明治図書の方は北海道教育大学札幌校の幸坂健太郎さんがぼくを執筆者(対話者)として選んでくれての企画である、ぼくのような不思議な立ち位置の人間をよくぞ見つけてくださったなあ。若手の対話者として選ばれたのはぼくを含めて3人。一人は菅原整さん。旭川時代、誰よりもお世話になった先生だ、一緒に書かせて頂けることを光栄に思う。

1月3日(火)晴れ時々雪
 岸和田市の二校のための講座を二本分作成する。朝陽小学校と大宮小学校。厳しい教育環境で奮闘する先生方の学校である。厳しい時だからこその職員室対話、そして言葉を大切にした授業づくり・・・。そんな話をしたいと思う。思えば東京に出てきたぼくに声をかけてくださり、たくさんの教室を見せてくださり、たくさんの教室で授業をさせてくださったのは、岸和田市の小学校の皆さんだった。その先生方のために、少しでも力をお貸しできるならと、今も本当に強く思う。あまりにも思いが強すぎて、どこから手をつけたらいいかわからなくなってしまう。緊張してくると、年末から続いている歯痛がひどくなって、もう何が何だかわからない気持ちになってしまう。それでも、今日、なんとか仕上げたいのだ。普段はほとんど読み返さない本を何冊か改めて読み返す。向山洋一『授業の腕を上げる法則』、杉渕鐵良『子ども集団を動かす魔法のワザ!』、吉川廣二『音楽の授業・騒乱状態の克服法50のアイデア』、山口大学教育学部附属光小学校『「集団力」を生かす授業』・・・。
 箱根駅伝はなんとなく見てしまう。しかしなんだろう、監督の指導が昔とは変わって対話「も」重視するようになったとか、締めるところは締めながら学生に合わせて指導しているとか・・・こういうのが新春から延々と高視聴率の番組で流され続けることの影響は甚大だなと思う。スポ根前提のお恵み的な自由が現代的な指導のあり方って発信を座視できない。

1月4日(水)晴れ時々雪
 世界を全部説明し切ってしまいたいという欲望のメガネで世界を弁別していくってすごい。しかし、それが人間的生活の確保の中で可能かということとの間の断絶は深い。『思考する教室をつくる』を読みながらため息ばかり出てしまう。購入した時に目次を見てパラパラ中身を読んでそのままにしてしまった意味が自分には今読むことでとてもよくわかる。これを誰がやるのだ? 一体誰が? 先日ライヒのカウンターポイントを加藤訓子とその仲間たちが演奏するのを見て、それが身体の限界に挑戦する行為そのものなのだと改めて思い知る感じがあった。それは誰もができるものではない。翻って学校は、誰もができるものではないことを追究し続けてもいいところなのかと考える。頭の中が本の理解とはべつなところでぐるぐるする。「わからない」が全ての基盤であり、「わからない」ことを知ろうとすることはわからないことをなくするためではなく、よりわからないことを思い知るための行為だとぼくは考えている。ここの感覚を共有できない人たちの全能感のベースになっていくのが怖い。どこまで行ってもさっぱりわからないのだという、その当たり前を前提としない世界を知り尽くそうとする行為は、欲望と分断に飲み込まれるものだろう。
 札幌の芸術の森に野田弘志の展覧会を見にいきたい。それでJRを3人分確保したのだが、汽車(北海道は汽車だ)は果てしなく遅れていくブッツァーティの『急行列車』のようである。あんな小説は、もう教科書に載せられまい。結局岩見沢付近の豪雪で、旭川から向こうは汽車はほぼ止まってしまった。名寄市から士別市までは車で移動し、そこからサロベツ→ライラック→地下鉄南北線→バスと乗り継いで、札幌芸術の森まで行くはずだったのだが、到底行きつけそうもない日だった。見たいと思う絵画にたどり着けない。その前で引き返してくる。JR北海道の苦境も温暖化の苛烈な被害も目前に見える中で、そうしたことを「理不尽」だと思うか。さびれかけた公共交通機関を頼って辿り着こうとすることを「非合理」だと思うか。確かにそれは「理不尽」でもあり「非合理」でもあるのだが、そのプロセスを辿ることも含めて全てが作品に出会うというしつらえであることを、ICT全盛の時代、多くの人が、教員までもが、忘れがちであるように思う。少年時代に読んだ角川文庫の『名曲をたずねて』には、青年バッハが、ブクステフーデのオルガンを聴きに400キロの片道を徒歩で向かったというエピソードが書かれていて、どうしようもないほどに感動したことを覚えている。そうだな、学校教育におけるICT推進には当然必然性も必要性も感じているが、あえての疑義を差し挟むなら、身体性を伴うプロセス価値(その重要性も深刻性も)をともすれば軽視しがちだということだ。
 結局山頭火本店でラーメンを食べて帰ってくる。塩とんこつとろ肉の山頭火がすっかり旭川ラーメンの顔になってしまってなんだか複雑な気持ちだ。歳と共に受け入れるのにぐっと力をこめなければならないことが増えていく。
 書き初めをした。今年は「ぬ」。今日は母の誕生日でもあった。生きていれば85歳か。

1月5日(木)曇り時々雪
 JR北海道の運休状況が読めないので、朝からとりあえず遅れながらも動いている宗谷線に乗るしかない。旭川まで辿り着いて、考えるしかない。行けるところまで行ってそこでまたかんがえる。これは考えてみればずうっと以前から自分のやり方であると思う。ぼくはそこまで行ってそこで見える景色から次の進む方を決めてきた、進路もお金も恋愛も趣味も授業も。
 今日は行けるところまで行くと先が開いて行く日。結果的には、こんなに早く出なくてもよかった。。。ということで道立近代美術館の砂澤ビッキ展。初公開の作品もということだったが、個人収蔵の作品がたくさん展示されていて、筬島のビッキのアトリエ3モアや道立旭川美術館、旭川駅ステーションギャラリーで、彼の作品をたくさん見てきたにも関わらず、それはあくまでも彼の仕事のある時期、一部に過ぎぬと思い知る。何よりも彼の絵画が飛び抜けており驚嘆した。それにしてもビッキの作品は繊細と豪壮と同居した比類ないものと再実感する。家の処分にあたって最後まで悩んだ菅原弘記の数点の絵画は先日最終的に父の老人ホームに寄贈したが、改めてビッキが北海道アンデパンダン展の立ち上げ期に菅原と行動を共にしていたことも確認した。抽象の世界をひたすら彷徨った菅原と違い、ビッキには枠組みがなかったのだと思う。それは彼がアイヌ民族に出自を持っていたことと無縁でもあるまい。触覚を大切にし使うことと鑑賞することと制作することと境目のなかった彼の作品は触られなぞられてこそ初めて「作品」になるのだろうとも感じた。昔クラスの子どもたちと旭川市彫刻美術館に行った時、当時の館長(斎藤傑さんだったと思う)はぼくらのために舟越桂の寄せ木細工の作品をバラバラにして「触らせて」くれたっけ。あの日館長も「彫刻は本来触られるべきものだ」と言ってたっけ。それにしてもこれだけの作品が個人の下でまた家族の下で朽ちるまで残されていくことの凄さに感じ入る。当初妻子が関心を示さず作品が散逸しつつある菅原弘記の不幸のことも合わせて感じる。父が最後まで看取ることになった同人誌「愚神群」の表紙を飾ったたくさんの菅原の絵を保存しきれない自分の財力の不足を嘆かわしく思う。せめて盛本学史さんの作品だけは行く末まで面倒をみたい、とも。

1月6日(金)晴れ
 新千歳空港から早朝便関西空港へ。ホテルでの朝食を5分でかきこむ。ぼくのばん走の原点である岸和田の2つの小学校へ。機内でwe誌の連載原稿の最終校正(だといいのだが)をし、次の出版のために旧稿に朱筆を入れる。3年前の原稿が恐ろしいまでに古臭く感じるのは、コロナが何もかもを変えてしまったからなのか。機内の音楽は三浦謙司のデビューアルバム。金沢で聴いた繊細だがどこか不思議な粘り気のある音はここにもしっかりと刻印されている。素晴らしいラヴェル。
 岸和田朝陽小学校は、これまでの深いご縁もあり、本音の話をした。教室の難しさは、そのまま職員室の難しさの鏡写しになっているのではないか、という話は、話しているぼくも心がしくしくしてくる中身だった。が、外からやってくる人にしかできないこと言えないことがあるんだ、と思う、後半の教科書教材を使った演習は時間も短くて消化不良。まあ、全部はできないものね。大宮小学校は一貫して説明文教材で。低中高の教材を一つずつ選び、演習を交えながら、子どもがわからないことをアセスメントすることなしに授業は作れないということを話した。届くといいなあと思う。
 夜はザ・シンフォニーホールでハリウッド・フェスティバル・オーケストラwithビリー・キング。40名ほどの団員でオーケストラとしては最初編成だが、個々の技量が高い。曲によってはもう少し音量が欲しい場面もあるが、とても流麗で良かった。僕は滅多に聞かないライトクラシック(映画音楽)だが、映像と共に演奏される「風と共に去りぬ」のタラのテーマに、激しく心が動かされた。「風と共に去りぬ」は、ぼくにとって、人生最高の一本なのだと再認識する。遥か昔の旭川の映画館を思い出して、動けなくなりそうだった。

1月7日(土)曇り
 早朝お二人と1om1。PAに愚直に取り組む先生。したたかに説明文授業の変革にチャレンジする先生。たくさんの希望がここにある、と思う。ちょんせいこさんとの国語ファシリテーションセミナーで大阪の会場へ。移動の音楽はMr.Children"SUPERMARKETFANTASY".今回は大造じいさんとガン。これだけで一日やり切ると決めて参加。最後の作品全体を読む問いは決定版は作れなかったが、プロトタイプまでは作って臨むことができる。良い参加者とぼくには一番やりやすいくらいの人数で、ある程度思った通りの活動ができる。せいこさんのグラフィックは本当にすごいなあと感じ入る一日でもあった。東京への戻りは飛行機から新幹線に付け替える。S-work車両のwifiは以前よりも増強していた。
 夜はラウテンバッハーのヴァイオリンでバッハのヴァイオリン協奏曲。最近は彼女のヴァイオリンでこころがおちつくことが多い。
 10日ぶりの国立の家。年賀状は個人は一枚のみ。後は数枚出版社から。出版社も早く辞めたらいいと思う。

1月8日(日)晴れ
 昨日の夜遅くに5年生の主任からメールがきて、これで新学期の授業がはっきりした。10日は授業がない。休みだ。
 朝は三人の若い先生と1on1。1on1も会議なのだとすると、やはり問いが大切なんだなと実感する。良き問いは、簡単に言えば、「方法を教えてください」系列ではないのだと思う。方法を教えてくださいは、誰でも何の造作もなく問える問い、消費して(されて)終わる問いなのである。そうではない問いを立てるのは簡単ではない。しかし教員が、そうではない問いを立てられなければ、子どもも方法を問う問いしかおおむね立てられないであろう。
 せいこさんとの連続セミナー。今日も大造じいさんとガン。今日も頑張った。練馬の会場は快適だ。確保してくださる横山さんに感謝である。
 帰宅して水戸の集会の参加者を確認し、開催を中止する。リスクを負わず、門戸は開き続ける、それが良い。

1月9日(月)晴れ
 1on1オンライン対話はぼく自身もほぼ時空の隙間を泳ぎながら実施している。色々な意味で無理を承知している。学校教育の最終DFラインに立っているような実感はずっとある(ちなみに繰り返すが遠隔リモートでたかだか1時間弱話す程度の関わりのことを、ぼくは「ばん走」とは呼んでいない)。
 そもそも最初から双方が厳しい時間を縫って調整をしている。特に追い詰められているクライアントは追い詰められた末のほんの僅かな時間・空間に設定しようとするから、ちょっとの予定外の事案発生で、もう辿り着けなくなってしまう。が、それはぼくにとってもそうなので、お互い様である。そのような設定にしておいた方がいいという判断でもある。学期が後ろになっていくに従って、キャンセル連絡も、時間になっても辿り着けない人も、どんどん増えていく。辿り着けない経験が積み重なると失敗経験の蓄積になっていくということを心配される方もいるが、そもそも1on1オンライン対話などというのは相性の問題なのである。石川さんと話してみたけど、この人じゃなかったな、こういうこと話したいんじゃなかったなという人は、ちゃんとたくさんいる。そもそも、話す中身だけではなく、1on1オンライン対話のデザイン(時間規模・時間帯・価格・諸々の手法・双方の準備の仕方・・・)が、自分には合わなかったってことも普通にある。例えば約束の時間帯問題一つにしても、その時間に辿り着けなかったってことを恥じる必要もない。その時間帯での設定は自分には難しかった。その時間帯しかないのなら、これじゃない、ということ「しか」ない。「そういうんでいいですから」を前提にして行っているんだから、失敗経験でも何でもない。
 新学期が始まるので作家の時間のことを改めて考える。今年度小学校で初めて作家の時間に取り組もうと考えて、一番困ったことは何だったかというと、『作家の時間』の本が思いのほか役に立たなかったことである。その理由ははっきりしていて、子どもたちの実作品がほとんど載っていないのである。実践に取り組む時に一番子どもたちに訴求力があるのは、同世代の子どもたちの作文に決まっているのだが、これがほとんど載っていないことは、ぼくには致命的とさえ思える。甲斐崎博史さんの実践だけは、その点十分に満足した。なんというか・・・作文実践者としての矜持とでも言うのだろうか。ぼくは、上條さんにせよ、多賀さんにせよ、あるいは初期に実践者として児童詩に取り組んだ児玉忠さんにせよ、豊富な目を見張るような実作品が雄弁に語る実践の強度、そして、子どもたちへの温かいまなざしをそこに感じていた。作家の時間実践の手ほどき本にこのように作品がない状況を、作文教育の隅っこに関わる者として極めて不可解なものと感じている。
 それにしても、数日前から何となくペンケースがないことに気づいていたが、どこかに落としてきてしまったらしい。電車6社に連絡したが、どこにもなく、とてもとてもがっかりする。

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特にアピールポイントなんてありません 笑

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