「何やっても出来ない」問題の根本原因の仮説とその対策
私にとっての子供の頃からの悩みは「何をやっても出来ない」事で、どうやったらそれから脱出できるのか今も試行錯誤し続けている。しかし、最近「これだ」と思える仮説に到達した。コンサルやエヴァンジェリストなど人にやってもらう仕事はなぜうまくいったのかも解析ができてこれがもしかするとファイナルアンサーではないかと思っている。
前にブログに書いた内容も大きな気づきだったが、今回はその発見を含んだ到達点だと思う。
プログラミングというより物事が出来るようになる思考法|牛尾 剛|note
うまくいかない日々
自分は、アメリカのマイクロソフトの本社で、クラウドの中の人として開発を行っている。これは自分の長年の夢である「プログラマ」になる事を実現しているので、本当に幸せである。しかし、職場や同僚は最高でも、納得いっていないことが一つだけある。それは自分のパフォーマンスだ。
もう3年ぐらいやっているのに、正直言うと、自分はいまだに「できない」。自分が望んでいることをやってるのに、周りを見渡すと自分より100倍できる人ばかり。本当できない人なんていない。俺ぐらい。
去年は一番できる同僚が死ぬほど働いている姿を見て、自分も休日のすべてをぶち込んで技術習得に充てたが、うまくいかなかった。だから、ちょっと前まで自分は「もう自分がエンジョイできることだけやろう。自分がエンジョイできることが多分生産性最強だから、それで通用しなかったらもう日本に帰ることを考えよう」と正直思っていた。
日本に一時帰国した時にある友人に苦悩を話すと「牛尾さんは、他人と比べたらダメだよ」と言ってくれた。
だから、正直、レイオフもほんまびくびくものだったが、自分の精神もそろそろ限界だったかもしれない。
なぜ「できる」人はできるんだろう?
私も自分が「エンジョイ」することそして、「比較しない」ことを考えて日々をすごしていたが、それだけでも自分に向いていたストレスが軽減したので友人のアドバイスはほんまありがたかった。
そんなある日、なぜ「できる人」はできるんだろう?と思った。新人からベテランまで全員めっちゃ賢い人ばっかりでゴリゴリに仕事できるけど、なんで自分はそう思っているんだろう?と考えた。何が自分と違うの?
できる人の二つ目の共通点
自分の Buddy の Vincent はキャリアも長くないのに、物事をしっかり、理解してやり遂げて、細かいことをなんでも覚えている。自分が自分で出会った中で最も賢い男である Paul も意味わからないぐらいいろいろなことを覚えていて、初めて見ることでも、明確に考えてアーキテクチャのポイントやどうやったら改善できるかを明確に答える。自分の上司の Pragna もそうで、細かいことを覚えているし、なんの資料もない会議でも情報を明確化して整理して、本当によくいろんなことを覚えている。
自分が以前気づいた「理解」に時間をかけること。それ以外にもう一つ自分が過去から避けていた事が違うことに気が付いた。それは「記憶」だ。先に挙げた3人、そしてそれ以外の人もめっちゃ「記憶」しているのだ。コンピュータの挙動に置き換えても、メモリがたくさんのっているコンピュータは動作がクッソ早い。メモリが少ないと、スワップして、ディスクに退避させたり、そこから読み出したりするから、動作がくっそ遅くなる。
自分は記憶を自覚的に避けていた
正直言うと、自分は記憶が苦手なのを自覚している。ADHDと診断されたことがある。ADHDは脳の短期記憶の領域が少ないといわれている。それもあって、記憶ができないので、たとえばどこかに書いておくとか自分の記憶を頼らず、極力「記憶」を避ける方向で回避していた。でもよくよく考えると、自分も受験の時は暗記したはずなので、彼らのように特に「努力」することなく、「記憶」ができるはずもないだろうが、大学に合格する程度には「記憶」出来たはずだ。
ちなみに、私は離婚しているが、元嫁さんは、めっちゃくちゃ記憶がいい人だったので、身近で特に特段の努力をせず、記憶ができる人というのは存在するということは認知している。
記憶をさけるか、向き合うか?
このことに気づいてから、自分には二つの選択肢があった。自分のアイデンティティを捨てて「記憶」に向き合うか、「記憶」を避けて、「記憶」をしなくてもいいことをやるのか。
このことを考えているとなぜ自分がコンサルタント、エヴァンジェリストとしては成功したのかが理解できた。
これらの「自分がやらない」職業に関しては、良い「記憶」はいらないのだ。コンサルタントはクイック&ダーティの世界で、「記憶」とか「緻密さ」は必要ない。勉強は必要だが、新しいことの概要を早くつかむ能力であり、むしろ常に新しいことに飛びついて学ぶ力が必要になるが、細かくある必要はない。むしろ記憶力があまり達者でない方が古いことにこだわらずさっと次に向かって進めるので「向いている」とすら言える。
だから私のような人はそういった「記憶」や「緻密さ」が必要なくても良い職につくとずっと楽で楽しく行けるだろう。実際私はそれらの職で「努力」した覚えすらない。向いているのだ。
自分のなりたいもの
しかし、自分のなりたいものは、「プログラマ」である。自分が何かをできる人間になりたい。もう子供の頃からの執念だ。だから、自分は自分のネイチャーに反して、アイデンティティを変えて「記憶」に向き合うことにした。自分は記憶は苦手だが、できるようになれるのであればなんでもやってやる。
余談だが、自分はいまだ「大人」になれた気がしていない。多分根本的に自分を信頼していなくて、自信がないからだ。これはトラウマであるので、このトラウマを乗り越えれたら次こそ普通の人間になれる気がしている。
記憶に向き合い始めた
最初にやったことは、「記憶」するTipsを集めることだった。探したけどほとんど「知って」いた。イメージをする方法、定期的に復習する方法、オメガ3を取得すること。「知っている」のと「できる」のは違うので、自分のように「記憶」に才能のない人は「訓練」するしかない。しかし、訓練したらできるかも?
最初に始めたのは、毎日、日記をつけながら作業をするようにした。どこかの Web 記事で読んだ、Clues, Note, Summary の形式で自分のやった作業を記録して、その日の終わりに整理して、何をやったかを「記憶」しようと務めた。記憶するために、「自分がそれを人にそらで説明できるか?」ということを「記憶できた」のチェックポイントにすることにした。
Cluesのところに、その日であった新しい知識を覚えているか確認する質問を書いておいて、次の日に見直して、覚えているか確認するようにした。
このように記憶を「しようとする」だけで結構違うものだった。今までカーナビに頼り切りだった道案内も、どこでどう曲がるかをイメージの記憶をつかって覚えようと努力すると意外と覚えられる感じだった。
前からの自分からしたら格段にマシだが、まだまだ足りない感はあった。
頭の中のみで整理すること
周りのイケてる同僚にもう一つ共通することは、「頭の中で考えを整理する」のが得意ということだ。
アメリカで働き始めて一番困惑したことは、みんな「口頭」で済ませようとすることだった。会議はがっつり準備されていることは少なくて、みんなだーーーとしゃべってそこで決めて会議が終わる。
特に英語の環境なので、これは相当つらい。日本語の時ですら、自分はしっかり準備をしていく方だった。
このスタイルはいいことかわからないが、みんなそれでもちゃんと理解できている様子だ。このことを思い出していると、自分のスキップマネジャのAnirudh が言っていたことを思い出した。
自分も、5W1H とか、ミッシーとかそういったフレームワークはコンサルだったから、使っていた。ただし、紙やPC(マインドマップ等)に書き出して。自分は今まで一度も、「頭の中のみで物事を整理する」訓練をしていない。「見える化」が好きだったのでそうしていたが、もしかすると、「頭の中でのみ頭を整理する」って訓練したらいけるんとちゃうか?それが出来たらみんなみたいになれるかな?
「頭の中でのみ整理する」訓練
私が実施した「頭の中でのみ整理する」訓練は次の通り
・ミーティングの議事をその場で書かない
・話しを聞くときは、他の人に説明することを想定して聴き頭の中で整理す
る
・文章を書きだして考えるのではなく、頭の中で考えて、完全に整理し終えてから文章に書き出す
最初の「ミーティングの議事をその場で書かない」だが、これも確か、先ほど述べた「Clues/Note/Summary」の整理法にのっていたことをヒントにしている。簡単なメモは取ってもいいが、そこに頼るというより、「その場で記憶までする」つもりで聴くと、「理解」しないと無理なので、明確でないことは確認する。頭で整理しながら聴く。そうすれば、あとから紙に起こすときは頭で整理できる内容になっている。
次に「話を聞くときは、他の人に説明することを想定して聴き頭のなかで整理する」だが、これも地味だが有効だった。私は教会に行くが、礼拝に行くときに、英語が難しすぎてよく内容がわからないということが普通だった。だから、予習をしていくと何とかなったがそれも大変だった。
あるときに、予習をすることができないケースで、普通だったらほぼ内容わからない場面だったが、このやり方を適用してみたら、英語力は何一つ変わらないはずなのに、がっつり理解できた。「後で人に説明する」を前提にすると、それだけでも相当集中力や、記憶力が向上するし、準備もしなくていいのででこれは楽だ。
自分の場合、話を聞きながらビジュアルのイメージを作ったりフレームワークを脳の中で視覚化して自分が理解できているか確認したりするのは有効だった。
ちなみに、このブログはそうしていない。実はこのブログの元ネタを整理したものは、その形式で書いているのだが、そうすると、「ブログ」としては面白くないので、いつも通り思いつくままに書いています。
記憶や頭だけで整理する「才能」がなくてもある程度できるっぽい
私が学んだのは、「記憶」が得意ではなく、頭が常にいろんな思考でうずまいていて「整理」が苦手な人でも「訓練」すればそれなりにできるようになることだった。ギターでも難しいフレーズでもゆっくりからすればたいていできるように、自分は「記憶」と「頭だけで整理する」をゆっくりから習慣づけようとしている。
そうしているだけで、普段だったらノートに書いても後でも見返すこともなく忘れていくし、そもそも理解できていない。という場面でも、リキャップをするのにノートを広げる必要すらなく、頭で整理する頃には特に書き出さなくても、記憶ができている感じになってきて、ノートに書く必要すら感じなくなってきた。この調子で、「コードベース」とか、「ライブラリ」など今まで記憶しようとしてこなかったものも、「記憶」する癖をつけようとしていて、これが完成したら相当良くなるのでは?というのが今の目測だ。
ついにファイナルアンサーをつかんだかも。
なぜこうなったか?
自分は昔から、「記憶」や「頭の中だけの整理」は全くやってこなかったがなぜそうなったのだろう?大阪人なので、よく「しらんけど」って言うのも関係してるのかもしれないけど、自分の記憶の苦手意識と、「急ぎ癖」があると思う。自分はなんでも「早くやらないと」と思う癖がある。だから、考えずに、よく見ずに、前にやった方法を考えずにやることが習慣になってることに気づいた。
そういう急ぎ癖があるので、他のことを同時にやって、生産性が落ちるミックス癖につながり、「理解しない」ことにつながり、「記憶」は時間がかかりそうだし、自信がないので、「紙に書いておく」事をする。だからいつまでたっても「コントロール」できている実感が生まれないし、アウトカムも生まれない。だからまた「急いでやらないと」と思い、、、
というサイクルだったと思う。
物事のできない問題の根本原因の仮説
だらだらと書いてしまったので、最後に整理すると、物事をできるようにならなかった根本原因は次の3つ。
・理解
・記憶
・反復
時間をかけて「理解」しないと、コントロールできるようにならず、頭の中で整理された状態で「記憶」しないと、何回も思い出す必要や調べなおす必要があるので、時間もかかり、これも自分に確信が持てなくなる。最後に反復は、理解して、整理して頭に入ったら、あとはそれをいつでもできるように「訓練」することに時間をかけること。
自分はこれらの要素。特に最初の2つをやってこなかったからこうなっている気がする。もうこのファイナルアンサーで通用しなかった場合はあきらめて日本に帰って自分が努力しなくても成果が上がる仕事をする。しかし、チャレンジしての結果だから後悔はない。
でもうまくいくといいな。
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