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母親の唱える呪文は根が深い

こんにちは!シンプルライフです。

昨年末に再度緊急入院になり、春頃まで医院にお世話になっていました。費用も結構かかったし、体力は吸い取られたし、今は心身ともにカスカスです。こういう時は、「小さな生活」をするしかない。目標やゴールを「小さくする。」できたらいいな、と思うことの「半分の半分のそのまた半分」くらいに設定します。声も小さく、密やかに。身振り手振りも小さく、密やかに。省エネモードにね。本当に無駄にできるエネルギーなど全くない。

さて、藪から棒にですが、シンプルライフを目指すにあたって、避けて通れないのが「デトックス」「呪いの解除」です。様々な負の重みって「毒気に当てられている」状態で、「呪いがかかっている」ことじゃないかな、と思っているんだ。そのことに対して「こんなにも、あんなにも酷いことをされた!」と嘆くより、物理的、あるいは象徴的に「毒を抜く(デトックス)」「呪いの解除をする」ことをして、楔を断ち切り、さっさと残りの人生を大切に生きた方がいいと思っている。

様々な毒や呪いの中で、一番ややこしいのが母親から発生した毒や呪いだと思っている。だって「お母さん」だよ!産んでくれて育ててくれた、温かいお母さんだよ。母親は守ってくれるよね、毒とか呪いと対極にある存在だよね、と強く思っちゃうので気が付きにくいんだけど、どの母親も毒母の面はあるし、呪文も唱えてる。そこに気がついたら、物理的に距離を置くしかないんだよね。

「性善説・性悪説」という区分けがある。「人は生まれながらにして善い存在である。キープするのに努力は必要だよ。」「いやいや、人は悪い存在である。だから鍛錬して善くなりなさい。」なんかさ、この考え方だと善いと悪いを交わりのないように置いているな、と思っていた。本当はコインの裏表、コースターの裏表みたいに、表裏一体で善悪がペアになっているんだと思う。いいことがあれば悪いこともあり、逆もまた然り。双方合わせ持って人間。だから、誰しもをね、善い人に仕立て上げず、悪い人に仕立て上げず。

あ、ただ、どうしようもないほどダークな一族などもある。それは踵を返して逃げ去ったが勝ちだと思う。そして2度と関係を持とうとしないことだ。

私は、私たちの人生って、私たちのものであると同時にコモンのものである、という考え方をしている。色濃いのは3、4世代ほど遡って継いだものであり、3、4世代ほど先まで影響のあるものだと思っている。子供がいる、いないにしろ、一族で捉えた場合にね。それに対して意識的・無意識的、いずれにしても母親の唱える呪文は根が深い。子を産むということで、直で合計8世代分くらいに影響があるからね。しかも、その呪文、子供が生まれる前から始まっている可能性もある。私が生まれる前から唱えられた呪文に関しては、その存在の可能性を知りつつ、静かに無視していいと思う。私には関係のないことだ。先方が、ある物語の持ち駒として私を動かそうとしても「辞退します。」の一言で済む話だ。

大事なことは、今、生きていること。
私と、私じゃないと、その狭間。

今はね、ご飯もね、作れないの。ご飯を炊くことはできるよ。
豚汁作って飲みたいー!!

でも、まあ、できるようになった時が、できる時だからさ。
急ぐ必要はない。焦ることもない。

では、またの機会に。Au revoir.



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