見出し画像

思い出の結晶

 このところ、季節の変わり目のためか、花粉の影響か、諸々のストレスか、よくわかりませんが、薬を飲んでも日付が変わるころに目が覚めて、一度起きだし、もう一度床に入り、3時半ぐらいであればあきらめて起きる、その分の寝不足は日中で補う、という日々が続いています。

 もう少し、しっかり眠りたいのですが、何らかの事情で、コントロールできない状況になっているみたいです。今日はメンタルの、毎月の定期受診の日であり、そこに答えはないかもしれませんが、主治医に聞いてみようかと思います。
 
 さて、3月も折り返し点に入り、ここから先は今年度と新年度の「汽水域」になり、年度内に片付けておきたい案件への対応や新年度のスタートダッシュに向けた準備、引き継ぎ、出会いと別れ、それに関連するもろもろのイベントが連なり、何となく、桜の開花を見て、毎年この時期が来たのだなと感じることになります。

 今年は、二人の子どもの進学が重なり、この時期の節目を一層実感する年になりました。とにもかくにも、健康でここまで育ってきたことは良かったです。上の子どもは皆勤賞ということで、最近はこうした賞はなくなったものと思っていたので、おどろきでした。たしかに、ぶつぶつ言いながらも毎日通っていたのだなと思うと、感慨深いものがあります。

 上の子からは手紙ももらいました。思わず涙の内容でしたが、やはり親からすると、生まれたときからずっと見守っているわけで、子どもの成長ってすごいなと思いますし、いろいろ、自分の子ども時代のことを追体験できるのは、子どもを持つことで得られる果実の一つ、という気がします。

 こうした、今は当たり前のようにわが身に振り込まれる、職場や家庭のイベントも、僕自身が年齢を重ね、子どもたちが巣立ち、仕事の一線からも退くと、ある時期を境に、急になくなるのでしょうね。

 もちろん、そこまで自分が生きていればという前提ではありますが、春の桜を見ても、こうした数々の節目の渦中にあって愛でる桜と、そうした節目とはかかわることなく、桜に季節の変わり目をうっすらと感じ取るというのは、相当な違いがあるのでしょう。

 それにしても、この「汽水域」の節目のイベントを、制約なく感じることができるのは、何年ぶりでしょうか。思えば、ここ数年は出会いと別れのイベントさえ、不自由を強いられてきました。

 後講釈はいくらでもできますが、当時の社会の雰囲気としては、個人の思いを押しつぶしても、徹底的なコントロールを志向することが求められたわけです。

 話は少し逸れましたか、
 今は鮮烈な印象のある節目のイベントも、後になってしまうと他の記憶の中に埋没してしまう、これは明らかです。

 卒業アルバムや卒業写真というのは、その時の思い出の結晶なんですよね。結晶なので役に立つ道具ではなく、場所だけかさばる代物です。

 でも、そこで結晶化しておかないと、思いがやがて消えてしまい、振り返りのトリガーがなくなってしまう。僕の場合、そこには良き思い出というより、灰色の学生生活の印象が強いのですが、それでも多感な時期、目まぐるしい変化の中を生きた自分が封じ込められています。

 子ども時代の写真とかアルバムには、有用性を求めてはいけない、ただ、後の世代には無用の長物のため、先日、僕の子ども時代のアルバムから、写真をはがし、アルバム自体は捨ててしまいました。
 まだ、学校の卒業アルバムは、捨てられないでいますが、子どもが巣立てば、小中のアルバムぐらいは、処分するのでしょう。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?