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生んでくれたことに感謝

 僕の母が、今の住まいに満足しておらず、理想の住まいを見つければ、今の寂しい心や周囲に対する恨みつらみの思い、さらには運動不足や買い物不便の解消など、すべてが解決すると思っており、
ただ、それは決して手に入ってはいけない青い鳥であり、常に青い鳥が身近な空を飛んでいて、僕や弟も青い鳥を捕まえるのに協力している、そうした状況こそを心の奥底では望んでいるという話は、ここで時々書いていますが、そのことを昨日、会社の人間に話す機会がありました。

 話した相手の人は、すでにだいぶ前に、お母様を亡くしているようですが、最後の方は、一人になって認知症になり、被害妄想がひどくなり、その人の兄弟も音信不通、職業不詳のような人でまったく頼りにならず、大変だったそうです。
 
 そこまで苦労してきた割には、息子であるその人のことは、早々に記憶から消え去り、何となく親しい人という扱いになっていることに、やるせなさを感じたようです。

 最後は、「この人が生んでくれなければ、自分はいなかったのだから、という思いで尽くしたし、今でも、その思いからすると、生前の親孝行が十分でなかったと後悔することがある。」とのことでした。

 責任世代にあって、いろんなことに追われていると、常に最優先対応を求める自分の老親に対して、そこまで広い心を持って接し続けることは、心の衝動的な反応を抑えるだけの、「躾け」が必要になりますし、
親との関係で苦しんでいる人も少なくないことを思うと、子が親に対し無条件に尽くす姿勢は、今の時代、多様な価値観の一つであり、人に押し付けるものではないと思いますが、一方で、自分の身に引き寄せると、こうした考えを持つことは、親との残り少ない時間を、少しでも安らかに共有する、一つの生きる知恵のように思います。

 自分が生きていることに喜びを感じ、感謝する、こうした思いを持ち続けることは、簡単ではなく、人生のある程度の時間、消極的に生を選択している人も少なくないでしょうが、
これまでの人生を全肯定することが、現在の生への喜びにつながり、親をはじめとしてお世話になった人への感謝となるわけで、僕自身、苦しかった局面を乗り切った今、あらためて「良かった探し」のマインドを取り戻すことで、自分の人生の肯定的解釈をできるよう、躾けていきたいと思います。


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